1-13 プロデュース大作戦 ▼
ちりんちりん、という、夏を先取りした風鈴の音色、鉛筆が紙の上を滑るさらさらという足音。 それだけで満たされた空間。
パソコンのキーボードと人の出す音があふれる大学の図書館や、目の前の道路を頻繁に車が行き来する僕の自宅とは決定的に違う。 かといって、試験前の高校の自習室のような窒息死するかと思うほどの静寂とも違う。
森に似ている、と僕は思った。 木々のさざめきや動物の鳴き声など、生物の静かな気配に満ちた空間。 大山駅から少々歩いた閑静な住宅街にあるここレトロニムは、雑貨や店主の温かい気配を随所に感じることのできる心地の良い一つの世界だった。 もしもここで将棋を打ったらさぞかし気持ちがいいことだろうと思う。
僕はそんなことを考えながら(今度はちゃんとお金を払って購入した)水あめを適当に練りながらさりげなく隣に目をやった。 そこには、背を丸め、無地のA4のノートに向って真剣に鉛筆を動かす瑠璃葉の小さな姿がある。 レトロニムの独創的な内装が彼女の創作意欲を掻き立てるのかもしれない。
向かいに座り、僕と競うように赤色の水あめを練っているレトロニムの看板娘、千景のことを嫌いだと明言してる彼女であったが、店の雰囲気を大変気に入ったらしく僕がレトロニムを訪れるたびに一緒になってついてくる。 瑠璃葉の、僕の大学外のプライベート空間への侵食率がどんどんと高まってきているのは大きな問題だが、今日はその限りではない。
店内中央の、今日も機嫌の悪い筐体テーブルの上に置かれた小型のホワイトボードには、少し丸みを帯びた赤い文字でこう書かれている。
『幽霊ちゃんをプロデュース大作戦!!!』
そう。 僕はいよいよ、幽霊ちゃんこと瑠璃葉の大学デビューを成功させるために本格的に動き出すことにしたのだ。 現状、瑠璃葉のことをよく知っているのは僕の他に千景しかいないと判断したため、こうして共に作戦を練ってもらうことにした。 ちょっとおふざけ感が入っている作戦名を含め、千景は少し事態を軽くみせようとしているようだったが、今はそのテンションがありがたい。 『レトロニム』店内の少しファンタジックな雰囲気もまた、会話が暗くなりすぎないように手助けしてくれそうだった。
「さてさて、じゃあまず何から考えようかな」
「まず、ゴールは『文芸思想研究会』に入って、そのメンバーと仲良くなることだよね」
千景の問いに、僕は水あめを混ぜる手を止めて答えた。 話し合いの時に水あめは不向きだったかもしれない。 変に集中が削がれるし、口の中がねちねちとしてしゃべりづらそうだ。
さて、瑠璃葉の「創作活動に熱心な団体に所属したい」という願望を聞いた僕は、我らがと金会の顔役、七瀬公太郎に大学の文化系サークルの精査を依頼していた。 そして彼が友人のネットワークを利用して瑠璃葉に合いそうだとピックアップしてきたのが『文芸思想研究会』だった。 大学の公認サークルであり、メンバーは35人と、文学系のサークルの中では2番目に大きい規模だ。 メンバーの創作物を載せた会誌の発行や読書会の開催などをしっかりと行っており、公太郎曰く人数が多すぎないゆえにいさかいも少なく、アットホームな雰囲気だという。 これまた公太郎がどこからか入手してきた、桜の下で少年たちが遊んでいる風景を淡いタッチで描いた表紙が印象的な会誌を瑠璃葉に見せたところ、彼女もそのサークルに親近感を抱いたようだった。
「じゃあ、問題はその方法・・・」
千景が、右手に持った赤の油性ペンで「文芸思想研究会に入る!」と書いた下に「方法」と書いて丸く囲う。
そう。 ここが最も重要で、最も厄介なところだ。
サークルに入るだけであれば、そのサークルが余程の排外主義をしいていない限りは誰にでもさしたる苦労なくできるだろう。 しかし、やはり人間関係がうまくいかなければそのコミュニティの中にとどまることは難しい。
つまり、サークルのメンバーに気に入ってもらうことができるかどうか。 俗に言うコミュニケーション能力とやらが高いかどうか。 これが、コミュニケーション能力至上主義の現代社会を生き抜くために重要になってくるわけだ。
ことコミュニケーション能力に関して(僕はこの言い方は好きではないので「人間的な魅力」と言うことにするが)、これまで瑠璃葉と2週間に渡りずっと顔を突き合わせてきた僕が評するなら、彼女の魅力は決して低くはない。 むしろ、知識の幅は広いし、可愛らしい田舎ボケもあるし、人は選ぶようだがしっかりと相手に配慮できるしで、彼女の人間的スペックは僕なんかよりずっと高いだろう。
しかし、瑠璃葉には無視することのできない重要な問題があった。
自分の発する視覚・聴覚などの情報量が減り、最悪の場合は消えてしまう個性。 『過当情報』。
瑠璃葉を「幽霊ちゃん」たらしめている要因であり、彼女をどうしようもなく苦しめている諸悪の根源だった。
『あたしの声も姿も、何もかもを塗りつぶしてしまう個性を、どう受け入れろって言うんですか』
出逢ったばかりの頃、瑠璃葉が僕に吐露したあまりにも悲痛な言葉だ。
彼女のチャーミングなアーモンド型の瞳やふわふわとした猫っ毛も、ユニークな話を星の数ほど紡ぐハスキーな声も、すべて相手に届かなければ露ほどの意味もない。
ゆえに、瑠璃葉の大学デビューを成功させるためには彼女の個性の問題をなんとかすることが不可欠だった。
さて、個性に端を発する問題を解決する方法は、主に二つに分けられる。
個性が発動するのを抑え込むか、個性が引き起こす現象を抑え込むか。
常識的には、僕たちのような素人が前者に挑戦することは無謀に等しい。 個性のトリガーとなる要因を見つけ出し、その対策をするためには、心理カウンセリングなどの専門的な知識・技能が必要とされるためだ。 しかし今この場にいる僕と千景は、普通の人には見えないし聞こえない幽霊のような存在である瑠璃葉と会話をすることができる、つまり瑠璃葉の個性の影響を受けない数少ない人間だ。 一考の価値はあるだろう。
「個性を抑え込む方法か・・・。 ましろの友だちの、ハム太郎くん、だっけ? 彼はどういう風に個性を克服したの?」
僕と同じように水あめが話し合いの場に不向きだと察したらしい千景が、チューブ型のパックに入ったゼリーを吸いながら首を傾げる。 彼女には少しだけハム太郎こと公太郎のことを話してあった。
感情に応じて髪の色が変わる『以色伝心』という個性をもつ公太郎だが、彼は幼い頃に感情を隠すことができないことや珍しい髪色それ自体のせいで人間関係に大いに苦しんだ経験がある。
「あいつはとにかく感情のトーンを一定にできるように心を鍛えたって言ってたかな。 いつでも明るさマックスを保ってるって感じ。 怒りも落胆も、感じる余地がないくらいに」
周囲の人間がいくらか大人になってきた今でこそ個性を抑えることに苦心しないで済むようになってきているようだが、昔の名残りなのか、未だ彼の感情の起伏は恐ろしいほどになだらかだ。 波が一つも立っていない海のように。 それが彼にとっていいことなのか、悪いことなのかは僕には分からない。
「感情のトーンを一定にか・・・。 ものすごい努力が必要だったんだろうし、きっと今も私たちには想像もつかない努力を続けてるんだろうね」
「うん、そうなんだ。 あいつはすごいやつだよ」
千景と僕は互いに感嘆のため息を漏らした。
とはいえ、公太郎の例が瑠璃葉に当てはまるかは難しいところだ。 彼自身「俺が個性を抑えられるようになったのは割と気楽な性格だったからだよ」と言っていたことがあるがおそらくそれは正しく、感情を一定に抑えることができるかどうかは個人の元の気質によるところがあるだろうし、仮に抑えられるようになるとしても長い時間が必要とされるだろう。 瑠璃葉はどちらかといえば些細なことでも気にする繊細な性格であるし、あまりうかうかしているとこの時期に形成される友人の輪の中に入っていくことも難しくなってしまう。
隣の瑠璃葉が猫背でリアルな猫の絵を描く様子をなにとなしに見つめながら、僕は視点を変えてみる。
「そもそも、僕と千景に瑠璃葉が見えるのはなんでだろう?」
誰にともないつぶやきは、意外とあっさり回収された。 話を聞いているのかも定かでなかった瑠璃葉当人によって。
「ああ、千景さんにあたしが見える理由は見当ついてますよ。 たぶんあたしが千景さんのこと嫌いだからです。 ましろさんは嫌いじゃないですけど」
「ぐさぁっ」と大きな声をあげて千景がのけぞる。 そんな彼女に目線だけでいたわりを示し、僕は瑠璃葉に問うた。
『嫌いだから個性が発動しない』とはどういうことなのか。 確か彼女は、「身体が消える個性」が発動する要因は「緊張」だと言っていたか。
「単純なことじゃないですか。 嫌いだから、友だちになろうと緊張することもないってことです。 ましろさんは嫌いじゃないですけど」
瑠璃葉は涼しい顔で髪の先をいじりながら千景にさらなる追い打ちをかける。
「あたしが遠ざかろうとしても、おせっかいの範囲を超えてずぅーっとつきまとってくるんですよ。 それは嫌になります」
「・・・なるほど」
目の前でうなだれている千景には失礼だったし、限度を超えて誰かに付き纏っているのは瑠璃葉本人にも言えることのような気がしたが、僕は思わず納得してしまった。
友だちになりたいという欲望より、千景という女性のおせっかいのしつこさに対する嫌気の方が勝ったということだろう。 おせっかいが本分であるようなミカタ屋を標榜する千景にとってはこれ以上ないくらいに手痛い言葉だ。
「じゃあ、サークルのメンバーに嫌がらせをしてもらうか・・・」
「そんなサークル入りたくなくなります」
苦笑いしながらの瑠璃葉の言葉に、僕も「そりゃそうだ」と唸る。
友だちになりたいという強い想いからくる緊張を上回る感情があれば、彼女の個性は抑え込むことができる。 そうかもしれないと分かっても、瑠璃葉の緊張を上書きできる感情を見つけることはとても難しいように思えた。
「・・・もう一度聞くけど、僕が瑠璃葉の個性の影響を受けない理由に心当たりない?」
サンプル数が多いにこしたことはないだろうと思いながら、僕は以前にした質問を改めておずおずと口にする。
「さあ、なんででしょう?」
しかし、瑠璃葉はあの時と同じように、やけに澄んだ笑みでそう答えるのだった。 この、ある種の威圧感さえ感じる笑顔を前にすると、僕はどうしても深追いができない。
「じゃあやっぱり、個性が発動した状態でも瑠璃葉の言動が伝わるようにするしかないか・・・」
千景が出してくれたウーロン茶が入ったコップで口元を隠しながら論点を変えてみるが、かといって姿も見えない声も聞こえない状態でどう魅力を伝えればいいのかの見当もまったくつかない。
考えるつもりがないのか、あるいは絵を描くことで思考能力が上がるのか、もくもくと猫の絵を仕上げていく瑠璃葉を見つめながら僕がうーんと頭を捻っていると。
「ひひひ」
そんな、とてつもなく怪しげな笑い声が前方から聞こえてきた。
「・・・君たち。 そんなの簡単じゃないか」
見ると、瑠璃葉に存在意義的なものを否定され、筐体テーブル上で息絶えていたマイヒーロー千景が、長い栗色の髪の毛を盛大に垂らしながら起き上がるところだった。
「幽霊ちゃんを記録するのも、解明するのも、デジタルの力だと思わない?」
そう言って彼女は、今度こそミカタ屋の本領発揮とばかりに髪の毛の間からきらりと勝気な笑み覗かせた。




