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――わかってくれ。悪いな。お前は……足手まといなんだよ。
第一魔王――人類にそう呼ばれることになる、『魔人』の英雄、人馬一体の賢者ヴィルフリートは言いました。
彼女の――精霊マナの冒険は、こうして終わってしまったのです。
けれど、彼女は努力をやめませんでした。
彼女はその永遠の寿命の中で、あらゆる技能を才能の及ぶまで――『あと一歩』のところまで極め、魔力や腕力などを地道に鍛えていきました。
二流でしかない彼女が、一流の彼らと並んで戦える力をつけるまでには、長い長い時間が必要でした。
そのあいだに英雄ヴィルフリートは倒れ、人類に『魔人』と呼ばれた異民族の彼らは敗れてしまったのです。
彼女は目的を失いました。
そこから、どうしたらいいか、わからなかったのです。
人類に復讐をする?
そんな気力も、ありません。
そもそも、英雄ヴィルフリートや仲間たちは、そんな滅びしかない結末を望んでいませんでした。
生き残るための決戦だったのです。
存続のための殺し合いだったのです。
思えば、人類の『勇者』と、『魔人』の英雄たちとは、殺し合いながらも、認め合っていました。
互いに、互いの種族のために戦っていたのです。
価値観が違いすぎて殺し合いしか道はなかったけれど、それでも、彼らの目的は生存であり発展だったのです。
マナにその願いを摘むことなど、できましょうか?
であれば、なにができるのか?
彼女には、たくさんの二流の技術と、膨大な力がありました。
一流には及ばなかったけれど、二流と一流とのあいだは、才能で埋められます。
ならば、一流の才能をもった者に、二流までの技術を授けて――
この世界がいつかまた、避けられない大きな戦いになった時に、滅びを回避できる『勇者』を育てよう。
……彼女はこうして己の命の捧げかたを決めました。
その努力は、六百年後の現在――
◆
「『外界より来たりしモノ』どもは滅びしか生まないよ。あなたの願いは、最初から叶わなかったんだ」
彼女は吐き捨てるように言った。
尻尾のかたちに漏れ出した力。身の危機に際して目元に浮かぶ化粧は、普段隠している精霊としての本当の顔。
永遠の寿命を持つ――それだけの、魔人。
ほかになんの特徴もない、ただの傍観者。
「……かみさま」
青年は抜け殻のようにつぶやく。
膝から崩れ落ちた彼の頭上からは、顕現しかけていた『神』の欠片が、灰となってばらばらと降り注いでいる。
まるで粉雪のように。
灰は降り積もり、降り注ぎ、そして現界をたもてずに、溶けていく。
「僕は、助けたかったんだ。みんなを、助けたかったんだよ。お父さん、お母さん、アシュレイ、イヴ……二人の、両親。街の、みんな」
彼は地面に落ちた『神』の欠片を拾い集めた。
でもそれは、集めたそばから、消えてしまう――今となっては、なんの力もない、幻。
「僕たちは、幸せに生きていたのに。どうして、僕たちは死ななきゃいけなかったの? 誰が、誰が、街に、こんな、前線から遠い街に、『外界から来たりしモノ』どもを招いたの? 誰が?」
青年は幼子のようにつぶやき続ける。
落ちくぼんだ目からは、涙が流れていた。
「――お父さん、お母さん」
青年の姿が、透けていく。
マナは舌打ちをした。
――もう、手遅れ。
『外界から来たりしモノ』どもに魅入られ、その力を使おうと試みたものは、連中と命運をともにする。
召喚されたモノと、召喚主とは、同じ運命をたどるのだ。
召喚されたモノが消えれば、召喚主も――
「お父さん、お母さん、どうして、消えちゃったの?」
「……」
「今の、僕みたいに、消えちゃったのは、なんで?」
「…………」
「――こんなの、誰も幸せになんか、なれないよ」
青年はふらりと立ち上がる。
その姿はもはや、薄れて、注意しないと、見えない。
存在感さえ、消え失せかけて――
だからだろう。透明になった彼には、きっと、彼の根底をなす部分だけが残ったのだ。
「……ありがとうございます。僕を止めてくれて」
透明になった青年は笑う。
なにかが抜け落ちたかのように、綺麗に。
「ああ、なにもおっしゃらないで。聞こえないのです。なにも。福音さえも――己の血潮の音さえも、わかりません」
「…………」
「僕はひどい男です。両親のしでかしたことに気付いて、その被害に震え続けました。気が遠くなるような精算の人生でした。償いさえ、おこないようがない。そのうえ、僕自身、アシュレイやイヴまでも巻きこみ、時間遡行などと――まったく、馬鹿な夢を見たものです」
「誰かを救いたくて見た夢は、馬鹿な夢なんかじゃない」
それは彼女も見た夢だった。
……そして叶えることのできなかった、幻だった。
第一魔王と呼ばれた英雄。
仲間たち。
その力になれなかった後悔が、今の彼女を突き動かしている。
けれど、透明になった彼にはもう、言葉などとどかない。
彼は笑う。
悲しそうに。
「――でも、イヴを救ってあげたかったな。できたらもっと、まともな手段で」
悔いを懺悔し、彼が消えていく。
名前さえ知らぬ青年。
彼女はその願いを聞きとどけ、うなずいた。
「大丈夫、あたしに任せて」
――別れは朝日に溶ける雪のように。
青年だったものはスウッと薄くなり、最後に笑って、あとかたもなく消えた。




