第20話「貧民街」
これまでとは比べ物にならないほど薄汚れた街並みがそこにあった。
大通りの大きな建物に遮られ、ここには光があまり届かない。
足を踏み入れようとして、バルツがひるむのが分かった。
「……や、やっぱりここはまずい。普通の人はここに立ち寄らないんだ。ここじゃないよ、君の親は……」
だが、私は躊躇しなかった。
「ごめん、バルツ。それでも、手掛かりがあるかもしれないなら、行かずにはいられない。バルツはここで待ってて」
「……お、おい! 待てよ! 俺も行くって!」
今度はバルツが私の後ろについていく形になった。
これまでとは打って変わって人気がない。
しばらく歩いてみるが、拍子抜けするほど何も起こらなかった。
「か、帰ろう。マルテ」
「……そうね。手がかりなしか……」
引き返そうとしたとき、建物の間から、ぬっ、と影が現れた。
「待ちなよ」
影はしゃべった。
ボロボロのローブをまとった、影は人のようだった。
「あなた、誰? 私のことを知ってるの?」
「ああ、知ってるぜ」
意外な返答だった。
「本当!?」
「ああ……その身なり、言葉遣い……お前ら、貴族だろ」
「え?」
私が期待した答えとは違った。
彼は私を知っているわけではないようだ。
ただ、貴族だとわかったから声をかけたのか。
「マ、マルテ……まずいよ。まずいよ……」
震えるバルツを後ろ手にかばう。
「私のことを知っているわけじゃないのね……じゃあ、ごめんなさい。今急いでるです。さようなら」
「おっと……通さねえよ」
彼がそう言った瞬間、急に人の気配が増えた。
どこに隠れていたのか、似たような身なりの人間が何人も姿を現す。
「……これは何? どういうつもり?」
「てめえら、金持ってるんだろ……」
「お金が欲しいの? ごめんなさい、今は全く持ち合わせがないの」
「身に着けてる服、売っぱらえばいい金になるよなぁ」
「……服くらい、上げるわ。さすがに全部は困るけど。それで通してくれる?」
「……駄目だな」
「どうして?」
「……お前の態度が気に食わねえ。こっちは着るものにも困ってるのに、どうでもいいって顔だ」
「じゃあ、どうしたら通してくれるの?」
「……てめえの体を使って、たんまり稼いだら帰してやるよォォッッ!!」
彼の腰に閃く獲物を見た。
彼だけではない。他の人も全員、刃物を手にしている。
「マ、マルテっっ!! マルテ――――――ッッ!!!!」
バルツが絶叫して私に縋りつく。
私は自然体に構え、静かに告げた。
「”水の盾よ、護れ”」
分厚い水のカーテンが私たちを包む。
私たちに迫る荒くれ者たちの体は、水に飛び込んだ瞬間に勢いを殺され、その場にとどまった。
「こ、こいつッッ……!!」
「魔法使いだッッ!!」
「ええっっ!? マルテ!?」
だが、荒くれ者たちは止まらない。
私たちを捕まえようと水の盾を超えて手を伸ばしてくる。
「”炎の精霊よ、顕現せよ”」
私たちの周りに無数の炎の精霊を生み出す。
荒くれ者たちの手が、私たちを捉える前に炎の精霊に触れる。
「あちッッ!! なんだこれッッ!?」
「くそッッ……!! もういい!! 殺せ!! 殺せぇ!!」
炎の精霊にも構わず荒くれ者たちは突っ込んできた。
無数の刃が私たちに迫る。
……致し方ない。やるしかないか。
「”大地の剣よ、切り裂け!!”」
魔力で作られた剣が荒くれ者たちを切り裂こうとした時だった。
剣の切っ先は折れ曲がり、土くれへと変わった。
「ッッ!?」
予想外のことに戸惑う。
その私に、涼やかな声が告げる。
「殺す気ですか?」
思い出す。
バルダー家の一室で、魔法使いの青年と対峙したときのこと……
「”大地の鎖よ、縛れ”」
次の瞬間、地面から現れた赤い鎖が、蛇のように荒くれ者たちを縛り上げた。
「ぐああああああッッ!?」
荒くれ者たちが苦し気にうめく中、青年は華麗に建物の屋上から着地した。
「あ、あなたはッッ……!!」
「……ふう。一日目から、手を焼かせてくれますね……マルテお嬢様」
***
バルツは気絶していた。
突然のことに脳が限界を迎えたらしい。
「おーい、バルツー」
「はっ!? マ、マルテ!? さっきの男たちは!?」
「もう逃げたよ。ここは大通りだから、もう安心していいよ」
「そ、そうか……」
「ごめんね、バルツ。変なことに巻き込んじゃって……」
「い、いや、無事ならいいんだ……それより、マルテのほうこそ大丈夫なのか?」
「うん。諸々の事情は……この人から聞き出すから」
私は後ろで涼しい顔をしている青年を指した。
バルツは家へと帰っていった。
私は青年に向き直った。
「さあ、全部説明して頂戴……ことと次第によっちゃ、ただじゃおかないからね」
青年はフッ、と笑った。
「この前手も足も出なかった私を、あなたがどうやってただじゃおかないようにするのですか?」
「ぐっ……そ、それは……とにかく! あなた誰よ! 名を名乗りなさい!」
「これは失礼しました。マルテお嬢様。私はギルギスタ・レーン。この街におけるあなたの……お目付け役です」




