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ミカタ屋  作者: 九日 一
Case 01 真昼の幽霊ちゃん *Daytime Phantom*
18/24

1-15 黒白の蝶



「・・・ましろさん、ありがとうございました」


隣から奇妙にかすれた声が聞こえてきて、僕は何を考えるともなくぼーっとしていた意識を覚醒させた。 


「ああ、もう落ち着いてきたんだ。 よかった」


左隣に視線を向けると、まずは小さな白い手、もう見慣れた花柄のワンピース、そして猫を思わせるアーモンド形の瞳が目に入る。 


文芸思想研究会の体験入部を終えてから、僕は瑠璃葉の手を引いて大学近くのひとけのない公園に足を運び、そこで彼女の「緊張」が解けるまでの時間をともにした。 緊張状態である限り彼女はその身に宿す「個性」の効力によって自身の身体や声が消えてしまい、いつその効力が切れるかわからない状態で人目のつくところを移動するとトラブルを招きかねないと考えたからだ。 


まだ蜃気楼のように揺らぎ実体のはっきりしない瑠璃葉は、そこだけ光を放っているかのように見える美しい瑠璃色の瞳で僕を見つめ、およそ1時間ぶりに聞くハスキーな声でいつものようにその小さな身体に溜め込んだ雑学を披露して見せる。 


「・・・人と触れ合うと安心するって言いますよね。 そのおかげで緊張も早く収まったのかもしれないです」


「そっか。 うーん、でも、だれかれ構わず手をつなぐわけにはいかないしなー」


「・・・あたしもだれかれ構わず手をつなぎたくはないですよ。 それに、知ってましたか? ましろさんの手って、不思議なくらい冷たいんです」


「えっ、そんなに冷たい?」


ぎょっとして思わず離そうとした左手を、彼女の右手がぎゅっと握る。 


「『アガリ症』って言葉があるじゃないですか。 あれ、緊張すると体温が上がることが語源にあるらしいですよ。 だから逆に身体を冷やすと緊張も和らぐらしいんです」


うーん? すると僕は瑠璃葉にとって都合のいい冷えピタのような存在になっているということか? 確かに僕は周りの人間からよく「何もかも冷めた男だ」と言われるけれど。 


そんなことを考えながら、僕は僕の手をじっと見つめる瑠璃葉の表情を伺い、心中でほっと安堵の息を吐いた。 


先刻の文芸思想研究会におけるチャットを介した交流を見ている限りでは、彼女は「しゃべりたがり」の本性を存分に開放して楽しそうに会話をしているように思えたが、実際のところは彼女の表情を見ることができなかったので、僕は彼女が本当に楽しんでいるのかどうか一抹の不安があったのだ。 


しかし、今僕の前にいて、僕の手をこちらが恥ずかしくなるほど熱のこもった視線で見つめるのはいつもの少女だった。 一見無表情に見えるけれど、子供のような好奇心と誰かに構ってほしいという欲求が隠しきれずに身体の各所から滲み出ている。 嬉しそうにしているより、ほっとしているより、彼女がこうしていつもの「瑠璃葉」でいることが僕には何よりもの安心材料だった。 


「数学でいう、『対偶』でしたっけ? 『緊張すると体温が上がる』なら『体温が下がれば緊張しない』って、そんな単純なものなんでしょうかね、人の身体って。 よくスポーツ選手が試合中に笑うことで緊張をほぐすっていいますけど、それってつまり怒ったら緊張するってことなんでしょうか。 あーでも、それはあってそうだなー」


先ほどまでずっとしゃべり倒していたくせに。 彼女は全く疲れていないようだ。 いや、口を使ってしゃべれなかった分のフラストレーションがレギュラー満タンになってしまっているのかな。 その気持ちはなんとなく分かる。 


「僕に生物の知識を問わないでほしいな。 高校の時は生物のテストは毎回赤点ぎりぎりだったんだ」


「へー、意外です。 ましろさんなら全教科平均点とか普通にやってそうなのに」


「それはあながち間違ってないよ。 でも、生物に限っては、自分の身体のメカニズムを知るって、すごく気持ち悪いと思っちゃって」


「なんとなくわかります。 あたしも、かぜ引いたときとか、白血球がんばれーって思うときもありますけど、あのうようよした奴らが身体のどこそこで激戦を繰り広げているのかって想像してうすら寒くなるときありましたよ」


そう言ってけらけらと笑う瑠璃葉は、もう完全に姿と声を取り戻していた。 いや、「取り戻す」という言い方は間違っているのかもしれない。 彼女の最終的な目的は、突き詰めて考えれば自分の「過当情報オーバーセンス」という個性と折り合いをつけ、共生していくことだ。 そうであるなら、個性から自分の姿や声を「取り戻す」のではなく、「貸して、返してもらう」と、そんな風に明るく言えるようになる未来を目指さなければならない。 


今日の一歩で、その未来に近づいたならいいな。 


僕は、夜の気配を運ぶ青い残照に照らされた彼女を見つめ、少しの虚しさを胸にそう祈った。 


「ましろさん、あたし、今日頑張りましたよね」


「うん、頑張ったよ」


「ましろさんのおかげで、頑張れたんです」


「うん、そういうことにしておこっか。 あと、ちゃんと千景にも感謝するんだぞ」


「いやです。 ましろさんにその分の感謝をあげるので、ましろさんが渡しといてください」


「感謝の気持ちは転売できない」


僕が静かに諭すと、瑠璃葉は唇を突き出して苦言を口にした。 この、正直で頑固な性格に関しては、個性うんぬん以前に改善してもらわなきゃいけないかもしれない。 まあ、そこに可愛げがあるのかもしれないけれど。 


そんな僕の内心を感じ取ったわけではあるまいが、瑠璃葉は突き出した唇をぴゅっとひっこめ、しおらしい視線を僕に向って投げかけた。 


「ましろさん、また今度もついてきてくれますか?」


僕は、彼女のミカタになると決めたときに自分の心に誓った想いを、ゆっくりと口にする。 


「うん。 君が、君の個性と仲良くなれるまで」


その言葉を受けて、瑠璃葉は顔を俯かせた。 唇が細かく動き、様々な形を作ったが、そのどれもが音を発することはない。 


少しだけ心配になった僕が様子を伺おうとしたところで、彼女は顔を上げた。 いつかに彼女が見せた、澄んだ笑みを浮かべて。 


「あたしを最初に見つけてくれたのが、ましろさんでよかったです」


なんだよ、その、嫌なフラグが立ちそうな気配に満ち満ちた台詞は。 


「最初に見つけたのは、千景でしょ?」


「いいえ、違いますよ」


違う? どういうことだ?


その言葉の真意を知りたかったが、彼女はあの、そう、相手を巧みに煙に巻いてしまう笑みで首を振り、話を逸らすのだった。


「『バタフライエフェクト』って、知ってますよね」


「え、ああ、有名な話だよね。 ・・・よくは覚えてないけど」


「ある場所での蝶の羽ばたきが、小さな現象の連鎖を起こし続けて、やがてずっと遠くの場所で台風を巻き起こす。 これが転じて、ある事柄が、巡りめぐって思いもよらない事柄につながるっていうことを表す言葉です。 日本のことわざで言う、『風が吹けば桶屋が儲かる』ですね」


「・・・そっちも聞いたことだけはあるんだけど、どういう意味だっけ?」


「えーっと、風が吹くと砂ぼこりで失明する人が増えて、その人たちが音楽で生計を立てようとして、三味線が売れて、材料の猫が減って、ネズミが増えて、やつらが桶をかじるから桶が売れるようになるってことでしたかね」


「すごいややこしい話だな」


「ふふ、そうですね。 でも、多分あたしたちの『今』はそのくらいややこしい連鎖の上に成り立ってるんですよ」


瑠璃葉は何を言いたいのだろう。 『バタフライエフェクト』。 ロマンチックというものに大いなる憧れを抱く一人の少女には大好物の話なのかもしれないが。 そういえば、つい最近我らがと金会の部長みやびさんも似たような話をしていたっけ。 しかし、猫が三味線の材料だとか、ネズミが桶をかじるとか、ロマンチックとはいささか離れている気もしなくはない。


「・・・もしも」


そんなことを考えて内心首を捻っていた僕の鼓膜を、瑠璃葉の、奇妙にクリアな声が揺らす。 


「あたしが火曜4限に講義を入れていたら。 あたしが電車の定期の存在を知っていたら。 ましろさんが気まぐれに部室に足を運んでいたら 。 優しいオジサマが、会社の会議が10秒だけ早く終わってましろさんより早くあたしに声をかけていたら」


いくつもの言葉をゆっくり羅列した後で、瑠璃葉は夜空のような深い色の瞳で僕の瞳の奥を見つめて言った。 


「あたしは、ましろさんに逢ってなかったかもしれない」


彼女の表情の真剣さに、僕は思いがけず気圧される。


「もっと言うなら、大学入試の世界史であと一問でも分からない問題が出ていたら。 あたしが漫画家になる夢を捨てていなかったら。 いやそもそも、聖ナニガシさんが黎明大学の前身である学校を立ててなかったら。 あたしが黎明大学に入って、ましろさんと逢う今はなかったんです。 そんな風に・・・」


そこで彼女はいったん口を閉じ、過去から今までをつなぐ「糸」を探すかのように、仄かな闇の中に左手を差し伸べる。 


「そんな風に、あたしとましろさんは、星の数よりももっとずっとたくさんの『もしも』を超えて、今こうしてここにいるんです。 何かを知らないこと。 ちょっとだけずる休みをすること。 どんな些細な選択も、自分の未来を、あるいは誰かの未来を変えうるって思うと、なんだかドキドキしませんか」



『可能性の銀河の航海』



そんな言葉が、頭に浮かぶ。 素敵な考え方だなと、僕は素直にそう思った。 同時に、僕だったらそう考えると怖くて一歩も動けなくなってしまうような気もした。 


もしも僕と出逢ったことで相手が大事なチャンスを逃してしまったとしたら? もしも僕が道で100円を拾ったせいで子供が大切な買い物をできなくなってしまったとしたら? とか。 


考えすぎなのだろう。 きっと、瑠璃葉のように考えることができたなら、ささやかで気だるい日常がずいぶんと楽しいものになるに違いない。 銀河の旅は死の危険と、それ以上に刺激的なロマンに満ち満ちている。 


僕はそう思ったが、しかし男というのは往々にして、ロマンチックというものに遭遇すると背中が痒くなり、思った通りに口を動かせなくなる生き物なのである。 


「僕は、どちらにせよいつかどこかで瑠璃葉と逢っていた気がするよ」


そんな、的外れな言葉に対して、瑠璃葉は意外にも


「あたしもです」


とさっぱりした表情で答えた。 そして彼女は、よいしょと声を上げて立ち上がる。 


「さて、もうそろそろ帰りましょう。 残念ながら今日のカップルタイムはこれでおしまいです」

そう言われて、彼女に手を引かれて立ち上がったところで、僕はようやく長らく僕たちが手を繋いだままだったことに気づき、慌てて手を離した。 


薄暮の公園で手を繋いで談笑する男女。 それはまさに、僕が本来であったら目に入った瞬間にイラっときてしまうカップルの行為ではないか! 


「まったく、そんなに少年漫画の主人公みたいな反応しなくてもいいじゃないですか」


「・・・よく君は平然としていられるね」


「経験豊富ですから。 漫画の中でですけど」


瑠璃葉の言葉に二人して噴き出し、笑いがひと段落したところで連れ立って駅を目指す。 そのまま路線の同じ電車に乗り、互いに最近読んだ小説の話をしていると、電車はあっという間に僕が下車する駅に到着した。 瑠璃葉の降りる駅はここからさらに20分ほど先だ。 


「じゃ、またね」


「はい。 またです」


下車する人がそこそこ多い中で邪魔にならないように短い挨拶を交わしてホームに降り、僕は彼女の表情がいつも通りであることを今一度確認しつつ電車を見送った。 



駅を出ると、梅雨入りもまだ先の夜風は気持ちよく、見上げた空は故郷ほどではないにせよ澄んでいて、それらは僕の最後の緊張の糸をぷつんと切り払った。 どっと押し寄せてきた疲労に負けそうになりながら、今日の夕飯は女性用の弁当でいいかぁなどと考えながら商店通りを家に向かって歩き始める。 


途中で白い蝶々のロゴマークを掲げた弁当屋を見つけ、「お、これはなんだか縁起がいいな」と何気なく考えながらミニサイズのから揚げ弁当を買った。 ちょうど、から揚げ弁当はそれが最後の一つだった。 


『バタフライエフェクト』か。 もしかすると僕がから揚げ弁当を売り切れにしたことによって、魚を食わず嫌いしていたサラリーマンが魚フライ弁当を渋々買うことになって、それがきっかけで魚の美味しさにハマって、日本を代表する海鮮の料理士になるかもしれない。 


僕は呑気にそんなことを考えて、内心で苦笑した。 




ーーーー『バタフライエフェクト』。



そう、この時、僕は気づくべきであったのだ。 


蝶の羽ばたきのような、普段であれば誰も気にしないような些細な「もしも」が、その果てに桶屋の売り上げをあげて人々を喜ばせることもあれば、台風という暴力を巻き起こして誰かを傷つけてしまうことがあるように。 


蝶の羽ばたきの結末は、必ずしもハッピーエンドではないということを。 




・・・それから、瑠璃葉との連絡が途絶えた。 



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