六年前の回想 幽界入り
一日目。
幽界入りして初日の夜が明けると、まずアーティファクトを与えた『スリヤの剣』『アグヌの杖』『火の槍』を持った、ジロを除く中では唯一の魔法戦力の騎士三人全員が夜陰と霧に紛れて姿を消した。
弱いとはいえ、ジロも所属する王国騎士であったので、まさか一日目で抜けるとは思ってもいなかった事と、一昨日の送別会と翌日の式典によって多大に精神的疲弊ため、ジロは一切気づく事はなかった。
捜索をしようと決意し、兵達に指示していたところ、エリカに呼ばれ、
「ジロ、もういいよ。行こう? ね?」
そう言われ、ジロは情けない思いを胸に、探索命令を解除して、行進を指示した。
二日目。
見通しの悪い森を抜けると兵士が二人いなくなった。
三日目。
国境から最も近い無人の街にたどり着く。
どういう訳か、人界と違い野よりも人工物が立ち並ぶ村や町の方が霧が濃い。
そこは道以外には丈の長い草がしげり、家々は木草に埋もれている。
物珍しい光景に、エリカは興味深そうにキョロキョロと大樹に貫かれた五階建ての朽ちた木造建築物などを見渡していた。
こうした立地のため、いくつかの角曲がった時、最初の兵士が二人ついてこなかった。
点呼を取り、連れ戻そうと霧中を捜索しようとするジロを引き留め、エリカはニコニコと子供らしい微笑を浮かべ、逃げ出した護衛達の事に対し、気づかないフリをした。
エリカは自分の為に誰かが死ぬのを嫌がった。
そんなエリカの態度を見た兵士達は――、図に乗った。
申し合わせたように、三十分おきに一人、また一人と兵士がいなくなった。
その度にエリカは虚勢を張るかのように元気になり、色々な事をジロにずっと喋り続けた。
ジロははらわたが煮えくりかえるような思いを隠しながら、エリカと気楽な話をしながら歩を進める。
エリカが責める事を一切言わなかったので、ジロも隊長としての任務を放棄した。
聖女とはいえ、エリカは少女だ。護衛の平均年齢は、エリカとジロという若い二人を入れても三十五才。
死の同行に、若者は必要ないと露骨なまでの判断だった。
護衛たちとは二十以上も年の離れた、無垢な優しさに、大の大人が我が意を得たりと、一目散に逃げ出していく。
その晩、青い顔をしてヘラヘラと笑って落ち着きのない最後の兵士が二人、自らの装備をすべて持ったまま、薪を探しに行くと、エリカに申し出てきた。
「うん! いってらっしゃい。危ないかもしれないから、気をつけてね!」
っとエリカは大声で言い、またもニコニコして二人を立ち上がって送り出した。
戻ってねとはエリカは言わなかった。
それがジロには、やるせなかった。
ジロは立ち上がり、エリカの横へ立つ。
「エリカ、大丈夫だ。俺の想定通りの内だ」
そう言って、エリカの肩をギュッと抱きしめた。
ルイネを出てからずっと顔に貼り付けていたエリカの眩しいほどの笑顔が剥がれた。
泣くまい堪えていたが、エリカの顔が泣き崩れるかのように歪んだ。
せめて戦闘中に逃げ出せっと全員を呪いながら、エリカの肩を抱きしめる。
エリカは声を上げないように、ジロの太ももに顔を押しつけるようにして泣いていた。
最後の兵士二人の消えていった霧の方向を向きながらただ立ちつくした。
エリカの態度から護衛達は、残されたエリカの事を考える事もなく、徹頭徹尾自分勝手に逃げ出した。
全員がこんな露骨な去り方をするのであれば、全員をこの手で殺してやった方がましだとジロは思った。
三日目の夜、護衛隊は、死霊との戦闘を一度もする事なく、ジロを残して誰もいなくなった。
それによって護衛隊の隊長であったはずのジロは単なる護衛と格下げになった。
翌朝、エリカは今回の旅路が始まって以来、初めて笑顔を見せなかった。
エリカは起きるなり、食事の準備を始めていたジロの所まで駆け寄ると、ジロの腰にしがみついた。
「エリカ、気にするな。みんな無事だ。ただ……その逃げてしまっただけだ。でも安心しろ。足手まといがいなくなっただけだ」
エリカはジロの腰にしがみついたまま、朝のたき火の前でジッと、人がいなくなった恐怖に耐えている。
◆
「ねぇ、ジロ……みんな大丈夫かな? みんな……逃げちゃったんじゃなくて、オバケに食べられちゃったんじゃ……」
「大丈夫。それはない」
ジロがそう答えるとエリカは、そっか! っと言って、ホッとした表情を浮かべた。
マニーの冒険譚や無題の日記によれば、死霊は人間を即死させる事はまずないという。
護衛達には攻撃を受けたのであれば、まず大声で叫ぶ事を徹底させたし、そうでなくとも助けを呼ぶ悲鳴が必ず聞こえる。
それが聞こえなかった。その事をエリカには伝えなかった。
逃げ方にはどす黒い憎悪を抱いたが、力を持たない兵士の逃亡には怒りも湧かなかった。
ただ悔いが残った。
もっと、連中を徹底的に隔離すべきだったのだとそう思った。
王国内にいる時から情報統制を敷いて、幽界の情報を一切知らせないように各所に通達していたが、それでも兵士達は幽界についてよく知っていたらしい。
いつまでも元気を失ったままでいてはエリカ自身の為にならないと見たジロは歩きながらエリカを励ました。
「これを見ろ。爺さまがこの幽界のダンジョンと化している『西の盗賊窟』に仲間と入りこんで見つけ出した『ブールトガング』だ、爺さまも使って手強い死霊を退けたといっていただろう。それにエリカが着ている『精霊王の鎧』お前もこの話は知っているだろう?」
「……うん。お爺さまが東の海の無人島で見つけた……『モノノケ』っていう死霊の神様を大事にしてる人達からお爺さまが奪い取った……幽霊から守ってくれる精霊の王様の鎧……」
「そうだ。エリカが抱きついている俺の鎖帷子だって――」
「……鎖帷子じゃないでしょ? まったくジロは……『ポーキス』は水の女神様が火の神様に頼み込んで作ってもらったハジャの鎧。女神様の祝福で死霊の力を弱くしてくれる」
「……そうだ。その上おれは今や王国一の魔法騎士だと言ってもいい。死霊なんてチョロイもんだ」
「……」
エリカは何も言わずにジロの手を握りながら、うつむくように歩いている。
幽界には二人が発する音以外の、何の音もない。
二人の足音だけが周囲に響く。
頭を撫でる事しかできず、エリカをどうやって落ち着かせようかとジロが考えていると、ジロは違和感を感じた。
幽界の霧は国境付近という事もあり、世間で言われている程、濃くはなっていない。
人界の基準からすれば視界に不安を覚えるが、知識として今の三百m程の視界は、幽界内においてもっとも薄いのだと知っている。
日記にあった通りであったが……早過ぎやしないかとジロは舌打ちをしたかった。
明らかに周囲の温度が下がる。自然現象と違うのはその冷気がまるで洞窟に入る時のように、一定の方向から来ているという事だ。
天敵である死霊に対する人間本来の防御機構と言えばいいのか、死霊がやってくる時、多くの場合で冷気を感じるという。
ジロにとってはありがたい、過去の協力者達、無題の日記を信じれば、死霊が群れで出てきた感じではない。
しかし、この冷気は……。
ジロはエリカと繋いだ手に、ジットリとした汗をかいているを感じる。
「ジロ……寒い」
エリカが震えている。
兵士達の逃亡に対してではなく、今は死霊の出現に怯えている。
神殿騎士から死霊の出現についての知識があるのだろう、エリカは冷気が吹いてくる方向を凝視していた。
「エリカ……、その首飾りがある限りお前は安全だが、ちょっと下がってろ。俺にくっつきすぎてもダメだが、離れすぎるのもダメだ。もしもの時の為に、カルンウェヌンは抜いておけ。大丈夫だ。いつかはやらないといけなかった事が今起きただけだ。暮れの国に入る前に練習できてよかった」
ジロはなるべく何でもでもない事のように、楽しげに声を弾ませてエリカに注意を促す。
だが、エリカは、離れまいとするように、手を離した後、ギュッとジロの脚に抱きついた。
ジロはエリカ。と、我ながらこんな優しい声が出るのかと思う程の声音で、エリカの頭をポンポンと叩くと、エリカは最後に力一杯抱きしめた後、ジロの言う通り、恐る恐るといった感じで、後ろに下がっていった。
(エリカは頭のいい子だ、感情を押し殺す事だってできるはず。マニー爺さまだって、末は国を代表する勇者だって、認めてたんだ)
ジロが後ろを確かめると、ジロの剣域から離れた場所に立って、短剣を握りしめている。端から見ても、大丈夫だと駆けつけたくなるほど短剣はブルブルと震えている。
(聖女に選ばれただけで大変なのに、記録に残る中で、十五以下の聖女が選ばれた例はない。だから俺がその分しっかりと――)
冷気が強くなり、寒気が強くなり前方に目を凝らすと、霧が揺れた。
腐りきった死体が歩いてくる。人間型の《ゾンビ》が三体いた。
エリカがヒッ! っと悲鳴を上げた。
死体を見る事すら初めてなはずだ。
「エリカ、大丈夫だ。気持ち悪く見えるが、頑張って目を逸らすな。俺があいつらをお前に近づけない。ただ、もう少し離れるんだ。あいつは動きが鈍いから追われても簡単に逃げられる。俺を見失わないようにしながら円を描くように逃げるんだ。それができるか?」
エリカから返事はない。
「エリカ、俺の声が聞こえているか?」
ジロはゆっくりと、穏やかな声で再度エリカに語りかけた。
「う、うん! そんなの簡単だもん! できるもん!!」
「よし、いいか、エリカ。怖くなったら遠慮しないでどんどん俺に話しかけろ。そうすれば気持ちも楽になって体も自由に動くようになるから」
「うん! わかった! ジロ!負けないで!!」
エリカの悲痛な声音でジロを鼓舞した。
おう、楽勝だ。と、気楽な口調になるように注意して声を返しながらジロは考える。
(この冷気で……単なるゾンビだと? 無題の日記での記述では余程強力な死霊かと――)
――そう疑問に思った次の瞬間、その後ろから霧を乱す事なく、赤みがかった死霊が現れた。




