7 『帰りたかった』
「そろそろ、夜なのですが……」
「………………………」
あーあ、なんにも成果無し。
何時間も経ったにも関わらず、本当に私は成果を得られなかった。入ったら分かるとか言ったやつは後で殴るとする。
「帰るか……」
成果はもういいや。寧ろ今から見つけても、時間がかかりそうな気がした。
そう思った瞬間だった。
「あれ、なんでしょう、か……?」
ふざけんなよ……。
その言葉をなんとか飲み込み、溜息に留める。
セレナが声を発した方向を見つめると、小さな生物の群れがその方向に大移動していた。
気が付かなければよかった。帰りたい。
「最悪」
「今更ですか?」
「言わないで、お願い」
思わず悲鳴のような声を出してセレナに頼む。私は今、後ろを振り返れない状況に有るのだ。
「まぁ、こんなにいたら、私も、あんまりみたくない、です……」
言うなって。
後ろからはおぞましい足音がいくつも重なって重なって、吐き気がする程脳みそを掻き回す。
狼、ムカデ、蛇。それだけならまだ良かったのに、今はその平穏は見る影も無い。数えるのを一瞬で諦める程の量の魔物、魔物、魔物。
うんざりしそうだった。いや、うんざりしていた。
最早、私の前の世界での知識を持ってして例えに使えるような動物は居ないような魔物すらいる。
私は深呼吸をした。これらが着いてくる中で、私の前を歩く生物は珍しい。それを、セレナは指摘したのだろう。
私は鼠について行くことにした。
魔物は未だ襲ってこない。それが気持ち悪くて、別に襲われたい訳ではなかったが、胸がムカムカした。
∀
「……来たか」
「何そのテンプレ」
思わず口を出た言葉に、咄嗟に口を塞ぐも、言葉を発した後ならば意味も全く無いだろう。
鼠に案内されたのは、洞窟だった。中は暖かくて、生ぬるいお湯の中にいるかのようだ。
セレナが震えていた。洞窟の奥に座る、大きな魔物を前にして、その圧倒的な存在感に、震えていた。
勝てはしないだろう。大きな体躯は、馬を超え、四本足なのにも関わらず人間の身長程であった。
しかも、それは怠そうに地面に伏せている状態で、だ。
半目を開け、その灰色の吸い込まれるような虚無をこちらに向けてくる。奈落よりも深く、暗闇よりも寒い虚無の瞳だ。
視界に移ったその瞳が怖くて、私は一切目を合わせなかった。いや、誰でもそうするだろう。
大きさだけで言えば、魔物の中では平均よりは大きいだろうが、そこまで大きいとも言えるような大きさではなかった。
だが、それを凌ぐほどの存在感。
前足の爪は大きく、あれで攻撃されれば、脂のように裂かれてしまうだろう。
スラリとしているのに筋肉はしっかり付いているであろう身体は素早そうで、攻撃をしても当たりはしないだろう。
……狼だ。
「別に貴方に会いに来たんじゃないけど」
「……………」
セレナの震えが大きくなった。余計な事を言って刺激するな、と言いたかったらしいが、この時の私はそれを知る手段は空気を読むことくらいだった。当然無理である。
といっても、勝てないのは分かった。ただ、ただ、格の違いがあった。
私のセリフに、その大きな狼は目を見開いた。
「……俺も、あんたに会いたかった訳じゃないんだけど……」
思ったよりも軽い喋り口だった。しかし、威圧が変わる訳でも、その存在感が変わる訳でも無い。セレナの震えは依然止まらず、かく言う私も余裕がある訳では無かった。
「じゃ、その鼠はなんなの……?」
「これは、こいつらが勝手にお前を連れて来たんだ」
相手の目的がよく分からず、質問したらそんなことを言うもんだから眉を寄せる。鼠の群れはその会話を機に散り、洞窟の外に去っていった。
「じゃ、この後ろの大量の魔物はなんなの?」
「それは……」
困ったような声を出しながら、狼が身体を起こした。
普通に座る様子は犬の様でもあったが、雰囲気は優しいものでは無い。
「本来なら、もうとっくにアンタは死んでるんだぜ」
「そんなの知ってるから。じゃあ、何がイレギュラーだっていうの?」
「俺が、こいつらが、お前を殺したくない事がイレギュラーだ」
分かっていた。本来なら、死んでる筈だ。何かしら、イレギュラーがあるのだと。だが、何を言っているのか分からない。
会話が噛み合わない。
だが、相手も同じくらい困惑していた。必死に、筆舌に尽くしがたい"何か"を伝えようとしているかのように、唸るように声を出してくる。
軽薄な、そう低くはない声調だったが、どう表せばいいのか困惑している。それだけは伝わってきた。
「じゃあ、本来なら何が原因で死ぬのよ」
「俺らが侵入者を殺したいからだな」
「今回のイレギュラーは?」
「お前を殺したいけど、殺したくない事だ」
殺したいけど、殺したくない。
その意味を、私は理解出来なかった。種族の違いからくる、解釈の違いやコミュニケーション、行間の読み取りの違いだとか、そういうものでは無いのは相手も同じ状況であることから察することが出来る。
質問を変える。
「なんで、呼んだの?」
「俺が呼んだんじゃない! じゃあ、あんたは来たかったか? そんなゴミ虫みたいな力で、そんなゴミ虫みたいな武器を持って、俺んとこに」
「……」
いや、来たかった訳では無い。
まあ、そもそもこの森の奥の洞窟にこんな魔物が居るなんて知らなかった訳だが、帰りたかったタイミングなのは間違い無い。
ほんとに、運が悪い。