ジロの隠し事
エリカの後姿を見ながら、ジロはため息をつきながら麻のロープを巻き取り肩にかけていく。
(……素人細工のこいつが、これからのガルニエ商会の主力商品になるかもしれないと思うと気が重い)
「先輩。またエリカを怒らせて。まったく、間に立つ僕の事も考えてくださいよ」
離れて行くエリカを見ながらリーベルトが口を開いた。
「喧嘩なんてしてない。今は下品な話に嫌気が差したんだろう。こんな所で油売ってないでさっさ帰れ。……ところで親衛隊で麻縄不足してないか?」
「つれない先輩だなぁ。わざわざ朝食後に足を伸ばしに来たっていうのに」
「足を伸ばすって、ずいぶんと延ばしたもんだな。お前付きの従者はなんで文句も言わずについてきてるんだ。学院生の従者の役目は、昔のお前が俺のついてた時のように、ネチネチと文句のが主な仕事だろうに……」
と、ジロはリーベルトの寡黙な従者が煙る本店の脇でこちらに背を向けたまま不動の姿勢を保っているのを見た。
(あれじゃ、リーブを諫めるなんて思いもつかないんだろうな。リーブが黙って聞き入れる奴とも思わないが)
「んで? 今年の御前試合では、上位に食い込めたのか?」
毎年開催される、国王陛下主催の剣術大会。一世騎士の身分となったジロには、登城の資格は有するが、大会は王族の住む王城内で行われる。
城の敷地への立ち入りは許可されているが、強固な内壁の内側にある王城への立ち入り許可は余程の事がない限り、一世騎士の身分には出ない。
しかもジロは亡命事件以来、王族への一切の拝謁が禁止となっているため、公の場で王族の姿を見ることすら原則禁止と申し渡されている。
「最上位のおっさんや爺さん連中相手に若輩のお前がどこまでいったのかは、旅行中も気になってたしな」
(命を落とす危険がなさそうな、ごく限られた時間だけだったが……)
ジロは心中でそう付け加えた。
「決勝で近衛騎士団の副団長に負けました」
リーベルトはジロに、口惜しげにそう報告した。
「親衛隊の面汚しっぷりを発揮してんなあ」
「でも、準々決勝では近衛隊の隊長を叩き伏せましたよ」
リーベルトは口を尖らせて反論する。
大会は、何事も古めかしい王国らしく、武器のみでの戦いだ。
リーベルトは剣技単体だけよりも、ジロたちの師匠同様に総合的な剣術、魔法付与や高速詠唱に長けている。
規制無く戦える戦場であるならば、人界で、個人・集団問わずリーベルトにかなうものは滅多にいまい。とジロは見ていた。
近衛騎士団は魔法よりも剣や槍術だけを尊んでいた。
「まぁ、剣術狂いの多い近衛相手に剣だけでそこまで行ったのはよくやった方か」
(最近のこいつを見てはいないが、誰にも仕えていない師匠たちクラスの強者たちを除けば、大陸で最強の騎士になっていたとしてもおかしくはない。なんといってもこいつも師匠の弟子なんだしな)
「留守前に散々大口叩いておいて、それか。おまえも、まだまだだなぁ」
こいつは褒めるとすぐ調子に乗るしな。っとジロはリーベルトをけなした。
「でも、頼まれていた事は、完遂しましたよ。先輩」
リーベルトが再度、口を尖らせて反論する。
「……お前が学院生の頃、俺の従者になった当時から口が悪かったが、今度は目も悪くなったのか? それともこの煙噴く小屋が完遂したと結果だとでも?」
「ああ、この店の事じゃないですよ。………店は早々に諦めました。誰かが遊び場として維持しているようだったし、イタズラで倒壊や放火の可能性はないだろうと、思ってましたから」
「維持ってお前……」
そもそも人家への正当な理由ない放火は王国であろうと、大陸中の、どこの国であっても極刑であるので、憎しみのない無目的の火付けなどという事は、城下であろうと、このジロの店舗のあるような延焼の心配の無さそうな場所であろうと、皆無といってもいい。
「諦めるなよ。エリカもお前も、俺が発ってから一週間で頼みを放るとはたいした幼なじみ達だ。中々のモンだ」
「甘いですね。僕は一日ですよ。最初に来て、あぁ、この立地は見回るだけ無駄だなって」
ジロがよくよく聞けば最初に来たのが、ジロがここを離れて一ヶ月後の荒れ果てた様子の後だったというから、ジロは頭が痛くなった。
(……とかいいながらも、こいつの性格からして巡回はし続けたんだろう)
「まぁいいや。巡回は助かったよ、リーベルト。悪態ついて悪かったな」
だから、巡回してませんって、先輩。とリーベルトも認めない。
「でも、確かにガルニエ商会の存続の危機ですから、先輩が荒れるのもわかります。黙っていましたが、先輩は見るからに商才が無さそうですからね。典型的な放蕩貴族の趣味の域ですよ」
「でも楽しい方がいいだろう? エリカに言わせたら商会にそんなものは必要ないって言われそうだが、いまや、ガルニエは俺の店だ。俺の好きなようにさせてもらう。
「まぁいい。じゃれ合いはここまでにするぞ。完遂したのが店じゃないって事は、帰ってきて俺が預けた手紙の方だな。望み薄の事だったんだが、よくわかったな?」
ジロは帰国後、膠を王都で買い求めたのと同じ日に、エリカとリーベルトに帰国した事を伝言で伝えるのと同時に、リーベルトを使って、今は立ち入りを許されていない王城内の歴史編纂室などから身元を調べようと考え、親衛隊の詰め所に持っていた手紙を預けてあった。
リーベルトがダメであったのなら、ジロの手でも手こずりそうだったので、この件は専門のギルドに調べてもらおうと思っていた所だった。
「はい、初めはちょっと手こずりましたけど、すでに引退した老紋章官がアリネリアの名前を覚えていました。後はトントン拍子でした」
リーベルトは懐から、留守中にガルニエ本店で必要な支出があった場合として、前もってジロから預かっていた革の財布を返してきた。ジロはその存在をすっかり忘れてしまっていた。
「これはお前のものだ。取っておけよ」
「いえ、調査費は必要ありませんでしたし、これでも経費や手間賃はもらっています」
「じゃ、教えてもらおうか。……ん? 手紙は? 手紙も返せ」
ジロは返された財布の他に、手紙がない事に気づき、そう言った。
(まさかリーブに気取られた? サラの奴……適当な事を言ったんじゃないだろうな。……十分ありうる事だな。……手紙を渡したのは早計だったか)
ジロは血の気ではない何かがスッとジロの体内に滑ってくる感覚があった。
(いや、待て待て、どんな人間だろうとあの手紙の人名を調べてくれと言っただけで、旅行中に俺の身に起きた今の状況を推測して把握する、なんて芸当は不可能だ)
その滑り降りてきた、ジロ自身とは思えない冷静な自分が手紙の件に対して、そう判断を下した。
「はい、城に来てください。そこに資料と共に置いてあります」