二三:五七:四一
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「ねえ、知樹、これからどうするの?」
「どうするたって、ラビリンスに入っちまった以上、ゴールするしかないだろう?」
桐元は扉に描かれた通行禁止のマークを一瞥しながら、吐き捨てるように言った。
「そりゃ、そうだけど……わたし達、ゴール出来るのかな?」
「そんなの、やってみなけりゃ分からないだろう」
桐元は沙紀の言葉にいらつきながら、視線を通路の先に戻した。目の前に白い通路が広がっている。ミスター・ラビの説明にあったように、通路は三×三メートルの大きさで一ブロックを形成しているようだ。人が数人並んで歩けるほどの幅はある。ちょうど電車の幅と同じくらい。高さは電車よりもあるようだ。床は正方形に区切られており、そのブロックの切れ目には溝のような線がある。恐らくどこかでブロックの床と壁を作り、ここまで運んで接続して作った迷路なのだろう。
桐元は通路の壁に手をつけてみた。滑らかで、冷たかった。真夏だというのに通路の中は快適な温度に保たれている。不必要なほど心地よい気温に調整されているようだ。新鮮な空気を取り入れ、空調システムで冷却し、迷宮内に循環させている。それだけに空調が止まったときのことを思うと寒気がする。天井の両脇に空調の為の隙間がある。そこから絶えず空気の漏れる音ようながしていた。そのお陰もあって通路の壁が冷たくなっているのだろう。通路を白く照らす照明は恐らく蛍光灯で、天井脇の側面に通路と平行して一直線に並んでいる。ここは絶海の孤島のはずだが、一体どこから電力の供給を得ているのだろうか。先へ続く通路は妙に明るく感じた。
桐元が天井を見上げると、三ブロックほど向こうにガラスで出来たドームが見えた。ガラスはやや黒味を帯びている。あのガラスの中には、自分達ゲーム出場者を監視するカメラが入っている。あのカメラの向こうで何者かが、このゲームの一部始終を観戦している。それは何者か? この島の持ち主である持山幸造自身であることは間違いないが、彼だけということはないだろう。持山が法外な金持ちであるとはいえ、一人で楽しむには、この島は余りにも贅沢な設備が整い過ぎている。持山幸造の他にも多くの観戦者がいるに違いない。隣にいる沙紀を見ると、彼女はうつむき加減に呆然としていた。そんな姿が、気の毒に思えた。
「おさらいしよう、沙紀。期限は二十四時間しかない。その間にラビリンスのゴールまでたどり着かなければならない。いいな?」
沙紀は桐元を見つめながら頷いた。どうも沙紀には覇気がないように見えた。ツンツルテンの小さな服を無理に着せられた子供のような顔つきだった。それでもかまわずに桐元は続けた。
「しかも七枚のカードキーを揃えなければ、この迷宮を出ることは出来ない。つまり、あと六枚のカードキーが必要で、かつ、それらは別の通路を進んでいるチームが持っている……ということは……だ」
桐元はそので言葉を止めた。沙紀はそんな桐元の目を見つめながら、黙って続きを待っていた。彼女はほとんど半べそ状態で、口をへの字にしている。こいつは本当に大丈夫だろうか? 自分と共にこの過酷なサバイバルゲームを勝ち抜く気はあるのだろうか? 桐元は喉を締めつけられるような不安を感じた。
「……つまり、この通路を進んでいけば、いずれ別のチームに出くわすということだ」
「別のチームと鉢合わせになるの?」
「そうだ、別のチームと遭遇する。これは絶対だ」
「うん……」
二人は押し黙った。別チームと遭遇。そうしたら次は何が起こる? それを考えずにはいられない。
「この通路は恐らく二次元だろう。階段がないとは言い切れないが、平面上を進むのであれば最初に出会うのは隣の扉に入った連中だと思う」
「ええと……、あの『光』って書いてあった扉に入った人達のこと?」
「そうだ」
桐元は髭男の顔を思い出した。髭の濃い分、頭の毛が薄い男だった。体つきは痩せ型だがスポーティに見えた。恐らくなにがしかのスポーツマンだろう。肉弾戦で戦うとなればかなり苦戦するのは間違いない。桐元は記憶を辿り、彼等のアイテムが懐中電灯だったことを思い出した。あれがどんな利便をなすかは今の段階では分からない。目の前の通路は蛍光灯で照らされており、懐中電灯など役立つ余地は皆無に思える。もしかしたらこのまま先に進むと、通路が暗闇になるのかもしれない。もしそうなれば、懐中電灯は威力を発揮する。
「俺達の最初の相手は彼等になるだろう。まず彼等から『光』のカードキーを奪わなければならない。それに彼等が持っている便利アイテムの懐中電灯も必要だ」
桐元はそこまで言って口を閉じた。彼等からそれらを奪う方法について言及するのを避けた。どちらにしろ、彼等が大人しくカードキーを渡すとは思えない。そんなことをすれば待っているのは確実な死なのだから。遅かれ早かれ、殺し合いをすることになる。
「ねえ、そういえば、わたし達の便利アイテムは?」
沙紀が言うと、桐元は、はっとして背中の背負い袋を下ろした。大事なことを忘れていたことに気づいた。中からA四サイズの生成り封筒を取り出す。封筒は心細くなるほど薄っぺらで、中に何かが入っているようには思えなかった。封筒は曲げるとしなる。中身は軽く、薄いもの。おそらく紙に違いなかった。しかも、糊で厳重に封印されている。桐元は封筒の端を指で切り、中を覗いた。封筒の中には思ったとおり、やや厚手の紙切れ一枚が入っているだけだった。桐元は落胆しながらそれを抜き出して眺めた。沙紀も隣から顔を寄せてくる。紙には方眼紙のような升目が無数、記述されていた。所々色つきの升が存在している。
「ははぁん……」桐元が頷きながら声を漏らした。
「なにこれ?」
「ラビリンスの地図じゃないかな?」
「地図?」
沙紀が甲高い声を上げた。桐元は返事の代わりに小さく唸った。意外なアイテムの登場に、桐元は正直言って驚いていた。桐元の予想通り、これがラビリンスの地図だとすれば、この迷宮は、やはり平面上だけの存在になる。なぜならば、階段らしきものが記述されていないからだ。地図を見ると、一番下の部分に大きな部屋があった。その部屋から七つの道が伸びている。それぞれの道はくねくね蛇行して伸びており、いくらか進んでから別の道と合流していた。この部屋が、すぐ後ろに見える部屋だとすれば、一番右端の道が桐元達の『知』のコースなのだろう。地図を頭の中で現状と重ねてみると、矛盾しているようには思えなかった。
地図はこまめに描き込まれているようだ。大まかに言って正方形に見える。桐元は縦と横の枡目を数えてみた。それからミスター・ラビの説明の言葉を思い出し、頭の中で反芻した。そうすると、おのずと見えてくるものがあった。一番上に部屋のようなものがあり、上に向かって扉がひとつあるが、そこから先の地図がない。恐らく、その先に目指すゴールがあるのだろう。
「太線で描いてあるのは扉だろうな。スタート地点にも確かに七つある」
桐元は後ろを振り返った。進入禁止のマークのある扉だ。
「うん、じゃあ、この個室みたいのは何かな? 星印がついているけど」
「個室っていったら……トイレだろう」
「ああ、そっか。ミスター・ラビが言っていたよね。通路内にトイレがあるって。じゃあ、この道の真ん中にある黒丸は何かな?」
「さあな。でも行ってみれば分かるだろう?」
「うん」
海賊の残した、宝物のありかを示す地図を手に入れたかのように、沙紀は目を輝かせている。この地図に宝の位置がある訳ではなく、ゴールして初めて金が手に入るのだが、彼女の中ではたいした違いはないのかもしれない。
「あと、この白丸も行けば分かるな、きっと」
「そうね。この網目のある通路は何かな? 入口と出口に扉があるようだけど」
「それも行かないと分からないな」
地図上は普通の通路に見えるが、扉で両端を区切られている部分があった。それが意味ありげで、いかにも怪しい。行ってみなければ、何を意味するのか分からないのがもどかしい。沙紀は更に地図を眺めた。何事も見逃すまい、という気合が彼女の瞳に漲っていた。
「ねえ、この端のコースだけ、おかしくない?」
桐元は沙紀の指の先を見た。確かにひとつだけおかしい通路がある。それは桐元も気づいていた。迷宮は六つの扉から入り、それぞれ隣のコースと一旦重なり、ひとつに収束して伸びている。六チームそれぞれが一チームを倒し、三チームになる。更に、残った三チームのうち一チームだけが先に進むという、ゲーム企画者の意図がはっきりと見てとれた。だが一番左端、つまり桐元達から一番遠い扉を進んだチームは、別の六チームと接触することなく通路が伸びている。彼等は最終的に、六チームの生き残りとのみ戦えばいい位置にいる。非常に有利なコースだ。桐元の脳裏に、ある男女の姿が思い出された。彼らは左端に立って扉が開くのを今か今かと待っていた。そして真っ先に『飛』と書かれた席に着いたはずだ。つまり彼等は、このシードコースが存在することを予め知っていて、このゲームに挑んでいるのではないだろうか? 桐元は舌打ちをした。
「これって、やっぱりシードだよね?」
沙紀が怒りを込めた声で唸った。彼女も桐元同様、その可能性に気づいたようだ。
「そういうことだな。汚いことしやがる……」
このサバイバルゲームの裏情報を知っている人間がゲームに参加してきている。それはこのゲームが命懸けでありながら、決してフェアなものでないことを物語っている。彼等が更に我々の知らない情報を握っている可能性は高い。いや、そう考えた方が自然だろう。恐らく彼等は、勝利を約束された参加者に違いないのだ。自分達のゴールの可能性、つまり生存の可能性が一気に減ったことを桐元は自覚した。胃の底がぐっと重くなり、怒りと共に焦燥感が募った。地図を持った手が震える。そこで思い立ち、桐元は地図を裏返した。予想に反して白紙ではなく、手書きで何か書いてあった。
「真ん中になんか書いてあるね?」沙紀が顔を近づけて地図の裏を覗き込んだ。
「『トイレを探せ』……それだけだ」
「なにそれ? 誰かが書いたメモかな?」
「こんなところにメモなんか書かないだろう、普通?」
「じゃあ、何?」
「分からないな……後で考えよう」
行けば分かる。後で考えよう。そんなことしか言えないとは、自分でも情けなく思う。桐元は紙を表に戻し、地図をもう一度眺めてみた。混み入った迷路が上下左右に伸びている。さっき見た地図と何も変わらない。だが、桐元はそれを見ながら、小さな笑みを浮かべた。
「俺達のコースもまんざらじゃないのかもしれないな?」
「どうして?」
沙紀は目を丸くして桐元を見つめた。
「地図を持っているのは俺達だけだ。少なくても他の五チームよりは有利かもしれない。シードコースには及ばないが、な。……そうだろう?」
「なるほどね。わたし達の武器は情報ってわけね」
沙紀は何度も頷きながら言った。桐元は独り言でそれに答えた。
「つまり、これが『知』の便利アイテムなんだ」