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ミカタ屋  作者: 九日 一
Case 01 真昼の幽霊ちゃん *Daytime Phantom*
20/24

1-17 石ころ帽子

いつもありがとうございます。 ツイッターにて、小説紹介ムービーを公開しています。 興味のある方は「kyuhi01」で検索してみてください! ツイッターをやっていない方でも、googleなどから同じように検索してもらえれば見ることができます!



スマートフォンの画面を開き、通知が来ていないことを確認してまた閉じる。 


何度繰り返したことだろう。 まるで恋人ができたばかりの少女のようだ。 普段は現代の若者としては異常なほどにスマホとの接触時間が短いというのに。 そういえば、最近読んだ学術書に『現代人はスマホを付け合わせに食事をしている』なんて皮肉があったっけ。 こんなときに、その若者の気持ちを知ることになるなんて思いもしなかった。 


インターネットが生み出した『いつでもつながることができる』という事実は、残酷にも『つながらない』という事実をも色濃く浮かび上がらせる。 一人の人間から連絡が来ないという事実が、これほどまでに心と身体を支配するとは。 今日までの僕は知らなかった…… 


土曜日の朝。 自宅のベッドの上で、僕は、これ以上こいつの奴隷になっていても仕方ないと考え、新品同然の綺麗さを保っているスマートフォンを手放した。 それでも黒いスクリーンがちらとでも目に入るだけで落ち着かないので、かけ布団でくるんでしまう。 それでも落ち着かない。 うんざりしてくる。 



『事件』のことを知って以来、僕は瑠璃葉と連絡を取ろうとずっと試みていた。 しかし、3日が経った今もLINEの既読はつかないままだ。 気づけば文芸思想研究会のサークル体験日から一週間が経ってしまっていた。 


僕は変わらず大学に行き、講義にも出ていたが、視界の端にどうしても瑠璃葉の姿を探してしまい、全く集中ができなかった。 道を歩いているときも、絶えず彼女のありもしない気配を追いかける。 彼女に少しでも似た姿を見つけては立ち止まり、膨大な人の流れに尖った視線を向けられた。 


大学の中の時間は、変わらず平然と続いている。 僕はその事実に気づくたびに、あんたたちの視線が瑠璃葉を苦しめているというのに、と周囲の人間を恨めしく思い、そしてそんな自分の卑屈さに嫌気が差すのだった。 


瑠璃葉はどこにいるのだろう。 大学の構内にも、あるいはスマートフォンの中にだって、彼女の気配はまるで存在していなかった。 


そもそも大学に来ていない可能性もあった。 しかし、僕は後に遅まきながらもう一つの可能性に気づいた。 


彼女はまた、「見えなく」なってしまったのではないか。 


彼女の『姿や声などの情報を過度に薄める個性』のトリガーは緊張だ。 『事件』をきっかけに瑠璃葉に襲い掛かった視線の洪水は、彼女を恐怖させ、個性を発動させるには十分すぎるものであったはずだ。 


存在そのものが透明になってしまった彼女が大学のどこかでひっそりと歩き、孤独に講義を受けている姿を想像すると、自分の罪の大きさを改めて認識させられた。 


一方で、僕の足はと金会の部室や雑貨屋レトロニムから遠ざかるばかりだった。 自分にこれといった手立てがない以上、公太郎や千景に力を貸してもらうことが最善であるはずなのに。


怖かったのだと思う。 自分が強く憧れる2人に、何もできない自分を見られることが。 


僕はどうしようもない人間だった。 



不意にのどの渇きを感じたのでベッドから身を起こし、狭い通路に埋まっている冷蔵庫から200ミリリットルのペットボトル入りのお茶を取り出して直にあおった。 しかし、不快な疼きは消えない。 焦りと無力感が僕の身体の中を勝手に、終わりを知ることなくかけずり回っている。 


瑠璃葉と会わなければならない。 それが、彼女を助けることを決意した者として、彼女の人生に関わった者としての責任だ。 


でも、もし会えたとして、何を言えばいいのだろう。 


『僕にしかできないこと』


そのようなものがこの世に存在するのだろうか。 存在するとして、それが何なのか、そして僕に本当にそれができるのか。 


分からなかった。 なにもかも。 


ほとんど中身の減っていないペットボトルを冷蔵庫に戻し、今度は好物の金平糖を口に含んでみる。 しかし、それで気分がリフレッシュされるわけでも、糖分によって脳が活性化して『僕にしかできないこと』が小汚い部屋のすみにみつかるわけでもなかった。 


手のひらの上で3つの白い金平糖を意味もなく転がす。 金平糖はどれも同じような見た目をしていて、トゲの先端が奇妙に曲がっているなと思い目をつけたものも少しころころ転がすだけですぐに他と区別がつかなくなる。 


僕はため息と入れ替えに金平糖を一気に口に入れ、ショルダーバッグを肩にかけて家を出た。 足は大学へ向かう。 なんらの手立てもないまま。 かすかな瑠璃葉の気配を探しに。 




大学の構内は、ペンギンの大行進を彷彿とさせる平日の混雑具合とは打って変わって閑散としていた。 大学生のうち余程のもの好き以外には、世間的に言う「休日」、つまり土曜日曜に講義を入れる人間はいない。 大学側によって自動的に時間割に組み込まれる「必修講義」が土曜日になってしまうことがある1年生はその限りではないが。 


1コマ目の講義が終わってからしばらく経った時間帯、野外で練習を行っているアカペラサークルのよく響く歌声を耳にしながら僕は構内をぶらぶらとうろつく。 その歌は、いつか聴いたことのある青春ドラマの主題歌だった。 


「子どもの頃から変わらない大切なものを大切にしたい」


そんなありきたりで、だからこそ普遍的な価値のある歌詞は、今の僕には重過ぎる。 


「子どもの頃の大切」は、「大人の大切」より守ることが難しい。 大人の大切すら守ることができていない僕に、過去の高すぎる理想を追い求める力も資格もない。 


そう考える僕は、聞き分けの悪い子どものように言い訳を探していた。 



だからこそ、大学の誰も足を踏み入れない奥地の、ごくわずかな面積しかない芝生の上に、思いがけず目的の人物を見つけたときは動揺した。 


木々が作り出す透明な影に溶け込むように、彼女はひっそりとそこに存在していた。 足を伸ばして座り、建物の壁に背中を預けて文庫本を読んでいる。 


その肢体は消えていなかった。 その横顔は至って自然だった。 紺色の猫っ毛が、彼女の身体に指す木漏れ日と一緒に風に吹かれて揺れていた。 


「なあんだ。 見つかっちゃいましたか」


気配を感じ取ったのか、瑠璃葉が快晴の中にも映える深青の瞳を僕に向けて言った。 冗談を言って僕をからかった後のような調子で。 


「土曜日だからさすがに来ないと思ったんだけどなあ」


そう言いながら彼女は文庫本を閉じ、律儀にも頭を下げて僕に挨拶をすることを忘れなかった。


「こんにちは。 ましろさん」


僕も、なんとか声を捻りだす。 


「やあ。 大学に来てたんだね」


「よかった」という、現状を安易に楽観する言葉が続きそうになったのをすんでのところで堪えた。 


「あたし、ちゃんと講義にも出てますよ。 律儀なんです」


「……知ってるよ」


瑠璃葉の調子があまりにいつも通りなため、僕はあの『事件』がなかったのではないかと錯覚した。 あるいは『事件』は僕たちの想像するような深刻な影響を彼女に及ぼさなかったのではないかと。 


だけど、そんなはずがなかった。 『事件』は確かに存在した。 ツイッターという文明の利器の無慈悲な拡散力は、多くの人々へと瑠璃葉に対する好奇心を植え付けた。 人よりも神経質なところのある彼女が、見知らぬ他人から絶え間なく浴びせられる視線を無視できるとも思えない。 


その僕の考えを裏付けるように、瑠璃葉は形だけの笑みを残して呟いた。 


「見つけてくれる人って、見つけてほしくないときも見つけてくれちゃうから厄介ですよね」


「……ごめん」


適切な言葉を見つけることができず、僕は紋切り型の謝罪の言葉を情けなく口にした。 それが、『事件』を防げなかったことに対する謝罪なのか、それともタイミング悪く瑠璃葉を見つけてしまったことに対する謝罪なのか、それすらもはっきりしなかった。 


少しの間、二人の間を沈黙が支配した。 多くの学生にとっては(休日にはことさら)用のない大学記念館のレトロな建物の裏手にあるこの場所は、まさに都会に潜む秘境のように静かだった。 


その静寂の中でふと僕は、千景が、瑠璃葉と初めて出逢った場所が芝生の気持ちいい穏やかな場所だと言っていたことを思い出した。 もしかするとここが、瑠璃葉が僕や千景と出逢うより前にその孤独な時間を埋めるために拠り所としていた場所なのではないか。 いや、ほぼ間違いなくそうなのだろう。 


僕は、彼女をもう一度この場所へ戻してしまったのだ。 


「ましろさん」


呼びかけられ、僕は俯かせていた顔を恐々と上げて瑠璃葉の顔を見た。 彼女の感情は相変わらず読むことができない。 よくよく考えてみれば、彼女はいつもそうだった。 笑顔の下にいつもなんらかの秘密を隠していた。 ただ、隠していることを隠すことは、お世辞にも上手いとは言えなかったが。 


「あたし、たくさんの人に見られるようになっちゃいました。 アイドルさながらです」


清々しい笑顔を作ってそう言う彼女は、やはり無理をしているのがばればれだった。 


「今は、大丈夫なの?」


「えー。 最初から大丈夫ですって」


彼女はひらひらと手を振って見せる。 


「本当…?」


「当然」


しかし、さらりと否定されながらも僕が問い続けると、瑠璃葉は意外と簡単に観念した。 もともと、取り繕う余裕などなかったに違いない。 そっとため息を吐き、無表情をあらわにした彼女は、僕に一つの質問を投げかける。


「『石ころ帽子』って知ってますか?」 


脈絡のない質問に思えた。 ただ、彼女は自身の大きな知識箱の中身を的確に取り出し、現状に結び付けて話すことを好む人間だということを僕は知っていた。 


「ドラえもんのひみつ道具だったよね? でも、詳しくは覚えてない」


僕の答えに瑠璃葉は一つ頷き、自分の周囲の地面をくるりと見回した。 目当てのものが見つからなかったのか、彼女は瞳に虚しさを滲ませて首を小さく振り、問の答えを明かす。 重い意味を。 軽い音に乗せて。 


「『かぶると道端の石ころみたいに誰も気にしてくれなくなる帽子』です」


その言葉に、僕がどきっとしないわけがなかった。 それはまさに、瑠璃葉の個性である『過当情報オーバーセンス』そのものであった。 


「このお話は、のび太がパパやママから怒られて『みんながぼくのこと見張っててうるさいこという。 放っておかれたい』ってドラえもんに泣きつくところから始まります」


そういって瑠璃葉は、『石ころ帽子』のエピソードを簡潔に語った。 


ドラえもんにもらった石ころ帽子をかぶったのび太は誰からも気にかけられない存在になり、お母さんにくすぐり攻撃をしかけたり、しずかちゃんのお風呂を覗いたり好き放題なことをする。 しかし、そのうち誰からも構ってもらえないことに寂しさを感じたのび太は帽子を取ろうとするのだが、サイズが小さいものを無理やりかぶったせいでどうしても取ることができない。 彼はお約束通り号泣し……最終的には涙でふやけて帽子が取れる。 結末のあっけなさとは裏腹に、どこか空恐ろしいものを感じさせるこのエピソードの最後の一コマは、我らが愛する国民的キャラクターのび太のこんなセリフで終わる。 


「『気にかけられるって、うれしいね』」


瑠璃葉はそのセリフを、その時ののび太のものとは何光年とかけ離れているであろう明瞭さと皮肉をもって言い、話を締めくくった。 


僕は、彼女がこの話を通して言いたいことがぼんやりとわかった気がした。 


「あたしは、のび太とおんなじで、ちょうど真逆。 ずっと石ころ帽子をかぶってたんです」


彼女はもう一度、地面をくるりと見回した。 しかし、清掃員によって常にきっちりと整えられている敷地には、彼女の探しているのであろう石ころは見当たらなかった。 


「誰からも気にかけてもらえなくって、だからみんなに見てもらうことに憧れていた。 そして、あたしの味方をしてくれる人に出会って、石ころ帽子をとってもらったけど、いざみんなに見られるようになったら恐怖しか感じなくなってしまった。 ドラえもんのお話と唯一違うのは、のび太は石ころ帽子を取るのに苦労したけど、あたしは石ころ帽子をすぐにもう一度かぶることができたこと」


その言葉で、僕は彼女の身に起こったことを悟った。 やはり彼女は周囲から浴びせられる視線に耐えることができず、『透明に』なってしまっていたのだ。 


「あたしにとって、結局石ころ帽子は必要なものだったんです」


そう言った瑠璃葉の顔は悲しみと諦念でいっぱいで、僕はかけるべき言葉をみつけられなかった。 


「今はもう、誰にも見えなくなっちゃいました。 ここに来ると、戻るんですけど」


彼女は立ち上がり、デニムのガウチョパンツについた芝をぱんぱんと払った。 その顔にはもう透明な笑顔が張り付いていた。 


この場所から出たら、彼女はまた消えてしまうのだ。 真昼の陽気の中では、幽霊は生きることができない。 


「瑠璃葉、ほんとうにごめん。 僕がもっとちゃんと気を配っていれば……」


「いいえ、違いますよ。 ましろさんは、ほんとのほんとに悪くないです」


瑠璃葉はあっさりと僕の謝罪を退けた。 僕は、彼女が“ましろさんは”の部分をすこし強調したことが気にかかったが、彼女は言葉を紡ぐのをやめない。 


「誰も悪くなんてないって、あたしだってわかってるんです。 あたしの心の弱さが問題なんですよね。 人からただじっと見られることが嫌で、ずっと個性の殻の中に引きこもったままでいる、なんて馬鹿らしいですよね……」


瑠璃葉は自虐的にそう言って俯いた。 と、思えば、その言葉の余韻が消えないうちに彼女は勢いよく顔をあげ、くるりと顔色と声音を変えた。 『糸居瑠璃葉』という人格を形づくる核そのものが、まるで幽霊であるかのようにとらえどころがなかった。 


「なーんて。 本気で思えたらいいのに。 あたし、みんなのことが嫌いです。 あたしみたいな辛い思いをしないでニコニコしてるみんなが嫌いです。 あたしにいじわるするみんなが嫌いです」


それが彼女の本心、なのだろうか。 


自分を取り巻く世界が嫌いだという、それが、彼女が石ころ帽子を脱ぎ捨てた先にたどり着いた結論なのだろうか。 


きっと、半分は本心で、半分は現実逃避だ。 


瑠璃葉は思いの丈を吐き出してからそれきり、すっかり黙りこんでしまった。 人の声も、鳥の声も、車の走行音も聞こえないこの場所の静寂は、本来であれば心地よいものであるはずなのに、今はただ身を刺されるかのように痛かった。 


彼女が僕の言葉を待っていることがわかる。 


だからといって、一体、僕は彼女にどんな言葉をかけることができるのだろう。 


一人ぼっちの悲しさと、一人になれない苦しみの双方を知ってしまった彼女の選択を間違っていると断じるだけの根拠も資格も、僕は持ち合わせていなかった。 


「……瑠璃葉。 君を、そういう目で見ない人もいるよ。 僕や、千景だけじゃなくって」


ようやく僕が絞り出した言葉は、そんな、なんの救いにもならない空虚なものだった。 


自分の無力さに、僕は思わず目を伏せる。 


沈黙が続いた。 瑠璃葉の微かな息づかいだけが、僕と彼女の存在証明だった。


僕はこの沈黙に答えを見つけようと必死でもがいた。 しかしそれが見つかるはずもなく、やがて気だるげに、終わりの時はやってくる。 



別れの時が。




「・・・あたし、ましろさんに見えてればよかったです」




「え…?」


聞き取れるかどうかギリギリの小さな声。 その意味をとらえかねた僕は聞き返そうとして顔を上げたが、そこにはもう彼女の姿はなかった。 


彼女の存在は、完全に透明になってしまっていた。 


「・・・瑠璃葉?」


人の気配が一切ない都会の秘境の空気はあまりに澄みすぎていて、僕をひとり置き去りにする。 



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