12 誰にもいえるはずのない秘密を
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(学ラン、裂けちまったな……裁縫は好きじゃない)
などと思いつつ、裁縫が比較的得意な高校生だった。そう、環である。
玉城環は先ほど戦った白衣の魔法使い……たしか、王宮次席魔導士のソルト……から受けたナイフの手傷を自分で手当てしていた。
バンダナで代用していた包帯を解くと、重ねたティッシュペーパーでガーゼしていたいくつもの傷は、もう出血が止まっていた。
薬なんてないので、傷口をペットボトル入りの水道水で洗ってからざっとハンカチでふいて、次いでコーヒー用のスティック白砂糖を傷口にすりこむ。消毒と消炎くらいの効き目しかないが、塩よりはマシだ。砂糖はあまりシミないから苦痛は少ない。
敵のナイフの攻撃は、主に左腕の背で受けていた。これはナイフ戦闘の初歩的なセオリーである。そこは比較的動脈が深いから、致命傷は負いにくい。
ここで改めて『事実』を復唱する。
美貌の理数教師、『ソロバンの悪夢』……あの我島先生が自分の母だなんて!
環が幼少の当時まだシングルマザーとなれなかった母は、DV野郎のゴミ父の名義だけ借り、環を父子家庭として育てた。養育費は母が出してくれた。
別居していた父はその大半を、安酒とパチンコに使っていた。
父はその後、籍を抜き母と環、双方と絶縁した。別縁で別の妻子がいたのだ。そちらに移ったのだ。
あの父のこと、そちらの妻子もどんな扱いしていることやら分かったものではない……というかわかり切っているが。いちいち相手していられるほど環には力はなかった。
そんな環の母、我島雪見は美形だが、実は当時でも三十路後半であった。学生結婚して環をもうけた。この年齢については、まず誰も信じない。まさに美魔女も好いところ。
これが母では、環の美的感覚もズレて当然だろう。
とにかく母に迷惑を掛けたくない。その一心で、環は生きていた。
母は離婚後すぐに再婚して、我島となった。環と別性だ。裕福だが歳の離れた夫の我島氏がいる。人身売買同然ではないか……
一方で環は、玉城という男の養子となっていた。ほんの一時期だが。
異世界への転移はそんなころ起こった。環の高校ごと、異世界……サバク王国へ招かれてしまったのだ! 王国の敵、邪神ダゴン配下のいわゆる無尾両生類、深き者どもと戦う尖兵として……
母はそいつらに憑依されていた王国旅団に忍び込み、自ら弾道計算をもってして砲火を呼び、敵を殲滅した……自らのいのちとひきかえに。
だからそこで、環は思い切って……
はっとして想いを振り払う。ダゴンをいかにして倒したか。これはメンタルを病む荒業だったのだ。
なぜって。
ダゴンを倒したのは環だが、ほんとうに異世界を破壊せしめたのは、環ではないのだ。バレット・アウトロードではない! これを環はずっと隠していた。
犯人といえば犯人の……世界を滅ぼしたその実行者の名は、那津美。横島那津美。
環の……長い付き合いの正式な恋人である。
那津美はただものではない。
『簡単な世界の壊しかたマニュアル』なるものを自作し持ち歩く女子高生!
しかも創作物はそれだけではない。どれもあまりにきわどいから、いちいち触れたくないが。
そんな横島那津美は、出生に秘密がある。なんと日本土着の妖怪、酒吞童子と雪女の一人娘だった……酒呑童子≒横島直人と雪女≒真理の……
そのむかし。雪山でよくあるロマンスだが。
とある深夜にて、嵐荒れ吹雪く高山の……ちっぽけな小屋で雪女と二人きりとなった酒呑童子は。この冷える夜を二人で酒を酌み交わして暖を取った。
しかし、酒はいくらでもあるわけではない。このままでは二人とも凍え死んでしまう……
酒呑童子は一計を案じ、
雪女の作った氷の船で、雪山を脱出した。
船といってもある意味ジェット機に近い。動力部の氷は二酸化炭素を凍らせたドライアイスであり、気化すると莫大なガスとなりそれが高速で噴出することで推進剤となる。
そしてこの両者は生き延びて夫婦となった……
その怪しげな情報の真偽はともかく。
横島那津美。事件を起こした張本人……彼女は。十二年前に。
現実世界各国の主要な港に、「ルルイエの館より愛を込めて」と一筆された巨大な郵送物……ダイオウイカまるまる一匹の干物を送り付けてしまったのだ!
しかも念入りに、贈り主の名をその国の敵対国ないし仮想敵国に記していた徹底ぶりである。
宝くじ二等、1千万円当たったから後払いにして、と、漁船にダイオウイカを何百匹も無理に狩らせたのだ。
宝くじについてはディスティニーだったと、那津美は語っている。当選番号を語呂合わせで、末尾が4540と、723とだけをバラで一万円分買い込んでいたのだ。まさかそれが複数当選して幾万倍にも増えるなんて、だれが予想できる?
あとはどうなったか? 語りたくもなければ忘れたい環だった。
世界なんて簡単に崩壊するものだ。こんなバカがいては。
しかし環は、そんな那津美を愛していた。
横島那津美とは、極めて変わった少女だろう……才能、性格、趣味、容姿。どれも素晴らしいのに、ズレた人生しか送れないような子。
けっして悪人ではないし、バカであれ頭は悪くないのだ。むしろ高校の成績は好い。まして容姿といえば、天使のようだと同世代の生徒は口をそろえる。
そんな那津美だから、事件を起こした動機に、
「世界中で仲良く酒のつまみにしてほしかったの」
と、だけ述べる。
いささか狂った事態ではあるが、かくして環と那津美は加齢しないまま、12年間を見た目が高校生カップルとして生きてきた……
それもあと一年だ。ダゴンは復活する。その前に……手を打たなければ。
しかし、ダゴンは邪神。神は死にはしない。転生するとしたら、自らを殺したものに憑りつく。憑依する。
つまり、ダゴンはバレットたる環の身体に乗り移ってよみがえる……
それを少しでも防ぐために、玉城はレベルを固定していた。だからこそティアラも破壊したし……
環が魂を集めていた理由だ。憑りつかれたなら、憑りつき返す。憑りつく悪霊を次々と転売して、金と力を手に入れる。
いずれは己の身体から、ダゴンを完全に消し去ってやる。いや、たかだか人間の寿命ではそれは不可能に近い。ならば……強敵と戦うのみ。
ここで妙な情報の符号の一致に気付く。
見覚え聞き覚えある名……玉城太郎がこのサバクの前国王のタロット占星王?
まさか、あの養父はいったい……環を引き取ってから、すぐに蒸発し、行方不明となった謎のおじさん。母と同い年だったことくらいしかしらない……
玉城太郎。……『弾来たろう』。弾、バレット、鬼太郎。
タロットとは、正式な発音はタロウ。
そして……タオ=王道。
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