1-21 エピローグなんて、言わせない
「『大凶が出たから きょうは大吉だね』って、どういうことなんだろうな」
ふと、公太郎がどこか聞き覚えのあるそんな疑問を呈した。
水曜日の夕方、と金会の部室にて。 公太郎と僕が対局をし、みやびさんを含めてその検討を終え、歓談中のことだった。 BGMとして適当に流していたヒットソングの歌詞に公太郎が反応したのだ。
彼の話題構成力はまるでフォンデュマシーンのごとくで、彼の口からは絶えることなく、公太郎色に染まったトピックが飛び出してくる。 そして、彼の提供するチーズフォンデュ改め公太郎フォンデュは程よく塩見がきいていてお茶うけに最適だ。
「俺の友だちに、大吉が出たらスゲー落ち込むやつがいるんですよ」
「逆に、私の叔父は不運なことがあった日に宝くじを買っていたよ。 運の捉え方の問題だね」
みやびさんが話題に乗り気なことを嬉しがって、公太郎は前のめりになる。
「そうそう。 ツチノコを幸運の象徴と見るか、幸運を根こそぎ奪う死神と見るか論争、みたいに」
そんな論争があったのか、と僕は驚いたが、どうやら彼の作り話だったらしい。 しかし、あってもおかしくないなと思えた。
「どう思います? 運はお金みたいに収支があるもんなのか、それとも雪みたいにランダムに降ってくるもんなのか」
みやびさんが首をかしげて「うーん」と唸った。 それを聞いた公太郎の眉と唇の端が怪しげに動いたので、僕は彼を素早く目で制圧して、最近なにとなしに読んだ就活本から得た知識を口にした。
「就活では、『あなたは運がいいですか』と聞かれたら、『運とは自分で勝ち獲るものです』って答えるとウケがいいらしい」
公太郎が「なんだそりゃあ」と大声を出す。
「それは努力の結果だろ。 質問を履き違えてる。 というか、その質問自体わけがわからねえ」
「そうかなぁ」
と言いつつ、僕もこの答え及び質問そのものに、違和感を感じてはいた。 そもそも僕は、自分の運の良い悪いというのを特に意識したことがない。 大凶が当たろうが、テストで予習範囲外の問題がたくさん出ようが、鳥のフンが身体に当たろうが、イヤだなあと思ってそれで終了だ。 幸運を強く意識していない分、不運に対するダメージも低いのかもしれない。 そして、僕みたいな人間は意外にも少なくないのではないかと思う。 悟り世代と呼ばれ、なにかと欲望のない人生を送る若者にとっては特に。
「まあ確かに、運という因子が存在する前提でする質問は、適してはないかな」
「ま、俺だったら『運なんて存在しないと思って生きるようにしています』って答えたやつに高得点をつけるな」
なるほど公太郎らしい、と僕が苦笑していると、隣から不意打ちのように声が飛んできた。
「私も」
みやびさんが、僕たちの意見に賛同するように、あるいは自身の中で見つけた回答を再確認するかのように2、3度頷く。
「私も、この質問は面接には適していないと思う。 けれども、学術的研究としては興味深いと思う。 なぜなら」
彼女は一瞬口をすぼめ、言い淀んでから続けた。
「・・・運とは、宗教と一緒だと思うから」
「宗教と一緒?」
僕は公太郎と一緒に復唱した。 いきなり踏み込んだ話題になったな、と思った。 ただ、この二人となら安心してそんな話もできる。 政治や死刑制度やジェンダーについておかしな熱を持った教授やインテリ気取りの同級生なんかより、ずっと。
みやびさんは少し自信なさげに持論を展開する。
「そう。 どちらも、存在すると信じる人にとっては、存在するもの」
不思議な定義だった。 僕はなんとなく、それが重要な意味を持っている気がして、みやびさんの囁くような声に耳を澄ます。
「私の両親の友人には、熱心なキリスト教徒が何人かいてね。 そういう人たちと話をしていると、感じるんだ。 ・・・この人たちにとって、神様は存在しているんだって」
みやびさんは静かに深呼吸をした。 彼らと話した時の記憶を鮮明に思い起こすように。
「幸福なことがあったら、神様のおかげだと心から感謝をして、苦難は神様の与えたものだと思って前向きに乗り越える。 存在すると信じている、なんてものじゃない。 彼らにとっては、神様は間違いなく存在している。 そう直感した」
僕は、まだ言葉の意味を捉えかねた。 それは、なにかを強く信じたことのある人にしか、あるいはそういう人と関わったことのある人にしか、はっきりと理解できないものなんじゃないかと思った。 けれど、向かいに座る公太郎はほどよく筋肉のついた腕を組んで呟いた。
「存在しているから信じるんじゃなくて、信じているから存在している、か」
公太郎の言葉に、みやびさんが珍しく「そうそう」と大きく頷く。
僕も、彼の言葉にはぴんとくるものがあった。
「確かに、運ってそういうものかもしれない」
「あるいは、占いも、都市伝説も、幽霊も」
公太郎が言い。
「・・・奇跡も、運命も」
意外とロマンチストなみやびさんが続いた。
そして、
「・・・ぷっ」
僕たちは、6畳の小さな部屋で思いがけず見つけた大げさな結論に、気恥ずかしくなり、誰からともなく吹き出した。
「信じる者は救われる」という話じゃない。 信じることによって、足元をすくわれることもあるのだから。
信じるものは、存在する。
なんの根拠もないけれど、なんだか励まされる言葉だ。
人は、自分に与えられた幸福に神様を見つけて、揺れる木立の隙間に死んだ人の影を見つけて、2アウトからの逆転劇を奇跡と呼ぶ。
そして、誰かとの出逢いを、運命と呼ぶ。
「俺は正義を信じてる」
いきなり立ち上がった公太郎が、なにかの漫画の主人公の真似をして、腕を胸の前に掲げた。 彼の言葉には虚飾はない。 子供の頃から変わらず、子供の頃の大きすぎる夢を叶えられるように成長し続けている。
「私は、ささやかな運命の連なりを信じている」
みやびさんは、はにかみながら言った。 人と関わることが苦手な彼女は、自分の小さな世界の中の関係性に大きな価値を見いだし、大切にしていた。
さて、この流れでは次は僕の番、ということになる。
けど、
「僕は・・・」
口は「あ」の形のまま、動きを止めてしまった。
みやびさんと公太郎が、急かすでも、呆れるでもなく自然な視線を向けてくる。
僕は、なにを信じているんだろう。
自分の人生に従うならば、「中立の絶対性を信じる」と言い切ってしまいたいところだが、その絶対性の証明はつい最近霧散したばかりだ。
思わず「うーん」と唸ってしまいそうになるのを抑えて、考えてみる。 でも、他にぱっと思い浮かぶものもない。
でも、自分が何も信じていないとは思えなかった。 思いたくなかっただけかもしれない。
とその時、部室を包む空気がふわりと変わった。 窓から差し込む赤みを帯びた陽光が陰り、穏やかな暗さが僕たちを包む。 何かが起こりそうな、神秘的な薄闇だった。
その予感は、案外に間違っていなかった。
・・・こんこん
と、物語の始まりにはありがちな、小さなノックの音が響いた。
全員の意識が古びたスライド式のドアに向けられる。
「はぁい、どうぞー」
公太郎がのんびりとした声をかけるが、返事はなく、ドアが開く気配はない。
そもそも僕たちと金部には、来客者の心当たりがなかった。 新入生のサークル選びはもうすっかり落ち着いた時期だから、消防点検のおじさんくらいしか用のある人はいないだろうけど、点検はつい最近終えたばかりだ。
なおも待つが、ノックの主は正体を見せなかった。
まさか気のせい? でも、3人全員が幻聴を聞くなんてあるわけないし。
「幽霊かもな」
公太郎がにやりとして言い、
「・・・あるいは運命かも」
みやびさんが心なしか瞳を輝かせて言い、僕を見た。
「ましろくん、見てきてくれないかな」
「えー」
なんでまた。
心のなかで小言を言いつつも、僕は腰をあげた。 部長の頼みとあれば仕方ない。
ほんの畳ひとつ分の距離を歩いてドアに近寄る。
僕は幽霊の存在を信じていない。 けど、不審者の恐ろしさは信じてるんだぞ。 要するに、ちょっと怖い。
そんなことを考えていたが、夕暮れの奇妙な光の具合と、後ろに控える残酷ながら頼もしい友人の存在が恐怖を半減してくれた。
長い歴史の分だけの隠しきれない汚れのひとつをじっと見つめてから、僕はゆっくりドアを開けた。
目の前には誰もいなかった。
廊下に出て左右を見回してみるが、東側にはすぐそこに灰色の壁があり、西側には延々と部室が連なっているだけだ。 楽しそうな声は漏れ聞こえてくるけど、風の音とか、影の揺らめきとか、あるいは視線とか、怪しげに思えてしまうような気配さえ一切なかった。
ふぅん。 なんだ。 そうか。
僕は無音で呟き、部室に戻ろう踵を返した。
しかし、そこで、壁しかなかったはずの視界の左端になにかが見え、足が止まった。
うっすらとしていながら、疑いようのない人の形。
驚いて飛びすさらなかったのは、僕が無意識のうちにその正体を理解していたからかもしれない。 ノックの音を聞いた、その時から。
緩慢な動作で顔を左に向ける。
すぐそこに、彼女は立っていた。 心臓の音が聞こえてしまいそうなほどの距離に。
幽霊ちゃんこと、糸居瑠璃葉は立っていた。
「ましろさん」
温かな日差しが戻ってくる。 色に乏しい世界を朱色に塗り潰しながら。 それに合わせるようにして、瑠璃葉の少しだけ透けていた身体と声はもとの姿を取り戻す。 まるで魔法が解けるかのようだ、と僕は思った。
「あたし、ましろさんとの出逢いをバッドエンドにさせるつもり、ないですから」
彼女は、あの瑠璃色の頑なな眼差しで僕を見据え、宣言した。
「変わります。 あたしのために。 だから、見ててください」
・・・ああ。
その言葉に、僕はひとつの答えを見つける。
そうだ。 人と人との関係は、簡単にエピローグを迎えたりなんてしない。 どちらかが諦めない限り、続いていくのだ。
そうだな。
僕はとりあえず、人の力を信じてみよう。
自分を変える力を。 結末を変える力を。
ひとまずは、そうしよう。
ここがエピローグだなんて、言わせるものか。
「見ててください。 ずっとを保証してくれなくてもいいですから。 今は」
「君の物語はいろんな意味で目が離せなそうだ」
軽口で応じた僕に、瑠璃葉は初めて笑顔を見せて言った。
「いつか、巻き込んじゃいますから。 覚悟してください」
瑠璃葉は笑う。
幽霊のように透明な、美しい笑顔で。
ミカタ屋 -case1 真昼の幽霊ちゃん- fin.




