3 『殴るぞ貴様』
そして私は、そんな思考を回している最中、いや、いつからかすらも分からない間に、見覚えのない場所に来ていたのだった。
何処までも広がる海、海、海。
下を覗けば深く吸い込まれてしまうかのような暗黒が私を覗いていて、蒼に黒を塗り重ねたかのようなその海の深さに、眉を寄せる。
私はといえば、ただ海の上、お茶の置かれた机の前に、同じく海の上に置かれた椅子の上にさも当然かのように座っていたのだった。
「うーん、君は? ここに人が来るなんて、珍しい。初めまして」
私は迷子になりやすい方ではあるが、海上に迷子になった事は一度もない。
確かに溺れそうになった事はほんの星の数程あるが、海での迷子で溺れていないという状況は私の経験上初めてだ。不思議。
「あの、君の名前は?」
そして、ここに来るまで、つまり迷子になるまでの過程の話だが、確かに私はそれまでの記憶がほんの星の数ほど抜け落ちている事がある。
まあつまりは、単純に、何も考えずに移動していたら迷子になっただけなのだが、私は過程を一切想像出来ない場所に迷子になったことは一度もない。謎。
「ええと、どうやってここに来たの?」
更に言えば、私はお茶会なんてした事すらない。まあそれが普通かもしれないのだが、私は少しワクワクしている。女の子らしさが出るのではなかろうか。楽しみ。
「なーんてね! いやー、やっと成功したよ、呼び出す存在はまだランダムだけど、これが成功したんならこれから退屈せずに済むかも!」
トドメとばかりに、私は県を三つ以上越す行為をした事がない。
つまりはそこまでの遠出の旅行をしたことがないのだが、私の記憶にはこんな景色はやはり存在せず、私の一時的な記憶の想起とも言い難い。
遠出の旅行が無いのは私がすぐ迷子になるからである。遠出の旅行で迷子などシャレにならない。
「あ、あのー、もしかして聞こえない? うっ、うそ、さっきの子はちゃんと通じてたのに、もしかして僕のミス?」
ダメ押しとして、私は人間である。人間である以上、いや、生物である以上、いやいや、この世界に存在する以上、物理法則……つまり世界のルールには逆らえないのだ。私は真の力を秘めているとかは無いので、海の上を歩くことは出来ない。だから、どんなにうっかりしていても海上を歩いてこんな所に来るなんてことは有り得ない。
そして、この椅子も机もまた、同じなのだ。
結論からすると、ここは現実ではなく、有象無象の類の私の脳内での出来事に過ぎなくて……まあ遠まわりをせずに言うなら、夢である。
夢であると認識したのはいいが、覚め方が分からない。
取り敢えず頬を摘んでみるが、ダメである。
そんなテンプレ法で夢から覚めるなんて未だに信じているのは、まあ仕方ない。一度やって見たかったのだ。
「ええ、聞こえないの……え、でも、見えてもない……? なんで反応しないの……?」
「見えてますよ」
「っ、!?」
仕方ないので、無視し続けるのは可哀想だと目の前の人物に目を向ける。めんどくさい。私は対人の力が極端に無いのだ。"ない"というより、したく"ない"の方だが、まあそんな違いはどうでもいい。
「見えてるじゃんッ! 聞こえてるじゃんッ! え、僕、こんなにマイペースな人初めて見たよ? しかも、目付き怖ッ! え? 何? もしかして嫌われてる?」
「夢に嫌いも好きも無いです」
「辛辣! え? いや、嫌いなんだよね? そうならそうと言ってもいいんだよ?」
なんだこいつ。
ずっと目を背けていたが、目の前に鎮座するこの青年は、どうやら私の夢のメインらしい。
これみよがしにお茶会の真ん前に座られたらそう認識するしかないが、こいつは何なんだろうか。夢は記憶の再現だとかなんとか聞いた事があるが、私は残念ながらこの青年と対面した記憶は無い。
このうるさい白髪の青年はどうやら私に用があるらしいが、全くもって身に覚えのない私はどうしようも無いのである。
「あの、帰らせて貰っても良いですか」
「!? この状況に少しは動揺しても……夢だと思ってるんだっけ?」
「夢じゃなかったら他に、何が……」
私は現実主義である。私の行動が現実主義に沿わない非合理な怠惰で構成されているのに関しては突っ込まないで頂きたいが。
因みに、先程言及された私の目付きの悪さはもうもはや周知の事実である。普通の女の子を自称しては居るが、私は目付きがかなり悪い。周囲は慣れてもう言及する人は居ないものの、初対面での反応はまあ大方怖がられるのが普通。
初対面だから常識として敬語を使用しているが、このふざけた状況で敬語を使っているのも違和感。だって、夢である。夢に対して敬語? うん、おかしい。
「敬語なんて外しちゃってイインダヨ? あ、いまこいつ心読んだ! って顔したね! ふふん、僕はこの空間に来た人の心を一部分読む事が……」
「死ね」
「敬語外して最初の発言がそれ!? もうちょっと気遣ってもいいんでないかい!?」
「話進展しないからもっと声と内容抑えてくれない?」
「あ、はい……」
敬語を外せとの仰せだったので外し、ついでに他者への敬意……こいつへの敬意を忘れて端的に結論を求める。恐縮したように丁寧な言葉を使う相手に、少し目を細めて見せる。
ちなみに私は突かれたらどうしようも無いブーメランが大量にあるので、この今の私の冷静さは相手が冷静さを欠いている事による冷めた感情である。
私は数秒沈黙し、相手も喋り難そうに沈黙し、奇妙な空白が生まれた空間に私は改めて質問を投げてみる。私はこの沈黙に慣れている。いつもこの空気に放り込まれるが理由は分からない。運が悪いのだろう。
「ええと、ここは、夢?」
「違います……」
「どっちでもいいけど、取り敢えず早く帰りたい……いや、覚めたい? んだけど、そこらへんどう?」
「無理です……」
「あの、なんで私ここに居るの……?」
「分かりません……」
「殴るぞ貴様」
「ひゃいッ!?」
話が進まない。殺意が沸いた私に相手は飛び上がる。完全に関係がおかしい事になっている。