2 フローズン・ライン
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異様な緊張状態の中、学ラン姿の17歳の少年は耐えていた。例えるならWW1での硬直した塹壕戦(敵弾避けに横に広く穴を掘って、首までもぐって戦う戦法)の銃撃の雨の中だった。
(戦車を持って来いよ……マーク型一両で十分だ)
と、夢想する環だった。玉城環である。
そう、この名前だけで、環が小中学時代、下品なあだ名でさんざんからかわれていたことはいうまでもない。そんなことはもはや気にしていないが……
なぜって『またまた危機』って異名に変わるほど、ケンカ人生歩んできた。
なぜこんな名前なのか……親の離婚と再婚にある。そちらの方がはるかにストレスだ。
だから環はたいてい戦場にいる。今日なんて最前線だ。
もっとも一発の銃声もなければ、死傷者も皆無なのだが。なんたって現代日本のふつうの高校校舎の一室である。
しかしここは最前線であった!
クラスメートたちの視線が痛い……嫉妬の冷線。
環は176cmという高すぎない身長と、実体重がそんなにあるとは思えないほど引き締まった肉体の持ち主だ。
風貌は平凡……と、環自身は思っているのだが。滅多に変えない穏やかな微笑が、女子たちには大受けで。男子からはえらい嫌味に映るらしい。別に環にはなんら取柄もないのに。
時は高二の冬休み明け。バレンタインデーを控えると、この年頃はこうもやっかいなのだな……登校してみると、環の机にはズタズタに引き裂かれたラブレター(時代錯誤! ここド田舎だ……)数通と。そして下手くそな殴り書きの脅迫状が入っていた。
どのみち高校で恋愛なんてするつもりはさらさらない環だった。なんといっても、先生は、「あのひと」なのだから……
「あのひと」は入ってきた。
際立った美貌の女教師、我島先生。モデル並みの背にやせぎすな体躯。ドールではないかと疑いたくなる、整った顔つき。一部の生徒からは、『ソロバンの悪夢』と恐れられる人気の……
ちなみに環はこの先生が好きだから、高校で恋愛しないわけではない。誰にも打ち明けられるはずもない秘密があるのだ……
その秘密の件はさておき。
授業が始まったが、環は黒板を眺めたままぼーっとしていた。
高2の物理分野なんて、中学レベルの数学が分かれば楽勝だ。こんな科目に体力と集中力を使いたくない。
なぜって……今夜も。
『アルバイト』があるから。
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下校時には、真っ暗になっていた。これでも日は伸びつつある2月上旬だが。下駄箱の環の靴には画びょうが(繰り返すがここはド田舎!)時代錯誤な学園ものよろしく、「びっしりと」入っていた。
犯人は嫉妬からの男やら、恨みからの女やら……。
こんなことをいちいち気にするメンタルではない。靴を乱暴に振り払い、画びょうを全部廊下に散らし捨てると、環は帰路についた。
スマホを確認する。マップアプリには『マーカー』がいくつかレッド表示されていた。獲物だ。
環にいちばん近い獲物は……スマホ情報によると、『憑依』らしい。邪な霊魂に、精神を蝕まれているのだ。
ならば、『お祓い』しなければ。環はスマホを内ポケットにしまうと、両手にしっかり革手袋をした。
……チャリで2分。『現地』についた。駅付近の繁華街……見れば4人の男子生徒が、一人の女子生徒を取り囲んでナンパしている。
女子生徒は……クラスメートの田中だった。
環は割って入った。声を上げる。
「おまえら、なにやってんの」
「ああ? なんだてめえ」
「一対一で女を口説けないのか? と聞いている」
ガッ!
環は背後から思い切り後頭部を殴られた。いや、蹴られたのだ。なにをここでかっこつけてわざわざハイキックを……
思い切り痛い。衝撃でふらつき、そのまま冷たい地面に倒れる。野郎ども4人は嘲笑していた。
しかし。
……ピーポーピーポー……ピーポー……
迫りくるサイレン音。
「警察を呼んでおいたよ」倒れたまま、環は嫌味に笑って見せた。
「卑怯だぞ、野郎!」「かかわっていられるか、帰ろうぜ馬鹿らしい」
4人組は去っていった。
一分待ち、立ち上がると。環は数十メートル、引き返した。自分のスマホを置いてある。
近寄ってくるかのようなサイレン音は、スマホアプリを使った幼稚なトリックだったのだ。
「仕掛けたのか……玉城くんってこんなに卑屈なのね……」女子生徒、田中は軽蔑した口調だ。
「そのとおりです」さらりと答える環だった。
「学校のみんなにバラしていいの?」田中は厭らしい笑みを浮かべていた。
「ご自由に。チクリ魔女」
「人気失墜するわよ……」
「かまわないさ……だって」環はのたまうや、革手袋をした両手を固く握りしめ、ファイティングポーズにする。叫ぶ。「おまえはこれ以上落ちるところないよな。田中の身体から出ていけ! 悪魔!」
ただの威嚇だが、これだけで十分。
『ビンゴ』だった。
女子生徒の身体は硬直し、口から白い気体が吐き出された。エクトプラズム……悪魔の魂である。それに手を伸ばし……
(今日のアルバイト代、回収! ……?!)
正気に戻った女子生徒が、泣きながらすがりついてきていた。
「離れろ! 邪魔だぞ田中!」
叫ぶが、もはや手遅れ。魂は暗闇に消え失せた。
(魂、取り損ねちまった。あの悪魔、いずれ改めて狩らないと……)
いまになって、背中に生暖かいものが流れたことに気付く。蹴られた後頭部が裂傷し激しく出血していた。これは外科治療費だけで、今月赤字は間違いない。
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