8 『魔狼』
「こいつらは、困惑してる。殺したいのに殺したくないなんて、そんな感覚ははじめてだ。まるで、世界に拒否されてるかのようにな。だから、離れようとした。なのに、"なんとなく"、"なんとなく"付いてきてるんだ」
「"なんとなく"だ! ニンゲンに! "なんとなく"!」
「俺達の意思は関係がねぇんだ! ただ、"他の誰か"の意思が介入してるかのような、気持ちわりぃ感覚で、ただ、強制的に行動させられてやがる」
「一番気持ちわりぃのは、"他の誰か"が、あんたじゃない事だ。でも、"あんたでもある"」
この狼は怒ってるようで、その殺意はとてつもないのに、他にも、絶対"敵対すまい"とする意思が感じられて、それらがぶつかってるようだった。
だから、手も出ない。攻撃も出来ない。
狼の言うことが理解出来ない。私はこんな状況を望んでる訳では無いのに、私の意思が介入してる? いや、言い方からして、本命は"他の誰か"で、二の次に私の意思だということだろうか?
考えても、わからなかった。
「てめぇ、何しやがったんだよ、なんなんだよ、お前」
「……それ、は……」
心当たりが無かった。あるわけが無いのだ。
セレナにはこれといった性能は無いし、装備品も珍しい宝具だとか魔道具だとかそういうものでは無い。
どういう事、なんだろう。
「わからない、けど……」
「けど、なんだよ? そもそも、なんのためにここに来たんだよ、お前。こいつらが、可哀想だ」
そこで気が付いた。
後ろの魔物達が、怯えている事に。ずっと付いてきてる時も、今ここでも怯えていた。攻撃したくても出来ない侵入者に。
今までとは毛色の違う事態に、怯えている。
「私は、ただ、移動手段を……? 手に入れたくて……」
もうそんなの要らないから、帰りたい。私の本心だった。
「移動手段……?」
心当たりがあったら掘り出し物だが、今は寧ろ、ない方が良かった。もう終わりにしたかった。頭が痛い。
慎重に言葉を選ぶべきだろうか。
分からない。どうすればいいのか。
なんとか言葉を絞り出す。気持ち悪い違和感と、狼の威圧感に、頭が痛い。
「どう、したいの? 帰って欲しいなら、帰るから、許してほしい」
「……ッ!」
変化は突然で劇的だった。
何が起こったのか理解が出来ないまま、膝が一瞬で曲がって、地面に付いた。
威圧をぶつけられたのだと気が付いた。その密度と強大さは、自分でも気が付かないうちに膝を地面に付かせるほどのものであった。
「お前、お前は……!」
「な、にが……」
瞳孔が縮み、心臓が痛む程鋭い視線が向けられている。
体が一切動かなかった。体から冷たい汗が流れる。それ以上は何もしてこないのを分かっていて、それでいて、恐怖で足が竦んでいた。身体は、恐怖に屈服していた。
「………………………」
「『防護』」
セレナの声が聞こえ、私の体に膜が張られた。
このスキルは、外からの攻撃的な干渉を一部肩代わりしてくれるもので、スキルにも少しだけ効く。
威圧に効くのかは分からないが、気持ち少しだけ楽になった。セレナが、なんとか捻り出したスキルだ。無駄には出来ない。
「……っ、ふっ……ぁ……、」
膝に力を込めた。私の脆弱な身体が、全力を尽くしているのが分かった。震える足を強く保つ。
「………っ、」
息を吐く。ゆっくり、ゆっくり__。
一気に力を込めて__立つ。
「おま、え……」
帰りたい。帰りたい。私には荷が重い。
「ナナツキさ……ひっ…!?」
セレナを構える。
構えも、だらしないものだ。身体が動かないから、最低限の関節だけに力を入れた、ちょっと押されたら直ぐに崩れるような姿勢。
それでも、相手は攻撃出来ない。
何がトリガーになって相手が威圧をぶつけてきたのかは知らないが、今は帰りたかった。
剣の切っ先を狼に向ける。到底勝てなさそうな、魔物。ズキ、ズキ、と痛む頭はしかし、この状況を良しとした。
「ここに留めるようなら、攻撃する。何度威圧をぶつけられようと、攻撃する。絶対に攻撃する。何度でも、何度でも抵抗する。避けられようと、絶対に追いかける」
「なっ……」
「早く、望みを、言って」
ふら、と体が揺れる。相手をぼんやりとした目で見つめると、狼が固まった。
早くここから、この魔物から、離れたかった。私にこの威圧は重すぎる。
「……あんたの名前は」
「……ナナツキ」
「ああ、そうか、ナナツキ。……じゃあ、一つ、契約しようじゃないか」
頭が痛い。ガンガン、と石を打ち付けるような音がする。
「けい、やく」
「ナナツキ、俺は、『魔狼』という種族だ。ナナツキ、俺に名前を付けろ」
「そして、俺を、次のお前の行き先まで……」
頭が痛い。
前足を出してきた、『魔狼』とかいう魔物に近付いた。反射的にそうしていた。
前足に触れる。意外と毛は柔らかく、心地が良い。
耳にはもう、何も入って来なかった。ただただ、頭が本能的に言葉を受け止め、最後に何か、返事をしたようだった。
「______」
私の記憶は、ここまでしかない。