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ところでこの世界には『レベル』という概念がある。
最近できた概念だ。
『人の強さを数値によって段階的に示したもの』を、レベルと呼称する。
レベルはクラスごとに管理されている。
『剣士レベル五』が魔術師にクラスを変えた際には『魔術師レベル一』から始まるというような感じだ。
考えてみれば当たり前の話で、剣士として修練を積んだ者が、いきなり魔術師になっても、剣士であったころと同じぐらいの活躍ができるわけがないのだ。
『レベル制』のお陰で冒険者のリスクマネジメントは――その制度がなかった時代に比べ――簡単になった。
充分なマージンをとってクエストに挑むことも可能となり、生存率は飛躍的に上がった。
そのお陰で冒険者の平均レベルは高まり、人口は増え、かつて起こった魔王との戦いの際などは、勇者を無傷で魔王のもとにとどけることにつながったのだとかなんとか。
もっとも、いいことばかりとも、アシュレイには思えない。
レベル制のお陰で――
「またいらしたんですか、アシュレイさん。あなたでは『【犬】討伐クエスト』は受けられませんよ」
――このような弊害も、あるのだった。
ギルドの受付だ。
クエストボードに貼り出された依頼を受けたい時は、依頼書を持ってこの受付に見せることになっている。
そこで参加人数など細かいことを聞かれるのだが――
「……」
「そ、そんな、にらまれたって、ダメなものは、ダメですっ! 受付嬢は脅しには屈しませんよ!」
茶髪の小動物みたいな受付嬢がファイティングポーズをとった。
アシュレイは思う――断じてにらんでいないし、脅しているつもりもない。
顔が怖いだけだ。
「まあオリビア! ダメよ! そんな冷たいこと言ったら!」
マナが背伸びして、受付カウンターにあごを乗せる。
受付嬢は立ったまま仕事をしているので、その都合上、カウンターもちょっと高い位置にあるのだ。
マナぐらい背が低いと、普通に立っているだけでは頭頂部しかカウンターの上に出ない。
それでもリュックは巨大なので、受付から見えていたはずだが……
茶髪の小動物系受付嬢オリビアは、今気付いたようにあとずさる。
「ゲェッ!? マナさん!?」
『厄介な人に見つかったぁぁぁぁ!』
……みたいな対応だった。
「【犬】なんて厄介なものを倒そうっていうのよ? よほどの事情があるに違いないわ! くみとってあげて?」
「い、いえ、しかしですね……受付嬢は冒険者の方々に無茶をさせないのがお仕事でありまして……! だいたい! マニュアルにあるのです! 推奨レベル未満のクエストを受けさせることまかりならぬ、と!」
「……オリビア、あなた、変わったわね……」
「ど、どこがですか……」
「マニュアル、マニュアルって、マニュアルがそんなに偉いの?」
「聖女ホリー様の書かれた『ギルド職員に捧ぐ命の教科書』にも書かれています! 『冒険者は消耗品ではありません。適度なケガをすることで治療院を潤す金のなる木なのです。末永く使えるよう管理しましょう 部外秘。漏らしたら厳罰』と!」
「厳罰」
「ハッ!? しまった!?」
「……まあ厳罰は厳罰として、あなた、なんのための受付嬢なの? マニュアルを読み上げるだけでいいなら、受付嬢なんて専門家はいらないわ!」
「しかし……」
「いい? マニュアルが大事なのはね、偉い人が責任をとるためなのよ! マニュアルを守ることで、なにかあっても『マニュアル通りにやりました』ってことで、マニュアルを与えた方が責任をとって、若いのが責任を負わないで済むようにする、年寄りの気遣いなの」
「……そうでしょうか? ちょっとギルドマスターが責任をとってくれる姿が思い浮かばないのですが……」
「そうなの! ……それでね、ここからが大事なところなのよ。聞いて? 今回は、あたしが保護者としてアシュレイに同行する。責任は、あたしが負うのよ!」
「でもその人、『氷獄の女帝』ですよ!? 血も涙もない卑劣な性分を持ち、人を裏切り哄笑するのが三度のご飯より大好きと言われている……」
どういう勢いでその風評被害が広まっているのだろう?
もはや己の原型がないキャラクターが一人歩きしていて、アシュレイは都会の怖ろしさを思い知るばかりだ。
「そんな噂があるの? あたしが話したら、アシュレイはそんな悪い子じゃなかったわ! 気弱で傷つきやすい、純真な子よ!」
「で、でも、さっきも、今までだって、『クエストを受けさせないならお前の親族一同縛りあげて氷の湖にたたき落とすぞ』と言わんばかりの冷たい目でこちらをにらみつけてくるんですよ……!?」
「『言わんばかり』って、言ってないじゃない!」
「……ほんとだ!? 言ってない!?」
言ってない。
視線だけでそんなに語れたら、言葉がうまく出なくたって苦労しないだろう。
「オリビア……」
「な、なんですかマナさん……だめですからね……なんと言われようと、この受付嬢オリビア、折れません! そう、マニュアルは働く我らにとって絶対の聖典なのです!」
「『私、冒険者さんの夢を叶えるお仕事をしたいんです』」
「……グゥ!?」
「『受付嬢ができることはあんまりないかもしれないんですけど、それでも、わずかでも、みなさんのお力になれるかなって思って、このお仕事を始めたんですよ』」
「グェェェ!?」
オリビアがかわいらしい顔ににあわない、ポイズントードのつぶれたような声を出した。
さっきからチョコマカせわしなく動いていた彼女の動きが、完全に停止している。
「『私たちは、夢への懸け橋なんです。……冒険者さんたちが夢を叶える姿を見るために、私は受付に立ちたいなって、思っているんですよ』」
「やめっ、やめろ! やめろォ! やめてください! 恥ずかし死にする! 輝いていたあのころの私を、社会の荒波にもまれた今の私に突きつけるなァッ!」
「いいじゃない! 素敵よ! 恥ずかしがることなんかないわ! ……ねえ、オリビア。アシュレイには、どうしてもやらなきゃならないことがあるの。そうよね、アシュレイ?」
その話はしていなかったが――なにか、察するところでも、あったのだろうか?
マナがなにを知っているかはわからない。
でも、事実なので、アシュレイはうなずく。
「……あります。私が、やらなければいけないこと……そのためなら……クエストを受けさせてもらえなくてでも……【犬】の居場所への地図を、盗んででも……!」
「ほら! ……だからね、オリビア。あたしは『無茶をするから責任はとれ』って言ってるわけじゃないのよ? 責任は、あたしがとる。きちんと監督もする。だから、アシュレイの『夢の懸け橋』になってあげてほしいの……ね? お願い。いいでしょう?」
マナが優しい笑顔で容赦なくトラウマを抉っていく。
本人に抉っている自覚がなさそうなところが余計に容赦ない。
オリビアはしばし、ガクガクと震えていたが――
どこかいびつな笑顔を浮かべた。
「フヘッ……フヘヘヘヘ……夢、夢の、懸け橋……そう、私は、夢の懸け橋になりたかった……!」
「そうよ。あなた、言ってたもの」
「でも、でもねマナさん、私ね、オリビアね、気付いちゃったんだ……夢だけじゃ、食べていけないって、そういうの、気付いちゃったの」
「……」
「マニュアルに従うの、すごく楽だったよ? だって、考えなくっていいんだもん! 毎日ね、立ってるだけでいいの! やることはマニュアルに書いてあって、それを守るだけで、お給料もらえるの! どう? 素敵でしょ!?」
「オリビア……あなたは仕事のせいで大事なものを忘れちゃったのね」
「……大事なこと? わかんない。オリビア、わかんないよ……心も体も動かさないで、マニュアル通りの対応をして、守ればお給料もらえて、守らなかったらお給料減るの。マニュアルより大事なこと、ある? 食べていくより大切なこと、あるの?」
「マニュアルより大事なこと、それは――『誇り』よ。……誇りを忘れて、食べることの奴隷になるのは、家畜と同じだもの」
「…………」
オリビアから色彩が抜けていく。
そばで見ているアシュレイは素直に恐怖した。
マナのたたみかけっぷりには、他者の心を破壊し慣れた感じがした。
しかもコレ、天然でやってるくさい。
マナの瞳は綺麗だもの。
震えるしかない。
「オリビア、昔の自分を『輝いていた』と言うあなたなら、わかるでしょう? ……たしかに昔のあなたは、誇りがあった。どこに出しても恥ずかしくない、誇りがあったのよ」
「恥ずかしくない……?」
「そうよ! 冒険者の夢の懸け橋になるだなんて、立派じゃない! あなたがあたしの娘だったら、あたしはあなたを誇りに思うわ! すっごく!」
「……恥ずかしくないの? そんな社会を知らないみたいなこと言って……! 夢の懸け橋とか……! 夢の懸け橋とか……! 夢の懸け橋ってなに!? 意味がわからないよぉ! その業務にお給料は発生するのぉ!?」
「夢の懸け橋は業務じゃない。生き様よ!」
「……」
「あなたがかつて――輝いていたと、自分で自分を『輝いていた』と表現できる時期に抱いていた! あなたの生き様そのものなのよ!」
「……生き様」
「たしかに生き様に給料は発生しないかもしれない。生き様のせいで業務に支障が出るのかもしれない。それでもし、あなたがまたくじけそうになったら――あたしに相談して? あたしがきっと、力になるわ!」
「具体的にはぁ?」
「あなたに思い直してもらったように、ギルドマスターにも、思い直してもらうの! ……ギルドマスターだって、夢を追いかけていた時期はあるんだから!」
背筋が凍るような話であった。
夢を追いかけても不幸しか生まないのではないかと思えるような一幕である。
しかし、マナは力強くうなずいていた。
『元気に夢を追いかけよう』みたいな感じだ。
マナさん。
この受付カウンターにさえ頭が出ないような小さな少女は、いったい何者なのか――そんな疑問がアシュレイの中では強くなったが……
正直、聞くのが怖い。
「ウフッ……ウフフフ……わかりました……マナさんには、負けましたよぉ。アシュレイさんも、ごめんなさいねぇ、怖がったりしてぇ」
最初のころと口調の変わったオリビアが、濁った瞳を向け、笑顔で謝罪してくる。
オリビアは最初、アシュレイを怖がっていたらしいが――
――今はオリビアのほうが怖いので、彼女は恐怖を乗り越えて新たなる恐怖となったのだろう。
「クエスト、受注しますねぇ。……なんだかわかりませんけどぉ、わたしぃ、あなたの夢の懸け橋になれたでしょうかぁ?」
「……え、ええ……」
アシュレイは半歩あとずさりながらうなずいた。
オリビアは気にした様子もなく、クエスト受注処理を終えていく。
「ウフフフフ……よかったぁ。ウフッ。わたし、がんばりますねぇ。これからも、がんばって、冒険者さんの夢、叶えるための、懸け橋……懸け橋に……」
「……あ、あの」
「アシュレイさん、なんですかぁ?」
「…………どうか無理は、しないで」
「無理なんか…………無理、なんか……わたし、わたし……」
「……え、えっと……」
「……だいじょうぶです。だいじょうぶですよぉ。……アシュレイさん、綺麗だし、いい人ですねぇ。勘違いしてて、ごめんなさいねぇ? これから、仲良くなりましょうねぇ?」
「ええ……その……お、お手柔らかに……」
「ウフフフフフフ!」
こうしてアシュレイは『【犬】討伐クエスト』を受注した。
都会に来て初めて同じぐらいの年齢の女性と会話ができたが――
なぜだろう、まともに会話できた感じは、あまりなかった。