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六年前の回想 安息の夜


 ジロは泣き疲れて眠ったエリカを背負ってエントランスへと戻って来た。


 無題の日記ではすでに小さな鉄扉の向こうには地獄が待ち受けているはずだったが、いかなる感知魔法を用いてみても、その気配のかけらすら知る事ができなかった。


 壁の上方にある窓までいって覗ける《飛行》が今日ほど自分が行使できたらと思う日はなかった。

 風の精霊魔法の最上位の一つであるこの魔法は、リーベルトどころか各国で十年に一人の風の精霊魔法のエキスパートが修得できればいい方というほどの大魔法であるので、ジロ達は、塔外の様子を知る術を何一つも持っていなかった。



       ◆


 かかった日数から計算すると、前回の連合国“調査部隊”という名の『死神』が派遣されていてもおかしくはなく、今日明日にもこの塔へと乱入してくるかもしれなかったので、長居はしたくなかった。


だが、生き残りに賭ける理由の一つが『死神』と帰路の途中に出会うことができれば……という計算もある。


 連中が聖女一行に物理的害をなす存在であるのなら、利用しない手はないとジロは考えていた。


 旧王都からの脱出が成功し、もし『死神』に出会うことができるのであれば、追って来るであろう、聖女を殺そうとする死霊の群れをぶつけることができれば……っとジロとリーベルトは可能性は限りなく少ないが、もし出会い、さらには勤めを果たさない聖女一行の尻を叩く為だけに存在する調査部隊、『死神』に、勤めを果たした事を初見で説得でき、なおかつその際リーベルトが殺害されなければ――


――ジロはその人間達の悪意の形の一つである『死神』を死霊達への供物として、エリカ生還に利用できるはずと踏んでいた。


 塔内にやって来た『死神』に出会えば――首飾りを外し終え勤めを果たした後なので、そうなれば死霊が塔内へと雪崩こむので意味はないが――、ジロもリーベルトも聞く耳を持たれる事もなく、殺されるであろうから、塔内でゆっくりとする事は避けたいのだが、リーベルトと相談してエリカの精神状態を考え、塔最上階の部屋をキャンプ地として一日だけ滞在する事を許した。



       ◆


 エリカは終日、誰とも口をきかなかった。


 そして、その夜を過ごせば翌朝は塔外に出るとは伝えてあった。


 寝る時になって、

「みんなで固まって眠りたい」

 とポツリと言ったので、エリカを挟み三人で横になった。


 この旅において脅威のまったくない夜は初めてであったので、落ち着かなくはあったがいつでも対処できるようにとジロは一人気を張った。

 リーベルトは自分の役目をしっかり心得ているので、横になるとすぐに寝息が聞こえてきた。


 横になって一時間。たき火の火も弱くなっている。


 広大な広さのため屋内でも火を焚くことができたが、外から持ち込んだ燃料はあまりない。

 あと二日が限度であったが、翌朝には塔を発ち、地獄へと踏み出す予定であったので、問題はなかった。


「これで本当に良かったのかな」

エリカが誰に言うでもなく、そう言った。


 ジロはずっと目を閉じていた。


「死んじゃうの?」

「死なせやしない」

 目を閉じながら、ジロは即答した。


「……違うもん……エリカじゃないもん」


「……あぁ、そっちか。リーベルトの奴はもう覚悟し終わってるぞ……お前はどう思う?」


「……わかんない」


「エリカは賢いし、気遣いもできる。分かってるはずだ。ただそれを見ようとしていないだけだ」


 長い沈黙が続き、沈黙に耐えきれないようにエリカはジロに被さるようにグズグズと鼻を鳴らして泣きだした。

 ジロは眠るリーベルトに気を使いながら、声を殺して泣くエリカの頭をずっと撫で続けた。


「なんで? ……いやだよう。それなら、死ぬ時は、みんな一緒がいいよう」

 嗚咽し、鼻水を流しながらエリカは聞き分けなかった。


「俺もなんで、こうなったのかな? ってお前らと旅をしていてずっと考えてたんだが、今、ようやく分かったんだ。それは俺が一番年長だから……だろうなぁ」


「ジロはアタシより子供だもん!! お子様だもん!!」とエリカは叫び、泣き続けている。


「多分、こんな仮定の無意味で無価値な事だけど、エリカが一番年長で俺が一番幼かったら俺と同い年のエリカはきっと俺と同じ選択をしたと思う」

「そんなのわかんないもん!! 難しい言葉なんて知らないもん!!」


「リーベルトの奴が一番年長で、エリカが今と同じで、俺がリーベルトの歳だったら、きっとリーベルトが進んで俺の役目を引き受けただろう」

 納得してしまったらしいエリカは、それ以上の言葉を聞きたくないと言わんばかりに、周囲にはばかることなく、猛烈な声で泣き出した。


 ワンワンと塔内にこだまして、塔内に存在するのであれば、騒々しさに死霊さえも逃げ去るであろうほどの泣き声だった。

 ジロはリーベルトが目を覚ました気配を察したが、狸寝入りを決め込むようだった。



 ジロはエリカがまたジロの言葉を聞く気になるのをジッと待った。


「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、ジロも子供なんだから、死んじゃダメ!!!」

「お前は本当に我が儘な奴だなぁ」

 そう言うとジロは撫でる手を止め、目を開けて少し黙り込んだ。


「……兄上を知ってるだろ?」


 ジロは、自分が何を話そうかも決めないままに口を開いて、考えもなしに出た言葉がそれだった。


「ジ、ジ、ジロの? ……ラ、ランスさま?」

 エリカは突然の話題転換についていけなかったのか、嗚咽を上げながらジロを見上げた。


「そうだ。俺が尊敬する、ガルニエ家の次期当主のランス兄上だ」


「し、知ってる……マニーお爺さまの所でお話をして、して、してたら、と、時々アタシやリーブに、あっ、あ、あ、甘い異国のお菓子くれ、る」


「そうか……さすがは兄上だ。あんまり接触がないだろうからエリカは知らないだろうけど、兄上はな? 武の才能ってもんが、全く無いんだ」


 エリカはぐすぐすと鼻を鳴らしながらジロの言葉を聞いている。

 話に集中するためにジロの今後に思いを馳せなくなったエリカは、泣きながらも呼吸が整ってきた。



「お前はまだどうなるか分からないが、……あぁ、違うぞ? 

「どうなるかってのは、お前のお父上がこの先、エリカを騎士として育てるのか、それとも誰かに嫁がせる為に花嫁修業をさせるのかは分からないって事だ。今の状況じゃない。

「お前は絶対に生きて帰れる。それは、それだけは俺たちに任せておけ。

「……、コホン……んで、お前の教育がどう進むのかは知らないが、王国騎士は弓馬剣槍を各自家で習う。俺もそうだし、リーベルトもそうだったろう。魔法に限っては学院でなんだが……」


「……エリカはちがう」

「そうだな……お前のお父上は神殿でエリカを鍛えたし、旅行中は俺とリーベルトが徹底的にしごいてやった」


 言葉を慎重に選びながら、ジロはエリカの頭を撫でる事を再開した。


「話を戻すとだな、……もちろんランス兄上も家で武術を習ったが、まったく目が出なかった。信じられるか? マニー爺さまの手ほどきを受けてるのに、まったく強くならなかったんだ」


「……ランス様のわるくち言ってるの?」


「馬鹿言え……兄上の悪口を言う奴がいたら、真っ先に俺がぶん殴ってやる。

「……兄上はまったくの無力なんだ。俺には武の才能があったが、兄上には無かったんだ。無かったどころか、他の、騎士ではないマニー爺さまの訓練を受けてない一般人よりも大分劣っていた。

「実際――これは他言無用だが、うちの領内では平民と取っ組み合いの喧嘩をしてはよく負けていた。……大抵はその後そいつを俺がボコったけどな」


 でもな? とジロは遠い目をし、在りし日を思い出すように口の端に微かに微笑みを乗せて言葉を紡ぐ。


「でも、ある時、領内ではなく王都でだ、俺が年上の奴等五人に……理由は覚えてないな。どっちが悪かったのかなんて覚えていない。――それでボコボコに殴られて泣きながら帰った時、いつでも冷静な兄上は泣きじゃくる俺から冷静に誰にやられたか聞き出すと、矢のように家を飛び出して行った。

「その時、笑いながら俺や兄上の様子を見ていたマニー爺さまが、『ジロ! ランスをすぐさま追いかけろ!』って言われてな? 何が何だかわからないまま、べそをかいて兄上を追いかけた。足も遅い兄上にはすぐに追いついた。

「家に帰ろうよ! って、今度は兄上が何をしたいのかわからずに泣いている俺は兄上を止めようと必死だった。だけどそれでも兄上は黙ったままで、止まらない。そのままずっと後ろを追っている内に、俺をボコった奴等五人の後ろ姿が見えた」


 エリカは話に引き込まれ、鼻をぐずらせながらも黙って話を聞いている。


「俺は、体はまだどこもかしこも痛かったし、さっき受けた暴行が怖くて足を止めた。

「だが、兄上は……走り疲れてヘロヘロになっていた兄上はそのまま加速して――っつっても俺から見たら対してスピードは上がってなかった――、それでそのまま一番リーダー格の奴の背中に飛び蹴りをした。

「本当に驚いた。兄上よりも年上で、ガルニエ兄弟よりもずっとずっと体格も良かった連中は、すぐに兄上を押さえつけて蹴る殴るの容赦ない暴行を加えた。

「俺は頭に血がのぼって、カッとなって、その場に殴り込んで……我ながらあの時は、がむしゃらにがんばって、二人かを殴り倒して、力尽きて、兄上と一緒に、もっとボコボコにやられた。ここからは俺も兄上も記憶がない」


「子供は加減を知らないから、家人が後からやって来て、近くの家の戸板に乗せられて、そのまま神殿での魔法治療を受ける羽目になった。その位の大怪我だ。

「包帯やら側杖やらでマニー爺さまやサイラス父上の前に行くと、二人はその出来事を酒のつまみにして、豪快に笑ってたな。母様だけが憤慨して、大貴族の子に無礼を働いた事を後悔させてやるって言い出して、どの家の子供らなのかを執拗に聞こうとしてたっけな。

「でも兄上は『母上! もう、済んだ事です』なんて、ベッドから一歩も動けないで、痛みにウンウンうなっているのに、そう虚勢を張っていたっけなぁ……」


「兄上はな? そういう男なんだ。自分の能力の事なんか勘定に入れない。本当にひどい怪我だったんだぜ? 何週間後かに、マニー爺さまが連れてきてくれた最高位の神官様がいなかったら、兄上はいまだに片足を引きずって歩いていただろうな。でも兄上は弱くても、俺を守るために立ち上がった。そんで、俺はそんな兄上が子供ながらに、本当に誇らしかった」


 そう話し、旅に出て以来初めてジロは満ち足りた気分になった。


「時が経ってもそれは変わらなかった。兄上は領内の領民のいざこざでも、弱い者が虐げられたと聞いたらな? 『来い!』って言って、寸鉄帯びずに、馬に飛び乗ると一目散に駆けていく。情報は『来い』だけだから、なんの事か事情も知らない俺は、兄貴を守るために帯剣して、それが間に合わなかったら道端で棒きれを拾って、慌てて馬で後ろを追いかけたってもんだ」


「それで、駆けだしていった先で、王国騎士中で最弱の兄上は相変わらず『飛び蹴り』をして乱入するんだ」

 ジロは言い終わって、ジロの腹の上に顎を乗せているエリカを見る。



「子供のエリカでも、俺が何を言いたいかは分かるだろ?」



 エリカはジロの語るランスの話を夢中になって聞いていたのか、泣きやんでいた。

 だがその問いかけに反応して、ジロの腹に顔を伏せ、


「アタシは! そんなの! わからないもん!!」


 と叫んだ後、またも気持ちをぐずらせた。


 言いたかった事が伝わったからだと、ジロは思った。


「つまりは、年下の為に命を張るのが、どうやらガルニエ兄弟の宿命なんだ」


(とは言っても、俺は兄上ほど立派じゃなくて、知っている、手の届く人間以外には義侠心は持てないが……)っと続くはずだった言葉を飲み込んだ。


「だから、今回は俺がお前達二人を守らないといけないんだ。じゃないとランス兄上が、俺に飛び蹴りを喰らわしにここまでやって来かねないからな」

 そして分からない振りをし続けようとするエリカに逃げ道を与えなかった。

 エリカは火がついたように再びわめき、そして泣きだした。



       ◆


 エリカの言葉無い号泣は最低でも三十分は続き、一日中泣き通しの子供の体力ではそれ以上の悲嘆はできず、うつらうつらとし始めた。


「…………なんで?」


 体感では夜も深い時間になっているように感じた。

 ジロはずっとエリカをなで続けていた時、突然エリカが声を上げた。


「ん?」


「……なんで………」

 エリカの目がトロンとしている。

 睡魔に抵抗するかのように必死になって目を開け続けようと試みているようだった。


「…………………………………ジロは……」


「……」


「……………………………………………夜、…………眠らないの?」


「なんでだと思う?」

 ジロは頭を撫でながら、エリカに問いかけた。


「ジロが……………」


「うん」


「………リーブに……………、アタシに………」


「うん」


「……………………………一生懸命…………、楽をさせてあげてるの」


「……ギリギリで………大人になったな。俺は嬉しいぞ」


「そんなの……………。

「………………『私』は……………。

「…………嬉しくないもん。

「………………………こんなのなら……なりたく、………………………………………………………ない…………………………………もん」


 睡魔に負けないようにポツリポツリと言葉を紡いだ後、エリカは眠りについた。


 ジロはジロの腹を抱えるようにして寝るエリカの頭をなで続けた。



 そして、そのエリカの首元には『聖女の願い』はもう無い。



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