第12話「お別れ」
いつもの明るい道が、その日は恐ろしく暗く見えた。
足取りが重い。
今、私の隣にはお父様がいる。お母様もいる。
こんな風に三人並んで歩くことは珍しい。本当なら喜ぶべきことなんだろうけど……とてもそんな気分にはなれなかった。
すでに向こうと話はつけてあるという。
お父様は、ルゥとのことはとっくに知っていたのだ。
昨日の夜、ルゥも同じように親から何かを言われたのだろう。
そして私は……彼に別れを告げるために、いつもの道を歩いている。
だが、私は……ルゥが居なければいいのに、と願わずにいられなかった。
今日会うことがなければ、お別れを言うこともない。
あるいは、また会う機会が作れるかも……そんな思いは、丘の上にたたずむルゥの姿を見て、崩れ去った。
彼のそばには一人の男性がいる。父親だろうか。だが、頭には犬の耳はない。
やがて私たちは彼らのもとにたどり着き、対峙した。
ルゥの顔を見るのがつらい。
彼は初めて会ったころのように、弱弱しい目をしていた。
頬に赤く張られた痕を見つける。
それを見て、胸がズキリと痛んだ。
何も言えない私を、お母様がそっと背を押す。
一歩踏み出し、ルゥと向かい合った。
「あ、う……」
言葉にならない。
私は、本来なら女子高生で、普通の子供よりもずっと言葉をうまく使えるのに……今は、本当の子供に戻ったように言葉が出てこなかった。
どうしようもない私に、ルゥはわずかにほほ笑みながら口を開いた。
「マルテ、本当は領主様の娘だったんだね」
「あ、う、うん……」
「変だなぁ、って思ってたんだ。使用人にしては服はすごく綺麗だし、言葉はすごく丁寧だし……実はずっとそうなんじゃないかって思ってた」
「あ、あのね、嘘ついてて、ごめん……」
「いいよ。僕もこの半年間、楽しかったから」
「うっ……!!」
その言葉を聞いた瞬間、目から何かがあふれるのが分かった。
どうしようもなく、嗚咽が漏れだす。
彼は続ける。
「またいつか、僕と会ってよ。今度は、大人になってから。そしたら、今度は気兼ねなく話せる気がする」
「ル、ルゥ!!」
私は、とうとう……胸の裡からあふれてくる思いを、止められなくなった。
「本当に……本当にそう思ってる!? お別れしてもいいって!! 本当に思ってるの!?」
「ぼ、僕は……また、いつか君と会えれば……」
「本当に!? このまま、お別れでいいの!? ……私は、私は……あなたが望んでくれれば……!!」
本当はもう大人なのだ。日本でだって、18歳ごろには一人暮らしを始める人も大勢いる。私もそうしようと思ってた。
それだけじゃない。私には普通の人にはない力がある。
魔法を使えば、仕事だってなんだって……何とかなるよ。
だったら、この世界でだって……家を出るくらい、なんだってやってやる。
「ぼ、僕は……僕は……」
彼の唇がわずかに震える。
彼の口から、何かが出かかっているのが分かる。
お願い、それを口にして……!
「僕、引っ越すんだ」
だが、彼の口から出たのは、私が期待したものではなかった。
「……え?」
呆気にとられ、言葉を返すことができない。
彼は続けた。
「ここから別の領地の、大きな街に。そこには学校もあるから、勉強もできるんだよ。すごいでしょ? ここら辺の子供で、学校に行ける子ってなかなかいないんだよ」
「それって……それって……」
私はお父様を見上げた。
日の陰になり、表情は見えなかった。
「ち、違うんだ! 僕はもともと、体が弱くて……それで療養するために、こっちにいたんだよ。引っ越すのは、回復のめどがついたから」
「そんな……そんな……嘘……だって……」
今までそんなこと、一度も……
「……マルテには、知られたくなかったんだ。ほら、僕の体って、ちょっと変でしょ? だから、一緒にいて、心配させたくないなって……」
彼は笑った。
嘘をついている感じはなく、心なしかスッキリしているように見える。
「だから、体のことが良くなって、僕もうれしい。学校に通って、いつか立派な大人になれたら……その時は、マルテに使用人として雇ってもらうのも、悪くないかもね」
嘘、なんでそんなこと言うの……?
ルゥに分かちがたいものを感じたのは、私の勘違いだったの……?
彼は、彼は……
「だから、それまではお別れ。またね、マルテ」
彼が手を差し出した。
その手を見つめる。
体が震え、それを見つめる目が急速にぼやけていき……
「ルゥの……バカあああああァァッッ!!」
私は彼の手を握ることなく、走り去った。
振り返らずに、一目散に屋敷へと戻った。
ドアをけ破り、階段を駆け上がり、部屋に飛び込み、カギをかけると……
枕に顔を埋め、ひたすら叫んだ。
「ルゥのバカ、ルゥのバカ、ルゥのバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
白いシーツに、ぼたぼたと大粒のシミが出来ていく。
その日、私は誰にも会うことはなかった。
夕食に出ることもなく……ひたすら自分の殻に閉じこもった。
そして日は落ち、朝日が昇り、何日か経った後……
お父様の報告で、ルゥの一家が領地を去ったことを知った。
***
彼女が去っていくのを、半ば呆然と見つめていた。
持ち上げた手を下げることができない。
喉の奥が熱い。
胸がズキズキと痛かった。
だが、涙を流すのだけは、必死でこらえた。
彼女が戻ってくるかもしれない。
それまで、このお芝居は続けなくちゃいけない。
……本当はもう一目、彼女の姿を見たいと思う。
どうか、戻ってきてはくれないか……
だが、彼女が姿を見せる気配は、なかった。
空虚な僕を、父が優しく頭を撫でた。
彼女の父親が、ゆっくりと近づいてくる。
そしてしゃがみ、僕と視線を合わせた。
「よく言った。これで君の母親も救われるだろう」
「……はい」
「それにしても、見事な口上だった。私は君を見くびっていたようだ。おかげで、マルテに無理を言って従わせることもなかった」
「そんなこと……買い被りです」
本当にこれで良かったのかと、今でも自問している。
この大人の言うことを振り切って、彼女と共に逃げることも……
だが、そうすれば、父は……母は……マルテは……
「それでこそ、向こうの学校に推薦した私の顔も立てられるというものだ」
「ありがとうございます、エルフラン侯爵様……」




