六年前の回想 お役目
昼過ぎ、目的地である塔の前へと辿り着いた。
巨大な大きさの塔であった。高さはルイネ王都の内城の城壁ほどの高さで、ルイネ王都外壁ほど高くはなかったが、面積がとにかく広い。練兵場をいくつも抱え込めそうなほどの外壁がずっと続いている。
すぐ近くの壁に何かが乱雑に積まれている。気になって歩み寄ると、そこには朽ちた生活品が捨て置かれていた。
痛み具合からすると、最近の物がごく少数。大半は何十年も前の物のように見え、中には土がかぶさりそこから草や苔が生えていた。ジロには前回の聖女行の持ち物だと推測できた。
ジロは後ろを振り返る。
エリカは青い顔をして震えている。
エリカがジロに手を伸ばしてきたのでジロはその手を握る。
拒否されると思ったのか、瞳で『いいの?』と言っているエリカにジロはうなずく。
言葉はかけない。
ジロが言葉をかければ、何かの拍子に自分の仮初めの厳格さがポッキリと折れてしまう事が怖かったからだった。
エリカと同じように青い顔ながらもほどよく緊張が抜けているリーベルトがエリカの反対の手を取った。
そして塔内への唯一の入り口である小さな鉄扉の前へとやって来た。
その扉は今、開け放たれている。塔も扉も栄光の街道と同じように風雨による傷みは全く見られない。
この扉には特殊なギミックがある。
魔力のかけらもない鋼鉄製の扉は通常は閉まらない。だが“聖女の願い”を持って通ると、扉が閉まる。
そして内部から一度でも開けると、再び“聖女の願い”が『返却』されるまで、閉まらなくなる。
エリカはまだ震え続けていた。死のギミックがついに目の前にあるのだから仕方がないとジロは思った。
震える体の首元、オレンジの風景の中、爽やかなブルーに輝く宝石のはまった『聖女の願い』の涼しげな様が、ジロは心底憎かった。
三人は手を繋いだまま、無言でゴミの山を見下ろした。
「エリカ。君が行く気になったら――」
「――それじゃダメだ。行こう」
エリカの頭を越えてジロとリーベルトは視線を交える。
二人は険悪なにらみ合いをしていない。二人の間にはやるせなさだけがあった。
エリカは両手を繋いだままで、視線は二人の間を行ったり来たりしている。
「エリカ。悪いがお前の覚悟を待っている暇はない。暮れの国に入ってから俺の態度がおかしいとお前も思っているだろうが、これはこの隊の隊長としての行動だ。だからお前が尻込みしようと俺は――」
「――先輩!」
リーベルトがジロを止める。
「それでいいんですね? 『今』なんですか? 違うでしょう!?」
「そうだ、違う。俺の見立てだとまだまだ先だ。だが、俺は――」
「――ジロは?」
「俺は……こんな所で死にたくなんかないんだ。生き残る確率を、上げたいんだ。エリカ、それを分かってくれないか?」
リーベルトが顔を背ける。
エリカが手をギュッと握りしめた。
たぶんリーベルトの手も同じようにしているのだろうとジロは思った。
そしてエリカは笑顔を見せた。ジロが仕掛けた一方的な喧嘩以来、暗い影の一切みられない、そんな笑顔だった。
ジロの心の奥底でチクリと痛みが走った。
「うん! 私もジロに生きていて欲しい!」
エリカは晴れやかな笑顔をジロに向けた。
その笑顔の一言がジロに生きたいという思いを再確認させ、
「リーブ! よかった!! リーブの言ってた通りみたい!!! エリカ、ジロに嫌われちゃったわけじゃなかったんだ!!!」
そして、リーベルトに対して言ったエリカのその一言が――
――ジロに、最期の、本当の最期の、生への未練を断ち切る滅私の決意をさせた。
ジロはエリカの頭を撫でる。もう幾日も髪を洗ってもいないのに絹のように滑らかな感触だった。
リーベルトはひざまづいてエリカを抱きしめた。
「わっ!! リーブ!? どうしたの!? 怖くなっちゃった? 大丈夫だよ? ジロとエリカがついてるよ?」
ジロにはリーベルトがエリカを突然抱きしめた訳がわかった。
リーベルトは泣いていた。
嗚咽は上げない、
呼吸は乱れていない、
そして顔は優しい笑顔のまま。
そして男のジロから見ても整った顔の両目から大粒の涙が溢れ出している。
それを見られる事を何よりも嫌う、優しいリーベルトの、どうしても見られたくない涙だった。
「うん、エリカ。僕たちは大丈夫。生き残ろう」
その声音に涙の気配もなく、いつも通りの声音だった。
リーベルトは最期にジロを見て、コクンとうなずいた。
そしてリーベルトは自然とエリカに背を向けて立ち上がった。
涙を気づかれないように。
「よし、エリカ。お前に伝えておくことがある。これは絶対に守れ」
「うん!! ごめんね、ジロ! これからはジロの言うことは何でも聞くから! もう、ジロを怒らせないから!」
歯を見せながら嬉しそうにエリカは笑った。
「よし。言うことは一つだけ。俺の言う事は絶対に従う事。これだけだ」
「うん!!」
「……でも、そうだな。幽界を越えて、ルイナスの国境まで着いたら、もう俺との約束は守らなくていいって事にする」
「わかった!! 絶対に守るから! だから……」
語尾がもにょもにょと言い、リーベルトの背中をチラッと見た後、ジロを手招きしてきた。
ジロはエリカの望み通り屈んで耳を寄せる。
その耳にエリカは照れるようにして口を寄せ――
「――だから、もう、絶対にエリカを嫌わないで……ね?」
エリカは小声で、リーベルトに聞かれるのを恥じらうように、そう言った。
死出にいたる三人の道を仲違いで見失わないようにとの思いが、その言葉の中に見え隠れしたようにジロは思った。
この覚悟を、国は、大陸中の人々は……
ジロはそう叫びだしたい衝動にかられる。
「行こう」
ジロは声をかけ、建物の大きさに比例しない開け放たれた小さな戸口をくぐった。




