第4話「接近」
「……”水の精霊よ、顕現せよ”」
唱えた瞬間、手の中に青い球体が発生する。
球体は空中で静止したまま、ふよふよと漂っていた。
ふふん、と思わず得意げに鼻が鳴ってしまった。
”ミイス魔導物語”を教本に魔法の修業を始めて一か月。
私は光・炎・風・水の四種類の精霊を呼び出せるまでになった。
一か月で4種類も精霊を呼び出せるようになるなんて、自分でもこれはすごいんじゃないかと思う。少し得意になっている自分がいる。
そして、使える回数も増えた。
初日は一回、次の日は二回、次の日は三回……と順調に増えていき、今では何回使えるのかよくわからない。多分、光の精霊なら百回くらいは使えるんじゃないかな?
「……ああ、でもミイス王女は、7歳のころには百種類以上の魔法を使えるようになってるんだった……」
そう。物語を読み進めるうちにわかってきたが、このミイス王女はすごい。
子供のころからありとあらゆる属性の魔法を使いこなし、7歳になるころには大人顔負けの魔法使いになっていたのだ。それも、彼女は独学でだ。彼女の本を手本にしている私とは違う。
「本当に、彼女みたいになることなんてできるのかな……」
目の前に立ちはだかる大きな壁に、思わず身震いする。
……ううん! 私はまだ魔法を始めて一か月なんだ。まだまだ腐る必要なんてない。
「うん。時間はたっぷりあるもんね」
自分にそう言い聞かせ、気を取り直して本を読み進める。
その時だった。
「マルテちゃん? 入ってもいい?」
お母様だ。
どうしたんだろう。読書の時間は声をかけてくることなんてなかったのに……
「はぁい、お母様」
お母様はベッドの横の椅子に座った。
彼女はにこやかに私を見つめている。
「……どう? 本のほうは、ちゃんと読めてる?」
「はい、お母様! えっと、まだ一巻の途中くらいだけど……とっても面白いです!」
本当は読み進めようと思えばいくらでも読み進められたが、あえてゆっくりと読むようにしている。なんとなく、本に書かれている魔法を覚えるまでは、先に進みたくなかったのだ。
「そう。それはとってもいいことだわ。いいことなんだけど……」
そこで、なぜかお母様はわずかに視線を落とした。
「ミイスちゃん。本もいいけど、たまには外に出てみたら? その、あんまりこもりきりだと、体にも良くないと思うの……」
私はハッとした。
そ、そうか。そうだよね。この年頃なら、本当は外で思いっきり遊ぶのが普通だろう。
私は本に夢中になるあまり、ずっとこの部屋で過ごしてしまっていた。
お母様が心配するのも最もだ。ただでさえ、私は一回気絶して、体が弱い印象を持たれているのに……
***
「わあ、すごい広い……!」
目の前には、どこまでも続く平原と、黄金色の麦畑が広がっている。
「お母様ー! これ、どこまでがうちの領地なのー?」
「見えるところ、全部私たちの領地よー」
「ええ!? これ、全部……!?」
私は久しぶりに外に出た。
そこで改めて思い知った。我が家はとてつもない大貴族なのだと。
こんな広い土地、日本では見たことがない。
それと同時に、感動を覚えた。
どこまでも広がる青空に。この世界の広さに。
日本の狭い空しか知らなかった私には、それだけですごいことだと思えた。
「ちょっと、待って……マルテちゃーん!」
おっと。いつの間にかお母様を置いてきぼりにしていた。
しばらく立ち止まり、彼女を待つ。
「はあ、はあ……思ったより元気なのね、マルテちゃん」
「はい。私はとっても元気です!」
私が笑うと、彼女も笑った。
ふふっ。これくらい元気なところを見せておけば、もう心配されないかな?
「はあ。ちょっと走って疲れちゃった……木陰で休んでていい?」
「はい、お母様。ちょっと遊んでくるね」
彼女に手を振り、小さな道を行く。
遠くにポツリポツリと家が見える。私たちの領地って、大分田舎なんだろうな……
「ん? 何か聞こえる」
ふと、道の先から人の声のようなものが聞こえてきた。
わずかに胸が高鳴る。
家の人以外に会うのは、マルテになって初めてかもしれない。
ドキドキしながら、そっと声のする方に近づいた。
麦畑の陰から、様子をうかがう。
「……子供?」
小さな人影が、三人ほど……あっ、地面のあたりにもう一人いる。
何をやって……え?
「この、汚れた血め!」
「この土地から出てけよ!」
「俺たちの前に姿を見せるな!」
背筋を嫌な汗が伝った。
あれって……いじめ? だよね。
三人が一人を足蹴にしている。
うずくまった一人は、まったく無抵抗に蹴られ放題だ。
ど、どうしよう……!?
こんな場面、転生前にも遭ったことがない。
こ、怖いけど……止めないと。
「……あっ!」
いじめっ子の一人が手に石を持った。
あれは危ない。思わず体が飛び出した。
「やめなさい!」
彼の前に立ちふさがった。
震える体を叱咤し、いじめっ子たちをにらみつける。
「あ? なんだこいつ」
「ルゥ、お前の知り合いか?」
いじめっ子がうずくまる男の子に話しかけた。
「……し、知らない」
「おい、お前誰だよ。ルゥは関係ないって言ってるぞ」
「か、関係なくなんかない! 私の領地で起きた問題は、私の問題なんだから!」
「はあ? 何言ってんだか、意味わかんねー」
私は歯を食いしばって、彼らの前に立った。
これ以上の横暴は許さないと、目で語って見せる。
彼らは薄ら笑いを浮かべたままだ。
その時――先ほど石を握ったいじめっ子が、振りかぶる動作をするのが見えた。
男の子を狙っている。危ない!! と思ったとき――
私は咄嗟に手を掲げ、唱えた。
「”炎の精霊よ、顕現せよ!!”」
その瞬間、赤い閃光がほとばしり、周囲が燃えるように熱くなる。
私の手の中に生まれた赤い光球は、今までで最も大きく、熱くその場に顕現した。
私は、しばらく呆然と自分の生み出した精霊を見つめていた。
目の前には、腰を抜かして尻もちをついたいじめっ子たちがいる。
だが、やがて事態に気付いたように、あわてて立ち上がりだした。
「……う、うわわわわわ!!」
「こいつ、魔法使いだ!!」
「に、逃げろっ!!」
彼らは脱兎のごとく駆け出し、あっという間に見えなくなった。
その場には、私と男の子だけが取り残された。
「……や、やっちゃった」
人前で魔法。それも咄嗟のこととはいえ、攻撃手段として使ってしまった。
これは非常にまずい。知られるとお母様やお父様が鬼になるのが想像できる。
転生前は女子高生の私が、幼児のように震えあがってしまった。
ううん、なんか体に引っ張られて、精神まで幼くなっている気がする。
「……はっ! そ、そんなことよりも――」
振り返り、かばっていた男の子を見る。
彼は呆けた表情のまま、いじめっ子たちの去った方向を見つめていた。
「大丈夫?」
「え? あ、うん……」
声をかけ、手を引っ張って立たせてあげる。
あ、この子、よく見ると私より大きいな。年も私よりちょっと上かな?
と、冷静に考えていた私の思考は、彼の頭を見てフリーズした。
なんかある。
青い髪の、頭頂部に二つ、ぴょこんと飛び出たそれは……
まぎれもなく、犬の耳だった。




