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ミカタ屋  作者: 九日 一
Case 01 真昼の幽霊ちゃん *Daytime Phantom*
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1-5 不穏は凪いだ夕闇とともに




「まいどー! 明日も来いよ」


「はーい」


元気なおじさんの声に背中を押されるようにして僕は惣菜屋を後にした。 右手には今晩白米のお供となるコロッケとマカロニサラダが入った袋を下げている。 


大学生になって一人暮らしを始めてからちまちまと自炊をしてきたが、ここ最近は新歓の疲れとストレスからか帰宅してからなにもする気が起きないため、こうして惣菜やファーストフードで済ませてしまっている。 親に怒られないように「サラダ」と名のつく料理はとりあえず毎夜食べるようにしているが、マカロニ9割のサラダが本来サラダに期待される役目を果たしてくれるかは大いに怪しいところだった。 しかし、美味しいのだから仕方ないだろう。


僕が池袋にある大学に通うために栃木の実家から出て一人暮らしの舞台に選んだのは、板橋区の大山町だった。 池袋駅まで東武東上線で5分という好立地。 しかも家賃はそこまで高くない。


僕はこの町の町並みが好きだった。 アーケードで覆われた長い商店街、通称「ハッピーロード」は、昨今の商店街苦境はどこ吹く風というほどに活況を呈しており、野菜を外に放置している八百屋さんであったり、唐揚げの店頭販売を立ち食いしている中高生であったりと、どこか昔懐かしい風景で溢れている。 道はいくつもの細い路地に分岐し、それぞれ行き着く先に怪しげなバーがあったり、こじゃれた雑貨屋があったりと、冒険のしがいがある。 商店街での買い物も僕としては風情のあるものだった。 スーパーや百貨店での買い物のようにただ「客と雇われ店員」という関係でなく、その商品やその町の人々に愛着をもった店主とのやり取りのなかには温かい交流が生まれる。 この町は、将棋と散歩が趣味であるじじくさい大学生にとって非常に住み心地がいいのであった。 


6時半頃になり、ようやく仄暗くなってきた町を眺めながら、僕はゆっくりと自宅までの道を歩き始めた。


ちょっと面倒くさいことになったなと、僕は今日を振り返って思う。


消える新入生。 誰の記憶にも残らない女の子。


心底可哀想だと思うし、助けられることなら助けてあげたいと思う。 


しかし僕は、公太郎と違って他人に深く関わっていくことができる人間ではないし、みやびさんのように自分を犠牲にしてまで他人を助けようとも思えなかった。 


僕は、自分にまったく自信というものをもてない。 自分の何もかもは、きっと他の誰かで代替が利く。 いや、他の誰かの方が絶対に優れている。 そう思っているから、僕はできるだけ誰かや何かに深く関わることを避けたかった。 


僕がその新入生を助けようと試みても失敗するかもしれない。 状況を悪化させるだけかもしれない。 だから他の誰かがやってくれた方がいい。 そんな自分勝手な思いが先行してしまう。 将棋にしたって、僕より強い指し手はいくらでもいるだろうし、もしそんな人が「と金会」に入部してきたら僕は意気揚々と団体戦のメンバーの座を明け渡すだろう。 


(僕は探すことだけ頑張ろう。 部員も集めなきゃいけないし。 あとは公太郎がなんとかしてくれる)


重い足取りで歩く先に、朝と夕に毎日必ず横断する踏み切りが見えた。 


各駅停車しか停まらない駅のすぐ横にあるこの踏み切りは、通過電車がやたらと多く、一度に2、3本の電車が行き来することも珍しくない。 大学に入るまでは30分に1度しか電車が来ないような田舎で暮らしていた僕は、遮断機が1分以上も降りたままの踏み切りに未だに慣れない。 カンカンという警報器の音を同じテンポでずっと繰り返し聴かされると不安になるのは僕だけだろうか。 


人を不快にする目的をもってつくられたものが存在することを僕は大学の講義で知った。 


客を長居させないために固い座面を用いているファーストフード店の椅子。 人を不快にさせたり焦らせたりするために不協和音が用いられている救急車のサイレンや地震速報、そして踏み切りの警報音。 


不快さにも長所があるのだから、世界は分からないものだ。 僕の中途半端さにも何か取り柄があればいいのだが。


と、そんなことを考えているとまさに目の前で警報器が鳴り始めた。


1、2分の足止めさえもどかしく感じてしまうような忙しい人々が慌てて踏み切りを横断するのを横目に、特に急ぐ理由のない僕はおとなしく足を止めた。 やがて、まあお前ら俺の言うことなんて聞かないんだろ、と諦め気味の遮断桿がゆっくりと時間をかけて降り、それをスタートラインにして周囲にどんどん人がたまっていく。 僕は特に理由もなく警報音の鳴る回数をカウントし始めた。



その時、がしゃんという不自然な音とそれに続いたざわめきが、僕の思考を遮った。


いつもの踏み切り。 遮断機が降りて人の流れがピタリと止まったはずの空間に、何かがある。 


それは、色落ちした長い茶髪が目を引く若い女性と、使い古された鈍色の自転車だった。 2つとも、線路に覆い被さるように転がっている。  


それは、あってはいけないものだった。


江戸時代の大名行列ではその通り道を誰一人として横切ってはいけなかったように、踏み切りが降りている間の線路は誰一人として横切ってはいけないルールになっているのだ。 ルールを破った者は、命を落とす。


女性は、踏み切りが降りた後に急いで横断しようとして、自転車を遮断機にひっかけてしまったようだった。 


長いときは2分も足止めを食らう踏み切りだ。 遮断機が降りた後に横断を試みる人は多い。 そして、何らかの理由によって踏み切り内に立ち往生してしまい、電車を止めてしまう人も少なからずいる。 最悪、間に合わなかった場合はそのまま轢かれて死んでしまうことも。 ただ、僕はその現場に直面するのは初めてだった。 


女性は慌てた様子で起き上がり。すぐ側にあった自転車を起こそうとする。 


手が滑った。 自転車がもう一度がしゃんと音をたてて転がる。 


電車が迫る。


誰も動かない。 僕も動けない。 


助けなければという思考さえも、身体と一緒に凍結してしまったかのようだった。


極度の緊張からか、息が詰まる。 視界が真っ暗に染まっていく・・・・・・




「危なかったなぁー」



ふと気がづくと、すぐ隣にいた中年男性が映画のワンシーンでも観ているかのようにのんびりとした口調で、呆然と呟いていた。 


彼の揺れる視線を追っていくと、僕の視界のすぐ右手前に件の女性がいた。 肩を大きく震わせ、自転車を押しながら遮断機をくぐる。 


呆然、冷然、憤然。 周囲にいる人全ての視線を浴びながら、女性は乱れた茶髪に顔を隠すようにしながら自転車に乗り、ものすごいスピードで現場を去っていった。 


4秒後、銀色のボディに朱色のラインを引いた電車の先頭車両が猛然と踏み切りを通過した。


10秒後、最後の1両が通過した。 


3秒後、甲高い警報音が先細るように消えていき、遮断桿が上がる。


人の波が、いつものように流れ始める。 もうそこには、いつもの景色が広がっている。 誰もが、ああ轢かれなくてよかったと思いながら、迷惑だなと思いながら、それだけですぐに日常へと意識を引き戻していく。 


僕はまだ、地面に足がひっついてしまったかのように動けないでいた。


後ろから歩いてきたサラリーマン風の男性に舌打ちされてようやく歩き始める。 


『ヒーローは助けられる人しか助けられないんだからね』


我が家までの決まった道を自動運転で歩きながら、重い思考の淀みの中に、いつかの母の言葉が響く。 子供に言い聞かせるための優しい言葉が、今の僕には残酷な意味をもっている言葉のように感じられた。 


英雄譚は英雄が助けることのできた人だけを描く。 でも、彼らの世界の片隅では、それ以上の人々が誰の助けも得ることなく不幸になっている。 


今の女性は、たまたま助けがなくても自分で逃げ出すことができた。 でも、もう一度手を滑らせていたら? もう少し電車が早く来ていたら? 


想像するだけでぞっとする。 


そして、おそらくその恐怖以上に僕を揺さぶっていたのは、あの場にいた40人以上の人の誰一人として彼女を助けようとしなかったことだ。 自分自身が動けなかったことを棚にあげるつもりはない。 僕は、人間の「善意」というものを少なからず信じていたのだ。 社会の多勢とはいかないでも、自分の身をなげうって他人を助けようとする人は身近にいるのだろうと。  


僕が動くことが出来なかった理由の一部には、そういった他人の「善意」への甘えがあったのだと思う。 僕が助けなくても、これだけいる周囲の人の誰かが颯爽と彼女を助けてくれるだろう、と。 


しかし、あの時周囲にいた人全員がそのような考えを抱いて身を固めていたのではないだろうか。 自分以外の誰かが助けてくれるだろう、という考えの塊が、電車に今にも轢かれそうな女性を誰一人として助けようとしないという事態を産み出した。 


この共鳴現象が起きれば、人はすぐ目の前で誰かがリンチされるのを傍観することができるだろう。 すぐ目の前で誰かが死にゆくのを傍観することができるだろう。 


僕はその事実がたまらなく怖かった。 単純な悪意よりも救ようがない気がした。


そして、同時に。 


僕は、問題の新入生に対する自身の姿勢が、これと同じ結果を招く可能性に気づいた。 


誰かがやってくれた方がいい。 だから自分は手を出さないでおこう。 


善意の過信は、人を殺しうるのかもしれない。 


ぶるりと、生温い春の空気の中で不自然に身を震わせている自分に気づき、僕は自嘲気味に笑った。 無理に笑って身体と心の緊張をほぐそうとした。 


(だめだなあ。 最近暗い考えに頭をもってかれすぎてる。 だから新入生も寄ってきてくれないのかな)


ポケットを探る。 10分の自動運転は正確だっようで、僕はいつの間にか現在の住みかである木造2階建てのボロアパートの前にたどり着いていた。 


重い足取りで鉄の階段を登る。 一歩ごとにカンカンという音が響き、それがやけに耳障りに感じられた。 階段から最も離れた部屋の、薄っぺらい扉にポケットから取り出した鍵を突っ込んで開け、中に入ってドアに身体を預ける。 


大学生の独り暮らしとして標準的なトイレと風呂と簡易キッチン付きの1K。 それが現在の僕の居城だった。 


もう一年が経つのか。 


思考を切り替えるためにそんな他愛もないことを考える。


独り暮らしにはもう慣れた。 


料理以外の家事はそつなくこなせるようになったし、田舎から出てきた学生が大抵直面する都会の3大問題(信じられないくらい不味い水道水、女性専用車のトラップ、呼吸困難になるほどの満員電車)も無事克服した。 


激流のように流れる新生活のなかでは、与えられたことをするだけで毎日が精一杯だった。 近頃僕がややこしい思案に陥りがちなのは、生活に慣れて余裕が出てきたからに違いない。 


僕はふっともう一息ついて、スニーカーを脱いで部屋に上がり、電灯の紐をひいた。 栃木にある実家のものよりいくぶん濁った光が部屋を満たす。 


その時、視界の隅、4段オープンラックの3段目に置いてある円形の金属缶が不思議と目についた。 中に金平糖が入った、コンパクトミラーサイズの小物入れだ。 つい先日まで2種類あった缶は今は1つになり、どこか寂しげだけれども頼りがいのある居住まいでそこにあった。


それを見つめながら、ぼんやりと考える。


「そういえば・・・」


あの時僕を救ってくれた女性。 彼女は偶然そこにいて、偶然僕を救ってくれた。 


彼女を突き動かしたものは一体なんだったのだろう。


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