2 『いつもの』
∀ ∀ ∀
固いベッド、薄い毛布、窓に打ち付ける雪。
寒さを感じながら毛布を手繰り寄せ、私はこの世界に来た時の事を思い出していた。
∀
『ナナツキ! シュトルツくんが待ってるから、早く降りなさい!』
『全く……あの子、私が呼んでも起きないんだから……』
『いつも悪いわね……ほら、ナナツキ!』
『う〜〜………』
お母さんの声だ。そして後に続くおっさんの声は誰だろう……。……私だ。
階段を登る音がする。この音は、毎日の幸せの時間の終わりの時間だ。ああ、やだ、起きたくない。そんな毎日だった。勿論、私の怠惰は今でも続いている。
「ヴァ〜……」
起きたくなさに思わず自分でも信じられない程のおっさん声で呻いて見せるも、状況が変わる訳では無い。
ガチャ、という音と共に誰かが入ってくる。
「う〜〜起きたくない〜……学校休みって言っておいて〜……」
「…………………」
「いやああぁぁぁぁぁぁぁ! 溶けるぅぅぅぅうぅ! 溶けちゃうぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
ベッドの傍らに立つ人物は私の懇親の頼みに聞く耳を持たず、カーテンを開けると容赦なく布団をひっぺがす。
離れていく愛しの温もり。思わず叫びながらバタバタと暴れるも、どうにもならないのである。ああ、無常。
「……」
朝っぱらから大声を出し子供のように駄々をこねる私。眠気は多少吹き飛び、少し落ち着くと死んだ目で前に立つ人物に目をやる事もせず、ベッドに伏せたまま一言。
「……おはよ、シュトルツ」
「……………」
這うようにベッドから降り始め、準備を始める。
するとシュトルツは慣れたように直ぐに部屋から消え、一切その人物に目をやることがなかった私は気配が消えるのを察知し、数秒後。私は改めて鏡に映る自分の姿を見る。
……………。
「ひでぇなこれ……」
しかし私はこんな感じの毎日を送っていたのを、今でも後悔はしていない。反省はしている。
∀
「おはよー、ナナツキ」
「おはよ……ふぁ……」
朝の準備を終え完璧に寝坊せずに済んだ私は、いつも通り親友のみきちゃんと合流、登校。
距離が離れているが、前を歩いているのは、私を起こし、家から出るまでを確認し終わった幼馴染の……幼馴染の……………。
ええと、彼の名前は、なんと言ったっけ。思い出せない。
いや、思い出した。今の世界では、シュトルツという名前だ。だが、前の世界……そう、ここでの名前は思い出せない。改めて考えると、やはり寂しい気分になる。
そう開き直りながら自分の名前をしっかりと思い出す。
私は****。
陳腐な名字に時代遅れの古い名前。わかりやすい意図の名前だが、この古臭い名前の場合私からしてみれば本当にセンスが無い。そして私は昔から本当に幸が薄い。これは関係ないか……。
思い出せてないや。
「ナナツキ、よく寝起きの姿を好きな人に見せられるよね」
「もう慣れたよ……。だからそろそろ、寝起きの私のセクシーな姿でも見せて惚れさせようかと思ってるんだけど」
「開き直りすぎてるのと、後半は冗談って認識でオーケー?」
睨みを横に飛ばすと、ジョーダンだよ、と軽く流すみきちゃん。私にも色気が無いことくらい分かっている。ムカつく。
ナナツキ、というのはあだ名であったはずだ。自分の名前は好きではないから、あだ名で呼ばれるのは嬉しい事だ。何故ナナツキになったのかは、忘れてしまったが。
それにしても、母親までにも呼ばれるのはどうかとも思う。
幼なじみのシュトルツには、もう何年もこうして毎朝起こして貰っていた。毎日の様に遅刻する私を見かねて家の前で待つようになったシュトルツ。
最初の頃は待たせているという罪悪感が私を強く動かしたが、それも最初の方だけ。
直ぐに寝坊するようになった私は母に叱られ、それに伴い私を待つシュトルツも遅刻させるという最低の行為を幾度か繰り返した。
勿論教師に叱られ、自分の事かの様に私を毎日ちゃんと起こす為の策を練り始めるシュトルツを見兼ね、私はとうとう『シュトルツが起こせば良いじゃん!!』とやけくそ半分、怒り半分で言ってしまったのだ。
勿論シュトルツに対しての怒りではなく、お人好しのシュトルツの優しさに対する私の不甲斐なさから来るものである。
「みきちゃんだって分かってるでしょ? あいつが私に興味の欠片も無いなんて」
「いやいや、あの無表情の中から何を読み取れっていうの? 私そんな天才じゃないよ?」
「そもそもあいつが色恋沙汰に興味が無いなんて分かりきってるじゃない。知ってる? 今月で六通目よ」
六通。これは彼に渡された手紙の数であり、今日が月末である事を考えても異様なのである。そしてスマホの普及するこの時代、わざわざ手紙を使う機会なんて殆ど無く、手紙が意味するところはひとつしか無い。
青春の高校生とは言うものの、少しばかり異常だ。
「ラブレター……。多分あの人、直接告白もされてるだろうからなぁ……それ含めると、やっぱり異常かもね」
来月はバレンタインもある。どうなる事か想像もつかない。
でも、彼はこれらの全てを悉く断って来ていた。断り方は知らない(見たくないから見た事ない)が、勿論敵は多く、手紙の中には時代錯誤と思われる果たし状すら存在しているという噂だが、彼がどのようにしてそれらの困難を乗り越えているのかは分からない。
増える紙の量。取っておいても厄介事になりそうだし、でも優しい彼は捨てる事も出来ず、迷った末に私に全部捨てられるのが毎回のオチだ。
毎年のバレンタインのチョコレートに関しては決して食べられる数では無いため、みきちゃんも呼んで3人で黙々と減らす始末。
そんな暮らしの中で、相当にモテてライバルの多い彼に勝ち目のない恋をしてしまい、幼馴染という利点を差し引いても有り余るほどの平々凡々で好かれる要素のない私はこんな感じで毎日暮らしていた。
「み〜き〜ちゃ〜〜ん! もう、私ダメだわ……」
「ダメっていうの、口癖になってるよね。私、それ良くないと思う」
「う……分かってる……分かってるけど……」
そう言っていると、諦めがつくような気がするのだ。その割には諦めきれていないが。
前を歩くシュトルツは私達の会話を聞いている様子はない。シュトルツはいつも真っ直ぐで、自分の道を進んでいるようなイメージしかなかった。その背中は広めで、体格も割としっかりしている。物理的に。
学年……いや、学校きってのイケメンのシュトルツに毎朝起こされているという他の人にとっては素晴らしい日常も、私にとっては胸が苦しくなるものであり、それは私の寝癖が悪いのに加え、案外寝起きの残念な姿を見られるのは恥ずかしいと気が付いたからだ。
もっと上の年ならば諦めもつくだろうに、私は花の高校生、JKである!
JKが好きな人に寝起きのボケた姿を晒した挙句おっさん声で呻くなど、私の青春の1ページは既にインクを零した書面である。死にたい。
だが私の怠惰は私に花の高校生生活を送らせてくれるつもりは無かったらしく、起こされるのにとうとう慣れてしまう始末。
始末に負えないとはこういう事を言うのだと、私の辞書に新たな知識が増えた。要らない。死にたい。
「ま、まあ……いつかどうにかするよ」
取り敢えず先延ばし。私の怠惰は相当に罪が重いようで、私自身中々本能についていけない。
そんな私に何を言うわけでもなく、ただため息をつくと前を向くみきちゃん。みきちゃんはザ、普通な女の子を自称しているが、かなりしっかりしている部類なのだ。
私からしてみれば、普通の基準なんて全く分からないけれど!