六年前の回想 夢語り
幽界入りして五十日が経った。秋が早くも過ぎようとしている時節であったが、幽界内は気温が一定のままだった。
旅が進むにつれてジロの持つ白紙だった日記も、旅の教書となっている無題の日記のように、次第にページが字で埋まってきた。
エリカへの魔法教育は続いている。今はリーベルトが高度な信仰系魔法である《筋肉強化》を他人に施す方法をエリカに教え込んでいる。
この魔法は自分自身には楽に作用するのだが、人にかける場合は、その人数によって劇的に扱いが難しくなる。ましてや一般人よりも魔法抵抗力の高まる騎士二人にかけようとするならば、厳しい魔法修練が必要となる。
エリカとリーベルトの生還の強力な手助けに魔法なので、リーベルトも必死になって教えている。
合流当初のジロとリーベルトによる話し合いでは、支援魔法全般を教える予定にはなかったのだが、事情が変わり、急遽教え込む事となった。
きっかけはリーベルトがエリカの魔力総量を調べようと言い出した事だった。
最初はジロは旅程の停滞を嫌い反対したが、抗弁するリーベルトに負けてエリカに魔力が底をつくまで実験したところ、当初リーベルトが予想していたものよりも遥かに膨大な魔力を有するという事が判明した。エリカの単純な魔力回復にかかった日数は一週間を要した。
リーベルトで丸二日、ジロに至っては半日もあれば底から全快するので、異常な魔力総量だった。
そんな才能をもったが故に『聖女の願い』に目をつけられたのであれば、悲しい事だが、今となってはその才能は、ジロにはこの旅において奇貨に思えた。
その日以来、リーベルトは暇を作り出しては、エリカに魔法を教えている。
一般的には、精霊魔法<信仰系回復魔法<精神作用の信仰系攻撃魔法<肉体作用の支援系魔法<複数対象の信仰系・支援系魔法<大魔法という順に修得難度が上がっていく。大魔法と呼ばれる部類では天才が長い年月をかけることによって修得できると言われている。
《筋肉強化》の支援魔法をジロとリーベルトの二人に施すなど、とてもエリカの年齢で習うような魔法ではない。ましてや、リーベルトが目指すのは戦闘中の支援である。
ジロとリーベルトはエリカに教えていないが、教えている側の二人でも、戦闘中に、他人に対して肉体作用の支援魔法を行使する事はきわめて難しい。
理由は騎士は魔法を行使しながら戦うので、戦闘中などは嫌が上にも魔法抵抗力がいやでも高まってしまう為だ。単一魔法のみを使うのであれば抵抗力を抜けさせる方策はいくらでもあるが、大抵は各種の精霊魔法や信仰魔法が入り乱れる。
しして魔法抵抗力が高まれば、敵のデバフにかかりにくい事はもちろん、仲間のバフですらはねのける。ましてや二人は人類の難敵である死霊を赤子扱いできるアーティファクトを駆使して戦っている。
ジロならばあきらめる状況であったが、リーベルトは心血を注いで教え込んでいる。
その結果、エリカの才能に日々驚きを感じるようになり、教師役二人は『その状況ですらエリカならば』っと、確かな手応えを持って、それを教えている。
そしてリーベルトには教師の才能があるらしく、大抵の場合、ジロは年少二人の話す、呪文の短縮法や魔力の消費軽減の仕方などを、なるほどなぁと思いながら盗み聞くのが西進の日常となった。
◆
ある日、ジロがリーベルトの小難しい独自の魔法理論の講釈に聞き耳を立てていた時、霧の中に揺らぎを感じとった。
リーベルトが合流してから分かったのだが、リラックス時のジロは二人よりも危機察知の感覚がよほど鋭敏であるようで、襲撃の象徴となっている冷気が差し込む大分前から死霊の到来を知る事ができてきた。
それが生来のものなのか、西進によって身に付いたものなのかは分からない。
当然の事ながらエリカとリーベルトは、まだ死霊の接近に気づいていない。
だが、この時は事情が違った。いつまで経っても冷気が吹き込んでこない。
そして揺らぎの気配も消え去っていない。
揺らぎは歩いている直線の道をやや外れた位置に存在していた。
そしてジロ一行と速度をあわせるように一定距離以上、近づいてこない。
教授中のリーベルトを呼び、その事を伝える。
二手に別れるわけにもいかず、一応注意を向けて進むという事で相談がまとまった。
そして数日が経ったが、状況は一向に変わらない。
死霊達の襲撃時には、別の揺らぎが発生しているので、勘違いではないとジロとリーベルトは結論づけた。
その場合、謎の揺らぎは、死霊到来の揺らぎに道を譲るようにして掻き消えるように無くなるが、戦闘が終わりしばらくすると、また同じような位置に揺らぎの気配が戻ってくる。
神経質になり過ぎるのも良くないと、その揺らぎの正体は死霊の斥候で、偵察するようについているのだと思うことにした。そして正体不明であった揺らぎの正体を定義付けした事で、不気味に感じていた気配をジロは容認した。
その後十日も過ぎると、揺らぎは相変わらずであったが、ジロも必要以上に気にすることを止めた。
◆
一週間後、唐突にその揺らぎの気配との対面が叶う。
暮れの国だとされている地点から一日ほどの距離まで一行は近づいた。
その日の夜営の場所を決めかねていたいた昼下がり、気配が突如近づいてきた。
近づいてきたというよりも、向こうは動かず、ジロたちが進んだ分だけ近づいてきた。
ジロとリーベルトは注意しながら歩を進める。
そして、気配が肉眼で確認できる距離になると、揺らぎの気配が消えた。
消えた場所を探ると、草むらの中に完全に白骨化した人間の死体を発見した。
「暮れの国はもうすぐそこです。話に聞くスケルトンって事もありえますから、注意しましょう」
人骨に注意を払ったままジロとリーベルトは会話を続ける。
その骨はただ骨であるように見える。話に聞くスケルトンのように武装の一切が周囲にはない。
「裸の……まぁ、スケルトンはある意味裸だが、非武装のスケルトンの話なんて聞いた事あるか?」
「ありませんね。ですがこの人骨が、スケルトンに変化するというのならば納得できますよ」
そんな事を歩みを止めて二人で話していると、
「今日はあそこで休もう!」
っとエリカが前方を指さしながらそう言った。
その方向を見ると先に木々に浸食されようとしている、あずまやが立っているのが見えた。
エリカもやってきた。人骨を見るとエリカはちょっと驚いた後、神殿騎士らしく、印をきって祝福の魔法《聖別》を白骨に施した。
リーベルトも数種の探知の魔法をかけて調査しようと試みたが、その内いくつかが《聖別》と干渉しあって、上手くいかなかった。
リーベルトは苦笑しつつ、エリカの魔法の進歩の証だとジロに同意を求めた。
こういった風に、半年以上も前とは違い、リーベルトはいつの間にか、ジロに対して壁を作るのを止めていた。本来は人懐っこい性格なんだろうと、ジロは思うようになっていた。
お前が諦めるなと、リーベルトの頭を軽く小突きながら、
「エリカ、今日はもうちょっと進もうか」
そうジロは提案した。
「嫌だ。死んじゃってるけど、骨さんも久しぶりに人と会えてよかったって思ってるはずだし、今日はここに泊まるの!」
と、エリカは旅を通じて初めて頑強にジロの方針に反対した。
ジロとリーベルトがなだめすかせようとしたが、嫌だとエリカは駄々をこね続けている内に、夕方がやってきた。
幽界の日暮れは人界や魔界のソレと違い、あっという間に闇になる。
最終的にジロとリーベルトが折れた。
二人とも寝ずの番をしようと言うことで話がまとまる。
「一応、砕くか」
夜営の準備を終え、食後にジロは人骨の対処を決定した。
「え!?」
エリカが驚きの声を上げ反対した。だが、ジロもこれは譲らなかった。
墓を作ると約束すると、骨の破砕にしぶしぶエリカも了承した。
ジロ、エリカ、リーベルトが死者への祈りを捧げた後、そのどこの誰とも分からない白骨をジロとリーベルトは砕き、小さな穴を掘ってそこに埋めた。
夜半、ジロとリーベルトは剣を抱きながら、ややもすると毛布から抜け出ようとする寝相の悪いエリカを寝床に戻しながら、ポツポツと語り合いながら夜襲を警戒する。
揺らぎが無くなってから、死霊の襲撃が止んだようだとアクビ混じりにリーベルトが発言したが、たんに条件が重なった為、そう思えるのだろう。とジロは心中では別の事を考えながらそう言った。
夜襲が一度もなかった夜もこの九十数日間にいくつかあった。
リーベルトは予定外の事態に対して、やや弱いという欠点を旅によって知っていたため、ジロは浮ついた心地になっているリーベルトを落ち着けるためだった。
(これでリーベルトの奴が落ち着けばいいんだが……しまったな、こんな事態になるのなら揺らぎの事は伏せておくべきだった)
ジロは自分の感覚であるがゆえに、実はリーベルト以上に夜襲と揺らぎの気配の消失に神経を尖らせていた。
会話もなくなり、ジロとリーベルトは互いに自分の思索に入っていく。
気づくと、ジロは一人になっていた。
体は動かない。たき火と寝るエリカと、剣を抱くようにして座る、彫像のようなリーベルトがいる。
それを見て、そして知っているのに、ジロは一人になったと再度思った。
そして――
――あぁ。これは夢だとジロは気がついた。
ジロの前、たき火を挟んだ位置に骨の怪物が立っている。
目当てのスケルトンに会えたというのに、ジロに危機感は湧いてこない。
人型の骸骨であるその怪物は、通常の人間では考えられないほどの巨躯で、その身は絢爛豪華なローブに包まれ胴体は見えない。
袖からは肉の一切ついていない武骨な手があり、その手には数千もの宝石に彩られ、細やかな細工の施されたペール国王が持つ錫杖をも上回るような巨大な杖を持っている。
そして静かに、まるで自然物の一つであるかのように、ただ立ち、黒々と穴の開いた眼窩でジロを見下ろしていた。
目玉のない虚無の目で見つめられている事を感じながらも、ジロに焦りはない。ただただボーッとして、その骨の怪物を見上げる。
骨はフイッと動いて杖を持たない手の人差し指を伸ばし、ある方向を指さした。
ジロ達が進もうとしている方向だった。
ジロがその方向の先を見れば、霧が晴れている。
かといって視界が晴れているわけではなく、ただ見たい方向が見える。
グングンと見える。まるで強力な視力強化の魔法をかけたかのように、まるで魂が肉体を抜け出し先の光景を見るかのように見たいものが見えた。
闇もない、ただそれが昼なのかどうかはジロにはわからなかった。
距離も、もしかすると時間も関係ないのかもしれないと、ジロは理解した。
指さす方向、それはジロが向かうべき方角だった。
そこには塔が建っている。窓の数は5階を数える。あまり高くない塔であった。
骨が微妙なほど小さく動き、止まる。
方角は最初の方角と変わりはない。ただ、指さした場所はずれた。
それはここから塔へと向かう道の分岐する大道の先にあった。
見えるわけもないのに、ジロは塔も、その道の分岐先にあった、雲を突くような、神代の世界に似合いそうな、巨大な樹も見ることができた。
巨樹の根本には、そこかしこに洞があり、数ある洞の一つが気になった。
そこは中に石碑もしくは墓のような石細工の何かがあり、入り口が極端に狭そうな割に中は広く、人一人が大の字に寝ても問題がなさそうなほどの空間であった。
その場所、あるいは石碑がジロには妙に気にかかった。
それを確認した途端、骨の怪物は宙へと浮いてゆく。
人間が歩き出すのと同じように、王の威厳さえ感じるその骨の怪物は、ぐんぐんと浮きながら夜営のたき火から遠ざかり――
――ジロは目を覚ました。
ジロはひどく汗をかいていた。
知らず知らずの内に固くカートボルクを握りしめていて、その手の平は水に浸したようにジットリと濡れている。
そしてジロのもう一方の汗ばむ手も、幽界入りして以来一時も肌から離した事がない、オルゴールの呪物を固く握りしめていた。
ジロが二人の様子をうかがうと、リーベルトは薪を新たに足していた。
エリカが毎夜の如く、物凄い寝相で毛布から完全に抜け出しかけている。
ジロは額の汗を拭って、手を伸ばしてエリカの上に毛布をかけ直した。
「すごい汗ですね。熱すぎますか?」
っとリーベルトがたき火の火の粉を飛ばしながら聞いてくる。
「いや、ちょっと夢を見た。たぶん悪夢だ」
そう言いながら、言葉にしたからか、ジロは早くも夢を忘れかけている事に気づく。ただ、常時の夢を忘却していく様子と何も変わりはないのに、ちょっとした違和感を感じた。
「夢の内容は……そう、確か骨と……、木が関係した何かを……見たな」
「突然どうしました? 夢語りですか? 昔、私塾で流行った事が――」
「――いや、違うんだ。なにか、今見た夢を忘れてはいけない気がして……。このままだと欠片も無くなりそうだから口にしたんだが……ダメだ。幽界に関係してたような気もする」
「う~~ん。そうなんですか? 寝てたって言ってますが、僕からしたらガルニエ先輩は起きているように見えましたよ。だって、僕とポツポツ会話もしていましたし。だとすると器用な人ですね、あなたは。従者勤め以来の付き合いで、あなたが眠る時の様子は知っていますが、今はそんな気配もなかった。う~~ん。骨と木……? 樹木はそこら中に、こうしてありますし……」
そう言ってリーベルトは夜営しているあずまやを飲み込もうとしている樹木の波を見上げる。
「だよなぁ……骨は今日見て神経を尖らせたって感じだし……いいんだ。忘れてくれ。リーベルト」
「ええ、そうします。何せここは他にも覚えとかないといけない事だらけですから、なるべく気がかりは分担しましょう」
そう言ったが早いか、揺らぎをジロは感じ取った。
「リーベルト、敵が来そうだ。……数は少ないな。どうする?」
「では、眠っていたと白状したのは感心しますが、結局は夜番をサボっていた人に譲ります」
そう言ってリーベルトはブートガンクの柄をジロに差し出した。
「ぬかせ。……でも、そうだな。運動がてら、ちょっと行ってくる」
ジロは剣を受け取り、立ち上がって伸びをする。
「行くといっても、目が届く場所にしてくださいね」
ジロは声を背に、二人から離れた場所に陣取って、死霊達を相手取る体勢を整えた。
そして、戦闘後、夢を反芻しようと試みたが、ジロは夢の内容を完全に忘れている事に気がついた。




