余所事の話 不幸な秘者
サラの呼び出しに応える為、男は魔王城の中を足取り重く進んでいく。
男は城内を自由に出入りできるほどの実力が無く、男の予定ではあと数百年間自己の鍛錬を続けば、自分が魔王となる日も来るだろう。と見ていた。
(今はその為に、いかなる屈辱も受け入れる……だが――)
「――春先に、あの、ゴミのような人間に関わったのが……」
呼び出しを受けてから、長命であるため日付に頓着しない一般的な秘者と同じであった男は、その日以来今日までの日数を数えていた。
男は床にツバを吐くと、巨大なゴーレムが寄ってくる。
ビクリと驚き、即座に距離をとり、壁際へと退きゴーレムに対していかようにも動けるように戦闘態勢を整える。ゴーレムは男を無視してツバを拭き取ると去っていった。
苛立ちが最高潮まで達した男は握りしめたままの拳を壁へと叩き付ける。
っと、壁……というか、そこにあったドアがはじけ飛ぶ。
個室の並ぶ居住区画のようだった。
男は驚いて、扉の吹き飛んだ戸口を覗くと――
「――何か用か?」
燃えるような真っ赤な鎧に身を包む人型の黒い竜、竜人族が壊れた自室のドアを見下ろし、男にそう問いかけながら、ひしゃげたドアを踏み越えてやってくる。
はからずも来客者となってしまった男は蒼くなり後ずさる。
戸口まで来た竜人は再度「何の用だ?」と疑問を口にする。
その竜人に内包された魔力を感じとり、男は震えが止まらない。
「……、いや……なんでもない」
「そうか」
竜人は怒る事もなく、中から顔を覗かせた竜族の戦士は廊下を見渡した後、破壊されたドアを再び踏み越え、部屋の中へと消えた。
男は今出てきた戦士が竜族の天才として名高いエラリート・サリーマンであった事に思い至り、滝のような汗を流しながら再び戦慄を覚えた。
たまたま扉を破壊してしまった扉が有名を馳せるエラリートの部屋だっただけであったが、男はどの部屋にもそのクラスの秘者がいるかのような錯覚に、震えた。
城内を息を殺して進むと、そこかしこに魔界内にその力の強さが広まっている有名どころの秘者と、何事もなくすれ違うたびに緊張に震える己の体に対して、苛立ちと情けなさに歯ぎしりしながら進む。
それからはキョロキョロと見渡しながらほとんど駆けるようにして玉座の間を目指す。
着いたそこには扉が無く、戸口すらもが歪んでいる。周囲は埃が積もっていた。
男は魔王城の自己修復機能の話を聞いていたので、破壊されたままの玉座の間を見て首をかしげた。
そこから室内を見ると、魔石に包まれた部屋はすっかり崩れ去っているその狭い空間をゴーレムが動き回っていた。
途方にくれた男は、同じ人間種の秘者を見つけ、意を決して魔王の居場所を聞く。
その秘者は男をつまらなそうに上から下まで眺めた後、屋上が今は仮の玉座の間になっていることを男に教えてくれた。
一刻も早く城から出ていきたかった男は《飛行》を駆使して凄まじい速度で屋上を目指す。
ようやく城外へと続く扉を見つけたが、急停止する。
そこには下で男のツバを処理したのと同じサイズのゴーレムが多数群れて扉を開けようとしていた。
男はゴクリとツバを飲んだ瞬間――、扉が開かれ、ゴーレムがその扉から外へと一歩踏み出すたびに破壊音が連なり、男の目の前で破片となって砕け散っていった。
男はいそいで階段の隅へと隠れ、破壊音の続く廊下の様子を見ようともせず、ただただ息を殺して身をひそめ続けた。
三十分もの間、隠れていたが、魔王の誘いを思いだし意を決して玉座の間となっている屋上へと足を踏み入れた。
屋上は本物の玉座の間ほどではないが、荒れ果てている。
いつも遠くから魔王城を見ていたときに見えていた屋上にそびえ立つ柱はことごとくへし折られ、屋上にはビースト族と思われる死骸が散乱していた。
玉座には男を呼び出した魔王サラが震えて座っていた。その目は固く閉じられている。
扉の近くでは二人のメイド、魔王直属の眷属である悪名高いセラとゼラがいた。
同じ人間種の秘者である男はその美しい姿に人間であった頃以来の情欲が生まれる。
二人は魔王にも、男にも目を向けず、黙々と掃除道具を手に掃除をしている。
「おお! 来たか!! こっちへ来い!!」
男は恐る恐る歩を進めていく。
途中ビースト族の死骸を蹴り、ベチャッと大きな音が立った。
「ヒィ!!!」
サラがまぎれもない悲鳴を上げた。
魔王が昆虫を極端に恐れているという噂と、それに付随して昆虫相手には致命的な弱点があるのでは? という噂を思い出す。
「嫌な、お、音を立てるな!! 音を立てずにこっちに来い!」
サラが怯えながら男を怒鳴る。
その様子を見て、城内に踏み込んで以来初めて男の心の奥底で萎みきっていた敵愾心がメラメラと燃えだした。
男は昆虫に対し、優位に立てる独自の魔法を修得しているため、インセクト系の秘者相手では格上相手にも優位に戦うことができる。
そして、甲虫族は一族のみの魔王挑戦だけではなく、近親のゴキブリの一族も城に招き暮らし始めたと聞いていた。
そんな昆虫ごときに怯えるサラに恐怖する自分に、だんだんと腹が立ってきた。
男は玉座の下にある長い階段の下へと辿り着いた。
男の怒りは力となり、自暴自棄になって未来の魔王挑戦の夢を諦め、死の覚悟を決めた。
四ヶ月前に人間を殺した時に、男は通りかかったサラに遊び半分で殺され、その後、人間と男を生き返らせられた。そして人間と再度戦わせた挙げ句、途中で戦闘を中断させられた。
そして、「城の玉座の間に来い」と言い残し、男の命を見逃した。
その時はその子供の秘者がサラであるとは知らなかった。自分とは比較にならないほど強大な秘者だという認識だけがあり、その後、城外でその子供の事を知らないかと、知古の秘者に話すとそれが魔王サラ本人であるとすぐに判明した。
そして男は今ここに立っている。
「来たぞ! 殺すのであれば早くしろ!!」
自分よりも弱い昆虫に怯えるサラに憎々しげに話しかける。
自分がこの見た目が子供の魔王よりも弱いことが腹立たしかった。
「あん? なんでお前みたいな弱いのを殺さないといけないんだ?」
男は内心ほっとした。
(見ていろよ! 数百年とは言わない、絶対にお前をその座から追い落とす!!)
男の決意も知らずにサラはこわごわと目を開けて段下の男を見下ろす。
「こ、ここに来させたのは、他でもない。お前は、ほどよく弱い感じがいい! アタシの仲間になれ! それで私の眷属の糧に――」
ブチリ、男の中で理性が弾けとんだ。
「――断る!! そして聞け!! お前が恐れるこいつらは城内にゴキブリの一族をも招き入れたぞ? その事を恐れおののき、せいぜい、震えるがいい!!」
そう叫んで、死を覚悟しながら、足元の死骸を玉座に向かって蹴り飛ばした。
結果を見ずに男は身をひるがえして、屋上の縁へと走り出す。
魔界屈指の秘者同士の戦いを目撃したことのある男はその動きがどうしてこんなに遅いのだと情けなく思った。
まだ殺されていないだけでも僥倖であった。目撃した戦いを基準に考えればすでに七回は殺されていてもおかしくはない。
男は誘惑に耐えきれず、周りを見渡す。
美しいメイド二人は相変わらず、こちらを無視して掃除を続けている。
魔王は――
「――ワ、ワッ!!」
そう言って、サラは腰掛けていた手すりから転げ落ち、後頭部を床にぶつけ、痛い!と叫ぶ光景が見たのを最後に、男は城外へと飛び降りた。




