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 ――世界は三度、滅亡の危機にさらされた。

 約六百年前、のちの世で『第一魔王』と呼ばれることになる滅亡の危機があった。


 当時の人類はその文明をほぼ失うところまで滅ぼされた。

 けれど、それでもどうにか、勇気をもって『魔王』と呼ばれる脅威に立ち向かった者により、完全なる滅亡はまぬがれた。


 その時――対抗するための準備はなく、兵器もなく、戦闘技術もそう高くなかった時代。

 そんな時代に『勇気』をもって人々のために戦い、絶望のふちにあった人類に活力を取り戻した存在を『勇者』と呼び――

 ――この呼び名は、現在まで『魔王を倒す者の名』として語り継がれている。



 次の危機は約三百年前。

 第二魔王の襲来だ。


 滅亡しかけた人類は増え、第一魔王の――まだ『第一』とは呼ばれていなかったが――襲来から学んだ彼らは、戦いの備えを、ある程度は、していた。

 けれど三百年の安泰は、気の緩みを生んでいた。


 備えはあったものの、第二魔王の襲来によって、再び人類は築き上げた文明を失う。

 けれどこれも三名の『勇者』により――直接魔王と戦った『勇者』と、それを支えた人々により退けられ、人類はまた生き延びた。



 そして数年前、『第三魔王』の襲来だ。

『三百年周期で人類滅亡の危機がおとずれる』。

 その説は人類の半数が信じ、人類の半数が疑っていた。


 ところが半数が信じていたように、魔王襲来はあった。

 しかも今度は、伝承にあったどの魔王よりも異質(・・)――戦いの中で『外界より来たりしモノ』と呼ばれることになる、形状・特性ともに類を見ない魔王とその配下が現れたのだ。


 そのおぞましくも冒涜的な存在は、人類を恐怖させ、あるいは信奉させた。

 魔王を『神』とあがめ、魔王による滅びを『運命』あるいは『救い』と思う者さえ、出現させてしまったのだ。


 この未だかつてない危機を打ち破ったのが、『旅人ロレンツ』『騎士モーガン』『聖女ホリー』『大魔術師ヨランダ』の四名であり――

 人類はどうにか、文明を失うことなく存続している。


 だけれど、魔王が倒れてもその残党はまだ生き残っていて――




        ◆




「【犬】は第三魔王と一緒に現れた、『外界より来たりしモノ』よね?」



 冒険支度を終えて、クエストの発生する場所まで向かう。

 半日はかかる道のりだ。

 だから、夜のうちに出発して、途中でキャンプをしている。


 キャンプスポットだ。

 今、世界の各地にはこのような簡易宿泊所が数多く存在する。

 旅人ロレンツ――『魔王を倒した四人の勇者』の中でも、特に『勇者』と言えば彼を指す……そう言われる勇者ロレンツの提案により、いたるところに設置されているのだ。


 簡易宿泊所の周囲には『魔物除けの結界』が張り巡らされ、いくらかの食糧や酒が常に備蓄されている。

 宿泊施設はないのだが、結界内部にテントを張ることで、モンスターを警戒することなく、安全に世を明かすことができる。


 アシュレイとマナは、『瞳のような模様が中心に描かれた五芒星』――『魔物除けの結界』がいっぱいに描かれた地面の上にテントを張り、その中にいた。

 ……夜は、冷える。

 二人で別々の毛布にくるまり、温かな飲み物を手に、魔導ランプを挟んで向かい合っていた。



「モンスターは多い。魔族は『第一魔王』と『第二魔王』のころのが、もう少ないけど、まだいるわ。でも――『第三魔王』にまつわるモンスターとか魔族は、クエストとか公式な書類だと、特殊な記され方になる。『【犬】』みたいにね。だからみんな避けやすいのよね」

「…………」



 アシュレイは手の中の木製ジョッキの中身を見る。

 そこに注がれた、湯気立つ濃い赤の液体に映る、自分の顔を見ていた。


 黒髪に黒い瞳。

 どこかぼんやりした顔の――人からはどうにも無機質で機嫌悪そうと思われるらしい無表情の、少女。



「第三魔王とその配下は、ちょっと違う(・・)。うん……えっと、それまでの『モンスター』とか『魔族』みたいに、『強い』っていう感じじゃないのよね。『気味が悪くて厄介』っていうの? そんなのの相手を、あなたみたいに若い子が望んでするっていうのは、事情が気になるのよ」

「……」

「よほどの事情があるのは、わかるわ。……それでもよかったら話してくれないかしら?」



 アシュレイは視線だけ動かして、正面に座る少女を見た。

 マナ。

 白銀の体毛の、幼い獣人の少女。


 ……見た目はまだまだほんの子供なのに、やっぱり彼女からは年上のような雰囲気を感じる。

 逆にアシュレイは――自分は、見た目は大人びていて、落ち着いて見えるとよく言われるのに、中身はまだまだ、子供だ。


 モンスターにいよいよ挑む、その前夜。

 あまりにも心細い、逃げ出してしまいたくなるような――たとえ絶対に叶えなければならない目的があったとしたって、心が逃避を求めるのを避けられない、寒い夜。

 手が震えてしまうようなこんな夜に――


 はき出すことでこの震えが少しでもやわらぐならば、言ってしまいたい。

 ……そう思ってしまうのは、仕方のないこと、なのだろう。



「私には……【犬】の『人の精神を吸い取る舌』が、必要なんです」

「……そんなおぞましモノ、どうして必要なの?」

「妹が――心を、壊されてしまって……」

「……」

「第三魔王の配下である魔族たちは、見ただけで人の心を揺さぶって、壊してしまうんだって……妹は、その姿を、見たんです。そいつらが、私たちの両親の血を吸い尽くしてカラカラにする姿を……」

「……」

「だ、だから……」



 思い出すだけで、心がぐらぐらと揺れるような感覚がある。

 その光景を見たのは、妹だけではないのだ。


 脳裏に描けば、動悸は激しくなり、呼吸は荒くなる。

 ――蘇る赤い景色。


 夕暮れ。

 窓から差しこむ光が赤い絨毯に降り注ぐ。


 クローゼットの中にいた。

 細い隙間から見えるのは赤い景色。

 両親がいた。


 戦っている。

 でも、及ばない。


 透明なそいつらは、隠れたアシュレイとその妹を守ろうとする両親の必死の抵抗をあざけるかのように、しばらく両親の抵抗を楽しんでいた。

 透明な触手が、両親の肉に突き刺さる音を覚えている。

 両親は踊った。踊るようにバタバタともがいた。

 だんだん細っていく体。苦悶の表情。

 反対に、両親を襲ったそいつらは、透明だった体を両親の血で、赤く、赤く――



「……落ち着いて。ごめんなさい、無理に聞き出して」



 ――肩に手が置かれて、アシュレイの意識は『現在』に戻ってくる。

 寒い夜だというのに、体はびっしょりと汗で濡れていた。


 アシュレイは荒い息を整えながら、片手で自分の額に触れる。

 そこに流れる汗は、ねばついていた。



「ねえ、アシュレイ? 息を吐いて。息を吸って。『大丈夫』って、小さく、何度も、言い聞かせるように、自分に唱えてみて?」

「…………大丈夫、大丈夫」

「うん。大丈夫。大丈夫」



 ぽんぽん、と背中が軽く叩かれる。

 ……気付けばマナはぴったりとアシュレイに寄り添っていた。

 小さな彼女。

 けれど、背中をなでられるたび、まるで母にそうされているかのような安心感が湧き上がってくる。



「無理に話させて、ごめんね。教えてほしいなとは思ったけど、聞かなくたって、あたしはあなたを手伝うもの。だからあとは、あたしに任せて!」

「いえ……聞いてください。言わなければ、いけない、ことです……いつかは、誰かに。明日、【犬】に立ち向かう前には、乗り越えなきゃいけないんです。『第三魔王』の配下への恐怖を、乗り越えなきゃ……」

「……わかったわ」

「両親は、死んでしまったけど……私と妹は、隠れていたお陰か、無事で……でも、妹は両親の死を見せられて、心を、壊してしまったんです。おぞましい、乾いていく両親の、黒くなっていく、カラカラの、体……」

「……つらかったわね」

「私は、私はまだ、大丈夫でした。でも、妹はその時のショックで、なにも話さない、なにも感じない、人形、みたいに……生きているだけ、指示に従うだけの人形に、なってしまって」

「……」

「だから、私は、私は――妹の、心の傷を、取り除いてあげたいんです。そのために『舌』が必要で……」

「……【犬】の舌にそんな効果があるの? ……第三魔王にまつわる魔族やモンスターの素材は、人類の役に立たないことで有名じゃなかった?」

「……でも、妹を診てくださっている『まじない師』が、そういう療法があるって……聖女ホリー様の治療院でも手の施しようがないって言われた症状だったんですけど、方法があるんだって言ってくださって……」

「ふぅん……『人の精神を吸い取る舌』に、そんな使用法が……」



 マナは首をかしげていた。

 たしかに、あまり聞かない療法だ。


 ……無駄かもしれないとは、アシュレイも、思っている。

 それでも、試さずにはいられない。



「……【犬】に立ち向かうのは、たしかに怖いこと……です。でも……妹をずっと、あの時の恐怖の中に置き去りにすることよりは、マシだから……私……」

「……なるほど。話させて、ごめんね? でも、聞いてよかったわ」

「……」

「今夜は眠りましょう? あなたが眠るまで、あたしが手を握ってあげるわ! 優しく子守歌も歌ってあげる!」

「…………」



 マナ。

 小さな獣人の少女。


 こんな子に手を握られて眠るなんて、少し恥ずかしいような気もする。

 けれど――



「……はい」



 アシュレイはうなずく。

 一つの恐怖を乗り越えたばかりの心では、手を握られる安心感にあらがうことができなかった。

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