17 簡単なダゴンの倒し方
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奇しくも、というべきか。マクナイアこと我島雪見の息子……玉城環もそのとき、魔法について案じていた。
魔法とひとくちにいうが、それを知力に頼るものだとすれば、判断力と知識の【采配】こそそれとなる。
戦うべきときに戦い、引くべきところで退く。これが的確にできるリーダーこそ魔法使いだ。
いくら攻撃呪文に長けていても、勝ち目や効き目のないときに、力を浪費して味方に犠牲を出すようなバカでは魔法使いの名折れ。
誌上、とある策士は、敵から。「仲間が殺されてもいいのか?」と脅されたとき。平然と「私になにが関係ある?」と答えて、結果として仲間のいのちを救っている。そうした発言こそ、まさに呪文というものだ。
だから。(魔法、俺が使うとしたら……)
……などと、自室のソファーにもたれて夢想していたら。那津美がなにかいっている。
「アイス、アイス、フォール、フォール、ツー、ツー、ツー、ツー、ハイドロオキシジェ、ハイドロオキシジェ、ハイドロオキシジェ、ハイドロオキシジェ……ハイコラオキナジェム!」
那津美との馴れ初め。それは環にとってはトラウマものだ。十三年前になるのか……改めてみると、去年のことのように思えるが。以来十三年間、環と那津美は閉じた時間の輪……時の檻のなかにいる。高校二年生をずっと繰り返し。
問う環。
「起きているよ。なんだ、那津美。新しい呪文か?」
那津美は得意げだ。
「クトゥルフとダゴン配下の深き者どもに、偽りの情報を流すの~っ。ダゴンの領域をさらに拡大するために見せかけてぇ。海上に彗星を招いて落とさせる……するとぉ?」
これに環は悪寒を感じていたが、ていねいに答えた。
「一見水量が増すかに思え、事実は核弾頭直撃なようなものになるだろ。まるで恐竜絶滅なような……」
「うけけけっ。これでダゴンに勝てるぅ~、けけけてへっ」澄んだ瞳の魅力的なすました表情をしたまま、低く不気味な声で笑う那津美。
「やめろ!」
環は厳しくいった。那津美ならマジに実行する。というか、十二年前にまさに実行したのだ。絶対に却下だ。世界が滅ぶのだから。
那津美を無視して、また夢想に戻る環だった。
……なぜ力を求めるのか。なぜ強さを求めるのか。
生きていくのにはそれは必要だろう。
しかし、敵を倒すための手段として、それらを求めて何になる。
戦えば。弱い方が負ける、とされるが。
現実は、戦うにあたり勝つのに相手より強い必要はない。力が大きい必要はない。
敵の不意にその急所を突けば、自分が敵より能力的に弱かろうがそこで終わりだ。極端なはなし、力など0で戦える。
卑怯もなにもない。そもそも戦いとは詭道であり、戦わずして勝つにはまず避けることが大前提にある。それがだめなら情報を封じる。他にも手を探す。
「まず勝ちて後に戦う」……これが必要となる。
なぜ異世界のサバク王国とやらが那津美や環、雪見らを召喚したか?
単に戦争の駒として、である。そんなものに異世界の民間人をなぜ巻き込むか。
環にしてみたら、21世紀現代日本の方が、はるかに危機的状態にあるのに! ゆえに作戦を独創し、ダゴンを破壊せしめた……方法は。そのままではダゴンが衰弱していくしかない事態に追い込んだ。
というのはトリックであり、深き者たちに信じ込ませただけなのだが。いちおうは高知性のダゴンはともかく、その配下はパニックとなり……自滅への道を選んだ。おおむねの死因は皮肉にも、海水の富栄養化による酸欠死だった。
一方で、世界が滅ぶかに思えたその刹那。那津美はなにをしたか? 海底の鉱脈からとある金属を発掘して精製させていた……深き者たちに。その設計図の金属をごまかして。濃縮ウラン精製……しぜん、核爆発。
活断層に強烈なインパクトである。たちまち連鎖反応で海底火山が噴火しまくり、海は沸騰した……
これは使い古された手である。使えるものなら環はとっくに使っていた。史実の暗黒神話にも、核弾頭でクトゥルフを封じる短編がある。
繰り返すが。
世界を滅ぼす、なんて簡単だ……海でダイオウイカをたくさん捕まえて、袋詰めにし。『ルルイエの館より愛を込めて』と、一筆したうえで世界中の港町に送り付けてしまえばいい。
否、そんなことをせずとも現代を覆う脅威には……人口爆発とそれにともなう食料の不足、それを加速する貧困と環境の悪化、資源の枯渇とエネルギー問題。さらには温室効果ガスによる地球温暖化が挙げられ……
これらに各地の不和と無理解と、暴力と犯罪が追い打ちをかける。介入して支援で賄おうにも、私利私欲による富と権力の独占で、まるで効果が期待できない。
さらにはフェイクニュース。これに関しては……?
一枚の紙切れを那津美は環にさしだした。
(太陽や月や小さな灯火よりは……
こころには
こころと同じ大きさの水鏡を
常に入れておきたいね。
いつもは役に立たないかも。
でも
水が真っ黒ににごったとき
きっときれいにすべてを映してくれるよ
ただ水面の波がぴたりと静まる
こころの凪を待たないといけないけれど
すべてが終わったら、きっと水は、
純粋な透明に戻るな……
ただし私のこころには水は入っていない。
真紅の酒が入っている)
「これ、おまえが書いたのか」
「うにゃ」得意げな那津美。顔が赤い。
はっと気づく。
「おまえそれ、酒ではないのか? やめろ」
環は那津美のグラスをはじいて、ゆかに落とし割っていた。
「はみゅぅ~、もったいない。アクリルなら割れないのにぃ……それもやわいなぁ」
「やわそう? 戦闘機の防風にも使われている。割れないよ、強化ガラスよりも」
へっへー、と軽く笑い飛ばす那津美であった。「ガラスなんてやだなぁ。環がガラスのハートなら、わたしなんて豆腐メンタルですよぅ」
と、ここで愛用のノートを取り出す那津美だった。なにかメモを始める。
「なにをしている?」問う環。
「実用新案の提出にゃ~。民間のコメ国軍事産業にぃ、新しいアクリル素材としてぇ、大豆タンパクベースになるプラントを開発してもらって……」
環は半ばキレた。叫ぶ。
「おまえがいつも真面目なのは知っているがね、俺はもっと神さま信じているんだ!」
「あれれ? どうしちゃったの、環ちゃん~っ。わたしがいままで冗談をいったことがあるぅ?」
環はなんとか自分を制していた。このあまりにミもフタもないこというやつが、敬虔な信者と名乗るなら俺だって……
「……はじめて自分に信仰心があるとわかったよ。ありがとう」
「そうにゃ? ならゃ結婚式は神前でぇ、お願いね~」
仏前の方がいろいろな意味で諸経費が省けそうだ……と、つくづく思う環であったが、それを口に出す勇気はなかった。
思わず祈る。
(俺は旧支配者よりコズミックホラーな女を、なんだって相手にしているんだろう?)




