4 軟弱系男子が倒せない
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一月末の冷える中学校舎の一室では。机を十卓、長方形に並べくっつけていた。何か始まるな……と、中二の女子生徒の雪見は聞いてみた。
「じゃんけん?」
雪見はきょとん、と問い返していた。いや、おとぼけを装っただけなのだ。呆れていた。
まったくクラスの連中ときたら、来年度はもう高校受験生なのにこんな『当たり前の計算』もできないなんて……
十人でいっせいにじゃんけんをして、一人負けしたものが先輩の卒業式の準備での……いちばんたいへんな『汚れ役』を引き受ける、班長の案。バカである。
じゃんけんはあいこが出たらやり直しなのだから、こんな大勢では98%以上、あいこになってしまってまず決着がつくはずはない。
(? まてよ。すると……)
ズルをしようとしているな、と気づく。何人かで事前に口裏を合わせて、同じ手を出そうとして組んでいるのがいるに違いない。
雪見は慎重にクラスメートの顔を見回す。
たかだか中坊、悪意は顔に出る。サインも大体つかめる。
ならば打つ手は……
じゃんけんは始まった。
「最初はグー、じゃんけん……」
賭けではあるが、雪見はグーを出した。
ここで、チョキを出すのが六名もいた。二人、パー。もう一人、グー。
偏りがある。これは偶然か? みんなの顔つきをうかがう。おどけて笑っているのが大半だが、本心はわからない。
とにかくあいこではある。次へ続く。雪見はこんどパーを出した。
あいこ、あいこ、あいこ、……やはり決着はつかないし、それに手がバラバラである。
だからこの時点で、インチキをしようとしていたバカ連中はいたし、それは失敗に終わったことがおよそ把握できた。
? 一人、違うのがいた。
(なんだろう、あいつ……最初からグーしか出していない。小柄……クラス1チビな少年。いや、私の背が高いだけなのだけど……)
周りのみんなも、これに気付いたらしい。だんだんパーが多くなる。
雪見は戸惑ったが、生来の生真面目さからチョキしか出せない。
あいこ、あいこ……
やがてパーが八人、雪見のみがチョキになったとき。次に雪見は、相手の意図をつかみかねて、パーを出した……雪見は気づいていなかった。小柄な生徒が、ずっと雪見の眼の色のみを観察していたことを。
!?
小柄な生徒は、グーを崩して二本指を開き、チョキを出していた! 一抜け上がりである。
クラスメートたちから罵声が上がった。
「汚えぞ、てめえ!」
雪見にしてみればどちらが汚いかは歴然だが……これは『召喚前』の、最初のリアルな英雄譚だった。
私の、私だけの小さな英雄……懐かしい。
(召喚? 懐かしい?)
ぼんやりと、雪見は思った。
(召喚……わからないが。なんだ。私夢見ているじゃない。むかしの……中二病なんかにはならなかった品行方正、健全な私! え?)
はっと気づく。
(冗談じゃないわ……私って、まさにその中二病の世界にいるじゃない! それが夢でなく現実なんて……)
危なかった。雪見はいつの間にか『呑まれて』いた……自分自身の魔力に。自分の魔力は支配しなくてはならないのが魔術師の鉄則。
さもなくば……魔力は容易に術者自身のメンタルを蝕み、狂気に追い込み破滅させる。
これは自分自身の思い出!
そう、私はマクナイア王女。過去生、我島雪見。
覚醒しなくては! 魔法の水面は、いまやマクナイアの魔力を吸い取る凶器と化している。
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気づくと水面の台に、マクナイアは頭を突っ伏して寝ていた。
ソルトが魔法で出した大きな鏡に、すっかり疲れ切った風貌の自分が写っていた。この歳で目にクマ、唇が青ざめている。
それにしても自分が小柄であることに気付く。140cmあるかないか。
たいていの女性の身長の伸びは、12歳児でほぼ止まる。我島として生きていたころは、170cm以上あったのに……。
これに関しては下衆な同僚教師どもの嘲笑をよく浴びたものだ。
「……女の身長は160cmではだめだ。159cmならギリギリ許される。この1cmには超えられない絶対の壁があるんだ……比べたらベルリンの壁なんてアルミ箔だぜ」
……などと!
仮にも高校教師が、そんな炉裏コン肯定発言をして良いと思っているのか……
そう、モデルルックスであれ、けっして我島はモテていたわけではないのだ……教師としての人気は老若男女問わず高かったと自負するが。
研究室の書架に目を向ける。背表紙はなぜか全部日本語で記されていた。試しに手に取ってみると、中身も日本語……
『ネクロノミコン』
『ルルイエ異本』
……
『屍食教典儀』
『妖蛆の秘密』
『魔法哲学』
……
『アトランティスと失われたレムリア』
『古代ムー帝国の原住民、ムーミン族』
……?
『ダゴンへの祈り』
……って、ウソみたいなとんでもない伝説の偽書、贋作ばかりである! それでもしつこく調べ……
……
……
『サバク王国の歴史』
目に留まったのは大きいが、薄っぺらい絵本のような本だった。敵情ではなく、内情がわかるかも。
疲れていたが、気合でめくる。
……サバク王国は現在、人口四万人程度か……さすがにバチカン市国よりは大きいが……『市国』ではなく、『王国』と名乗るのがこんな程度の規模とは。日本では市どころか区か町扱いされる人口ではないか。
!?
異世界転移ではなく、この異世界が転移してきたのか!
まさかこの現代日本、東京の都心に!
現実に浸透するように調和融合し、並列して存在しているとは……
それというのも、やはりあのバレット・アウトロードが、世界を破壊したから……ラスボス、海の邪神ダゴン封印戦で奇策を弄して……
(一人であのダゴン……仮にも神に立ち向かうなんて、どういうバケモノよ!)
さらに次のページには。
「……召喚女教師『ケロモンの悪夢』、深きに眠るダゴン配下の無尾両生類たちを、奇計により駆逐し戦死。体細胞を回収し、蘇生措置を図る……評議会全会一致でマクナイアの名を示し、サバク王国第一王位継承権と、首席魔術師、王国軍第一師団将官の地位に据え置く……」
……どういう悪い冗談だろう。
マクナイアは憔悴が、もう限界に達していた。
反駁する。
(『必死は殺され、必生は虜にされ……』)
研究室から寝室に入ると、マクナイアはベッドに身を投げた。
全身汗ばんでいたし魔術師の正装のままだが、寝巻きのガウンに着替える気力もなかった。
睡魔が……
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