1 『経験不足』
「こんなに本があって良かったぁ……シグレ、結構本読むんだ……」
本を膝の上に置きながら、私は書斎を眺めた。「知見を広めるのはとても大切な事です」と言ったシグレは、とても冒険者の事を理解していた。今ならそれが分かる。
知識は力だ。嘗て誰かが、ペンは剣よりも強し、なんて言ったのも今なら納得出来る。冒険者は知識を欠かさない。急遽その場でキャンプをすることもあれば、周辺の物を食料とする事もある。知識がなければ出来ないし、何より魔法の類にも、剣を振る職ですらここでは大量の知識を必要とした。
自由に読めと案内してくれたシグレの書斎はとても広く、しかし最近では使われていないようだった。
本を読むと、私の想像したよりも沢山の、私の中の常識が覆されるようなものが幾つもある。
職が偏に決められないのも、理解出来た。この世界に於いて職業は非常に多彩で、そして金銭を稼ぐよりも深い意味と力があった。
私は本を閉じると、立ち上がる。このまま読み続けるのもいいが、この世界を見て回るのも良いだろう。
少しは慣れないといけないのだ。しかも私はシグレ以外友人が誰一人として居ない。これは由々しき事態であり、私から前の世界の記憶が消える前の大切な前準備段階とも言える。
クローゼットを開くと、躊躇なく一つの衣服を選び着替え始める。
服は拘りすぎる事はなくても良い。費用が嵩む。
だが、見窄らしい格好では、今後の交流に関わる。金が無い。人脈が無い。力も、無い。ならば、せめて低く見られないだけの格好を。
私がここに来てからの五日間。シュトルツが早々にシグレに金を借り、簡易的な武器や防具を揃え、持ち前の、武器の適正を使い、焼付け刃でも多少様になっている剣術を学び、冒険者の登録を済ませ、ダンジョンに出発する、五日間。
シュトルツの行動が早いと文句を言った私だが、なにも、なに一つとして行動していなかった訳では無い。
私が着替えたのは、最速で持ち前の裁縫術を使い、シグレのアドバイス付きでこの世界向けに繕った服。
素材は質素なものの、作り手はこの私だ、前の世界の知識もあればまだマシに繕える。
多少の露出もあるが、質素で落ち着いた雰囲気の黒が基調の服。
私は如何せん胸が控え目……ああそうですよ!無いんですよ! なんか文句あるか。……控え目だから、女性の魅力を惜しげも無く、なんていうのは出来ないが、それでも私はそれなりの私らしい格好が出来たと思う。
そして私は変な輩が近付いて来ても、それを利用出来るほどの度胸がある。だが、面倒なのと、単純に人が苦手なので本当はもっと控え目にしようと思った。……のだが、シグレが「目付きで相殺処かオーバーキル出来ますよ」なんて本気で言うものだからそのままにしてきたのだ。
……どこまでもムカつく身体。頭が痛い。
私はそんなに女の魅力がない事は自覚しているし、目付きで相手を殺せるならそれで人が近付かない要素からして満足だった。
でも、全く振り向かれないのはそれはそれでムカつくのだ。ここが乙女心の難しい所である。肝心の恋い慕う相手はどんな状況でも見てくれはしないのだが。
私は着替え終わると鏡の前で満足。もうなんでもいい。取り敢えず、本来の目的として低く見られなければそれで良いのだ。
家から出て扉を開けると眩しい太陽の光が私を出迎える。
そして、前の通りを通っていく馬車や道を歩く亜人や同種族を見渡し、少し気分が高揚する。
ここはアラグレーの街。この世界では非常に貴重な武器が多彩に揃う、冒険者の聖地の街だ。
∀
浮気や不倫、というと私の世界では倫理に反する行為として批判されてきた。
要は恋人や結婚相手が既に居るのに他の人と浮名を流す行為だが、ここでも同じく浮気や不倫は最低な行為として扱われている。
だが、ここではその中でも、一夫多妻制が存在した。
大方、第一、第二と続く妻の了承、つまり妻となる人の理解が無ければ出来ないし、貴族に多いものだが、その知識が入ってくると私の世界よりもその批判され具合は緩いように感じてしまう。
そして、この世界ではもう一つ、恋人でなくとも浮気や不倫の様に忌み嫌われる行為が存在する。
「いらっしゃい」
その店に入ると、無愛想なお年寄りの女性が一人、カウンターに座っていた。店の中にはボードが幾つも設置してあり、そのボードには大量の紙が貼ってあった。
カウンター横には紙束を雑に本状にしたようなものが数冊あり、その近くに立っていた女性が紙の束をじっくりと無表情で眺めていた。
店には他にも客が居るようで、私が入った途端に数人がこちらに視線を向けるや否や小馬鹿にするような視線を送ってくる。
その視線に睨みを効かせながら、私はボードに近付いた。
『No.19、ベルガ。種類、大剣。見た目、イラスト参照。契約期間、3ヶ月以下、延長は月金貨50枚。契約対価、毎日の手入れ、立派な鞘、その他話し合いにて。禁則事項は武器として以外の使用の禁止。アピール「見ろ! 俺様の凛々しい姿を! 『魔狂戦士』なら報酬まけてやる! 身体強化魔法が得意なのと、魔力は3だ! 前に料理に使った馬鹿が居たから、禁則事項を追加したぜ!」』
まず目に入ったのはこの紙だった。
イラスト欄には、縮尺からして馬鹿でかい剣が描いてあり、割と緻密に書かれている。
正面、上、側面、それぞれの図が描いてあるので全体的に形は分かるし、重さも素材も細かく書いてあるが、後半辺りの内容になってしまうと、ここまで細かく読むものなのだろうかと疑問が湧く。
――この世界では、武器は意志を持つ。
しかし種族としての認識はされていない。というのも、無機物であるからだ。
自己増殖能力は無いが、エネルギー変換機能も進化する性能もある事がある。しかしまあ細胞なんて無機物なんだから当然無いわけだし、結論からすると、生物では無い。
だが、生物では無いとされる一番の要因は何より、武器自体の明確な、「生物では無い」とする意思だ。生物では無いのに本能というと違和感はあるものの、その意識は本能に刻まれているらしく、それが昔から生物ではないとする所以であった。
そして、意思ある彼らを使うに当たって必要なのが、契約であった。
魔物を使役する職の者と似ているが、武器との契約の場合は、殆どの冒険者が扱うことになる。
「貴方にはそれはまだ早いんじゃないかしら?」
その紙を見ていると背後から声がした。反射的に振り返る。
「まだ……早い?」
悪意のある発言かと思った。しかしそれを言った白髪の女性に存外悪意は無かったようだ。不気味で妙に色気のある妖しい笑みを浮かべている。
「ええ。例えば……あなたはこの子がどんな風に見える?」
突然の質問に、少し考えて返す。
「う、うーん、ええと、なんか、書いてあることは普通の大剣? に見える気もするけど、見た目が――」
「「派手過ぎる」」
私と言葉を被せて同じ事を言う女性。少し目を見開くと、重く、不気味で、しかし力強い死の匂いを漂わせるその女性は「ふふ」、と軽く笑って紙に目を向けた。
その剣は絵からしてもとても異様だった。剣の柄に嵌められた三つの宝石の様なものも、装飾にしては大きすぎる。
つつ、と紙を指でなぞりながら言葉を更に紡いでいく。
「まだ貴方、武器屋に来たことが無いのね」
「なんでそれを知ってるの……?」
生まれた疑問を投げると今度は女性の方が驚いた様に目を瞬いた。紙に触れながら、当然、といったように続ける。
「実績もランクも製造詳細も書いてない募集に目を向ける、明らかな経験不足の女の子――佇まいは隙が多くて、周囲への警戒も散漫。どこをどうとっても、冒険者登録したてか、まだ登録すらしていない一般人に限りなく近い子ね。お金が無くなって冒険者になるしかない子にしては服は清潔だもの。武器契約に目を向ける辺り、一般人から抜ける意思は多少なりともありそうだけれど」
ゆっくりと、しかし流暢に、落ち着いた声色で淡々と私の質問に答える女性は、紙から手を離すと私にやっときちんと目を向けた。
目の奥を舐めるように見つめられ、私も女性の目を見つめる。すると、女性は驚いたかのように目を見開き、しかし直ぐにその表情を元に戻すとつり上がった口角から心底面白いと思っているかのような声色の言葉を発した。
「私の名前はエナキア。ここで会ったのも何かの縁ね、貴方の名前は?」
「わ、私……?」
私は正直、この女が不気味で仕方が無かった。私はこの人への警戒心が出ているのを自覚していたし、また相手もそれを感じ取っているだろう。
その中で名乗ってくれた意図を考えるべきだろう。敵対の意思も、害する意思も今のところは無いとみても大丈夫だ。しかし、それを加味しても関わっていいような雰囲気には思えない。
だが、私には人脈が必要だ。コネが必要だ。素人の私でも、この人は相当強いであろう事は分かる。
口を開きかけ、私は不安という感情と、合理的思考の狭間で一瞬揺れ、そして――エナキアの目を見つめた。
「私はナナツキ。貴方の言う通り、初心者よりも初心者の一般人。……よろしくね」
最後に笑みを浮かべて手を差し伸べる。エナキアは目を見開き――。
「おいおい、エナキア、ビビってんのかァ!?」
突如、どこからか声が響いた。咄嗟に周囲を見渡しても、どこにも声の主らしき人物は居ない。
「ったく、ここは俺様も自己紹介だな!」
エナキアに目を戻し、驚いた。その背中に巨大な剣が背負われて居たからだ。
声は明らかにそこから出ていた。
「俺は――ベルガだ。嬢ちゃんなら、契約報酬まけてやっても構わねぇぜ?」
「あ、え……」
「なんだぁ? 武器見て驚くなんざ、やっぱ珍しいなァ」
因みに武器は喋る。普通無機物は喋らない。
「いや……この募集の紙に書いてある、大剣……?」
「ご名答……っつったって、そりゃ名前も見た目も一致してりゃあそりゃあ分かるわな! ハハハハ!」
何が楽しいかは分からないが楽しそうに返事を返してくれる。まあ悪いやつでは無いのだろう。
「私はナナツキよ」
「知ってるぜ! ハハハハ!」
「慣れないなぁ……」
武器が喋るのに違和感が酷く付きまとう。というか、声はどこからか出ているのか。
「それにしても驚いたよなぁ!? あのエナキアが興味を持つ女なんてよぉ! お気に入りなんだろ?」
「ベルガ、口を縫われたく無ければその無駄口をやめるべきね」
「怖ぇな! エナキアぁ! ま、口なんて無いんだけどな! ハハハハ!」
「…………?」
興味? お気に入り? 首を傾げる私に、エナキアが表情を変えずに囁く。
「そうね、ベルガの言う通り、気に入ったのは事実よ、だけどこんな――」
そこまで言うと、口を閉ざす。少し間を置くエナキアに違和感。先程から、エナキアの私に対する態度は違和感が酷くある。
こんな私に興味を抱く時点でおかしいのだ。私には何も無いはずだが。
「まぁ、困ったら私の所においでなさい。ギルドの方でも私の名前を出せば、少しは助かるはずよ。冒険者に必要なのは――知識と、力。後者はどうとでもなるけど、前者は得るのに相当時間がかかる……私になんでも聞くといいかしらね」
力を得るのにどうとでもなる、というのもおかしい話だ。私は取り敢えず何も言わないまま、先程放置されていた会話を掘り返す。
「そういえば……私にはベルガが早い、っていうのは、どういうこと?」
「単純な能力の差。『狂戦士』用の大剣は基本的に初心者に向かない。それは、同じ職の者であっても能力値が大きく違えば同じ事……ベルガは少ない情報から他の情報を読み取るほどの上級者を求めているってだけ。情報の少ない契約募集書は、大抵上級者用のもの。武器も人を選ぶ、そういうことよ」
目を見開く。何に驚いたかって、初心者の情報の回りの優しさが無さすぎる。
ギルドで働いているシグレも、それが運営している武器契約募集の斡旋の武器屋も、何一つ教えてくれなかった。
「情報は――武器。初心者は、とても苦労するでしょう。でも貴方は自分で考える事も出来る。きっと上手くいく筈よ」