6-17 臆病
教室内を進む一色の後ろに続けば、そのショートヘアの頭が自然と目に映る。その頭頂部からクリンと飛び出た二房の癖毛が、歩みに合わせてヒョコヒョコ揺れていて、そこには普段の悪魔の角の如き禍々しさはなく、どこかしら愛嬌すら感じられた。また後ろ姿だと随分と小さく見え――いや、背丈は俺の肩くらいまでなので百五十センチ強しかなく、実は随分と小柄な子だったのだと今さらながら気付く。それが今までは、俺の恐怖心から大きく見えていただけだったのだろう。
そう考えている間に一色が足を止め、当然のようにひなたと同じ席へ座ったので、同じく俺も通路を挟んで隣に座った。
「うーむ……」
この数分前と相似の状況に頭を抱えたくなるというもので、俺は弓道の修練に来たはずが、なぜ次から次へと女の子と話すことになっているのやら。それも字面だけならまるで楽しい青春イベントかのようだが、相手がこの一色とくれば、ウキウキのウの字もない。ウーは鬱のウー。これもある意味で精神修行と考えると、弓道の修練の一環と言えなくもないが……すんごくやりたくない! さっさと話終わらせて弓を引きたい!
「こほん。それでは早速──」
「ああー、その前にさ、そっちでいいのか? そのアレだ、喋り方とか?」
「うむ。キミにならばこちらで良い」
「え、おう……」
キミ、かぁ……何だかムズ痒くなる呼び方をする。それと普段の能天気陽キャ風とは百八十度変わった、ボーイッシュで硬い口調と低音の落ち着いた声がとても理知的で、まるで漫画の探偵っ娘キャラのようだ。とは言え、中身はとびきりの才女なのだから、むしろこちらが自然な姿なのだろう。
「てか何でこんな妙なことしてんだ? ネコ被ってるってのとも、ちょっと違う気がするし――あ、いや、無理に聞こうってんじゃないぞ?」
「くふっ。別に気を遣ってもらわなくて結構だとも」
一色はナゼか少し嬉しげにそう答えると、些細なことだとばかりに、手袋に包まれた片手を小さく振ってみせる。だがそれなりの理由がなくては、ここまで七面倒臭いことを普通はしないだろう……逆に気を遣わせてしまったかもしれないな。
そう考えていたところ、一色は俺の顔をじっと見つめて、再びクスッと笑う。次いでコホンと咳払いすると、
「それは、わたしが臆病だからさ」
その理由を端的に答え、少し自嘲気味に苦笑いした。
「臆病、ね」
「うむ。キミならば、すでに気付いていたと思うけれど」
「んー…………言われてみりゃ、そうかもな」
たしかに、以前には極度に慎重な子だと思ったもので、それは見方を変えれば臆病とも言えるだろう。だが、それが二重人格――いや、二重性格? にどう繋がるのかは、全然ピンと来ない。
「で、何の関係が? サッパリ話が見えんぞ?」
「まあまあ、早く戻りたい気持ちは分かるが、そう急くものではない。そも、今キミはまた女の子の秘密を覗こうとしているのだから、時間を割いて紳士らしく拝聴するのがせめてもの礼儀であろう? ん~?」
「ご、ごめん」
「ふふっ、もちろん冗句さ。先の気遣い無用は、気遣いからではないとも」
「ぐ、ぐぅ」
一色からは先ほどのしおらしさもスッカリなくなり、いつも通りこちらの思考を的確に読んで、皮肉たっぷりの刺々しい口撃を仕掛けてくる。
「まあそれに、折角こうして二人きりで話す機会を設けたのだから、ゆるりとお喋りしようではないか。相互理解は重要と、我々はつい先ほど学んだばかりなのだから、ね? くっくっく」
「……はははっ、違いねぇ」
ただその鋭いトゲは、いつものような悪意を含んでおらず、それに一色の表情も随分と楽しげに見える。そのせいかは分からないが、いつもなら恐怖から一秒でも早く立ち去りたくなるところを、今は不思議とそうは思わなかった。
「それで、私のような臆病とされる人間は、何かにつけて恐怖し怯えがちな訳だ。では、それを解消する最適な方法と言えば何かな?」
「…………ええと、単純に考えると勇気を持つ……例えば、恐怖に負けないよう根性をつける、とか?」
とりあえずで思い浮かんだことだが、そこまで間違ってもいないだろう。
「四十点」
「なにぃ……赤点かよぉ」
「くくっ。それは対症療法であって原因療法ではない。根性論で耐えられるだけで、恐怖そのものの解消はしていない。それを最適な方法と言えるかな?」
「ぐむぅ、たしかに」
いともたやすく論破されてしまった……まるで先生に小論文の添削をされている気分だ。
「ふっふっふ。このような調子では、わたしの動機には辿り着けないよ、ダイチ少年?」
ちっちっと指を振る一色は、まるで不出来な助手をからかう名探偵――いや、どちらかと言えば探偵を嘲笑うライバル怪盗か。どちらにしろ、大層お似合いのハマり役なことで。
「では聞くけれど、根性をつけるには何をすれば?」
「え、何をと言われると……うーん……」
少年漫画なら、勇気を振り絞って強敵に立ち向かい成長したりするものだが……この現実世界ではそう都合の良い展開にはならない……結局何をしたら良いのか。
「さあどうだい、根性論では厳しそうかな?」
「ん……降参だ」
俺が手を上げたことに満足したのか、一色は得意げな顔で解答を示してくれた。
「フフ、答えは簡単だよ。『識る』ことさ」
「し、る?」
意外な答えにオウム返しに聞いてしまう俺、おバカ丸出しである。
「例えばだね、よく恐怖の対象とされる幽霊は、その正体が解らないから怖い。疫病なら、何が原因か解らないから怖い。生身の人間なら、何を考えているか解らないから怖い。そう、人間は未知のモノにこそ恐怖を覚える。『知識は恐怖への解毒剤である』、そう言った思想家が居たものだよ」
「へぇぇ……なるほどなぁ」
一色の言は本質を突いていて、とても奥深い。それは夕との会話でも良く感じることがあり、二人とも様々な物事をまさに「識って」いるのだろう。
「それと、キミは沙也ちゃんの言葉を聞いていたね?」
寡黙子、もとい沙也の僅かな発言を順に思い出していくと、一色に関係するのは……例えば、全国模試トップレベル――あぁ、なるほど。
「そう、人より少し勉強が得意なのはそのせいもあるかな。もちろん、知的好奇心も人一倍強いけれども」
「全くもって少しってレベルじゃねぇが……色々と納得できたわ」
一色の根底には未知への恐れが常にあり、それゆえに何でも知りたがり、何でも暴きたがる訳だ。
「解ってもらえたようだね。さすがは『似たもの同士』だ」
「え!? ――ああ、前に去り際にボソッと言ってたやつな」
あれは確か、俺が無難や普通を望むことへの、自嘲を含んだ皮肉だった。さらに先ほど俺がひなたに打ち明けた「人との繋がりを避けた理由」も、一色にバッチリ聞かれていたので、それも指しているのだろう。ただ一色の洞察力なら、あの時すでに気付いた上で言っていたのかもしれないが……だって似たもの同士だし?
あとこの「識る」の解説を聞いて気付いたが、一色に対する恐怖が消えて話すのも悪くないと先ほど感じたのは、一色を識りつつあるからかもしれないな。
「ちなみに、そのことについては謝るつもりはないからね?」
「え?」
そのことと言うのは、たった今思い浮かべた、一色にコッソリ聞かれていたこと――って勝手に人の頭の中を覗くんじゃない! これ自体も覗きへの意趣返しってか!? ええい、これだから智力極振りのヤツはよ!
「はぁ、同罪だもんな……」
立場を分かっているようだね、とばかりに満足げに頷く一色の顔を見て、この子には敵わないなと改めて思い識らされるのであった。
この子……だれ? という程の変わりっぷりですねぇ。
一色さんの二面性をお楽しみいただければと思います。




