1-12 レトロニムにようこそ ▼
僕、黛ましろは、自動販売機で飲み物を買うのに毎回きっちり2分悩むくらい決断力に乏しい人間だ。 しかし、僕はそれ以上に律儀な人間であるのだ。
思いもよらない形であれ、命の恩人に巡り合うことのできた僕がまず最初に試みたのは、何らかの、ちゃんとしたお礼を彼女にすることだった。
「ああ、そんなこと」
しかし千景は、あの日と同じようにとてもさりげなく、僕の予想を裏切る返答をよこした。
「じゃあ、ウチに寄ってってよ」
「は?」
「はい?」
その言葉に、僕と、今まで2人の会話を横で訝しげにうかがっていた瑠璃葉の呆けたリアクションが重なった。
人助けの対価に、助けられた側が呆気にとられるほどチープなものを要求するヒーローらしいが、一人の年頃の女性としてはどうかと思われるそんな要求を受けた結果として。
大学の講義終わりの夕方現在、僕たちは大山駅から徒歩20分ほどの、見通しのいい高台にある住宅街に来ていたのだった。
目の前には一軒の2階建ての建築物がある。 一般的な一戸建てと大きさや構造は変わらないように見受けられたが、どこか不思議な雰囲気を放っているように感じられた。 千景の、少しだけ浮世離れした人格を表すように。
白い外壁には無造作に、しかし決して汚く見えない絶妙な加減で所々に青々としたツタが巻き付けられている。 玄関前に所狭しと並べられている観葉植物の群れと相まって、まるでおとぎ話に出てくる森小屋のようだ。
「なんだ、お店だったんですか」
千景の自由奔放さにぐちぐち文句を言いながらもなんだかんだついてきた瑠璃葉が、玄関ドアの上方を見上げて大げさにため息を吐いた。 僕も彼女と同じように視線を上に向けると、ともすると見逃してしまいかねないほどに控えめな大きさと色調の樫の看板があった。 そこには、ツタを模したフォントの英字が記されている。
『Variety Shop Retronym』
バラエティショップ。 ・・・つまりここは雑貨屋さんなのか。 確かに、玄関前のささやかなラックには、猫の形を模したじょうろや綺麗な色のビー玉などといった可愛らしい小物が子供の宝石箱の中身のように並べられている。 カーテンに遮られてよく見通せない窓の奥にも、いくつもの雑貨が隠れているようだ。
店名は「レトロニム」と読むのだろう。 千景はこの店でアルバイトをしているということか。 いや、「ウチ」という言い方をしたということは、もしかすると彼女の両親の経営する店なのかもしれない。
「ささ、中に入って」
そう言い残し、千景がドアを開いて屋内へと消えていった。 僕もすっかり警戒心を解いた瑠璃葉を後ろに引き連れてドアをくぐる。 成人男性の平均身長よりずいぶんと低い僕でも身をかがめないといけない、かなり小さなドアだった。
中に入って真っ先に僕の感覚を刺激したのは、独特の甘ったるさと、核心的な懐かしさを含んだ「匂い」だった。
「駄菓子・・・」
隣の瑠璃葉のつぶやきを聞いて、すぐに納得がいく。
ずいぶん過去に付き合ったきりだが、どうしてだが決して消えることのない匂いの記憶。 直観的に分かる不健康さと、ある種のしつこささえあるのに、その小さな匂いの気配を感じるだけで心が躍る。
見ると、ほんの少しだけ暖色を帯びたスポットライトに照らされる1DKほどの空間の向かって右側は、ぎらぎらとした色の駄菓子の軍勢で埋め尽くされていた。 店舗の奥はレジや在庫などを置いているのであろうカウンター。 あとの2面には「ザ・雑貨」という面持ちの、種々様々な小物が陳列されていた。 澄んだ音を立てる季節はずれの風鈴、木彫りのアクセサリシリーズ、レコード機器類、それに大きなのっぽの古時計や黒電話なんていうものもある。
瑠璃葉がいち女の子らしく雑貨の群れに興味津々に飛び込んでいくのを尻目に、僕は店舗中央のスペースに設置されていたテーブルセットの椅子に腰かけた。 すると、そのテーブルもまた普通のものではないことに気づく。 中央部分にやたらと年季のいったスクリーンが埋め込まれており、座り際にはこれまた数世代前のゲームコントローラが据え付けられている。
お、これは。 ゲーム付きのテーブル、いわゆるテーブル筐体ってやつじゃないか。 映画でしか見たことないぞ。
雑貨よりゲーム。 僕が男の子らしくゲームを起動させようと躍起になっていると、
「あ、ごめんね。 それ、3日おきに機嫌が悪くなるんだ」
そう言いながら千景がカウンターの奥の扉から出てきた。 手には飴色の液体で満たされたコップを3つ乗せたトレイがある。 武骨なテーブル筐体にそれを並べながら、カラカラと心地の良い氷の音に乗せて彼女は続ける。
「そこにあるお菓子、自由にとっていいよ。 かわいいお客様に出血大サービス」
おいおい、店の商品をそんなに大胆に分け与えてしまっていいのか。 一つ一つの単価は限りなく低いだろうけど。
僕はそんなことを考えて少し遠慮していたが、隣の席に腰を下ろした瑠璃葉が腕に抱えるほどの大量のお菓子をテーブルにどさっと着陸させたので、その中から適当に2つを取り上げた。 1センチメートル四方のグミのようなものの12個入りとうまい棒のたこやき味。
「なるほど。 二人の好みはそういうのなんだねー」
まるで選んだ駄菓子にその人の人間性が表れているかのように、千景はテーブル上の駄菓子を見つめて微笑む。 その手元にはいつのまにか、ヨーグルト風味のペーストとかわいらしい小鉢の容器が特徴的な駄菓子が握られている。 先ほど駄菓子を断っているという話をしていた気がするが、まあそこはご愛嬌ということだ。
「いいお店だね。 君の実家?」
グミのような餅のような未だによくわからない物体を2つ口に放り込み、小学校低学年以来の味を噛みしめた後で、僕は彼女に問うた。
「そ! うちのお父さんがやってるお店で、私は看板娘なの」
彼女は誇らしげに胸を張る。
看板娘を自称するとは中々の自信家と見えるが、確かに綺麗な顔をしていて初対面の人間に対しても分け隔てなく明るく接する彼女はお客さんの人気も非常に高いことだろう。
「店名はどういう意味なの? レトロニム、って読むんだよね」
「そうだよ。 日本語では『再命名』って意味で、新しくモノとか概念が誕生したときに、旧くなった方を表すために後から考案された言葉のことを指すの」
そういって彼女はいくつか例を並べた。 「新約聖書」がつくられたからこそ「旧約聖書」は「旧い契約」を書いた書と呼ばれるようになり、「外来酒」がたくさんやってくるようになったからこそ「日本酒」は「日本」の酒と呼ばれるようになり、「デジタル」なものが生まれたからこそ「アナログ」という概念が誕生した。
「このお店は、ほんの少しだけ時代遅れになっちゃったモノを再定義するお店。 私たちとお客さんとで、新しい価値を見つけるお店なんだ」
彼女の言葉を受けて改めて店内を見回すと、確かに少し時代遅れというか、使い勝手が悪そうなものだったり、お世辞にもデザインがいいとはいえないものが散見できる。
もう動かないガラケーを改造したペーパースタンド、テレフォンカードや色褪せた雑誌を組み合わせたしおりがあり、僕たちの世代ではもう現実に見たことすらない牛乳箱には「収納ケースや植木鉢として使ってみませんか」と可愛らしい文字で書かれた付箋が張ってある。 他にも白いダイヤルが眩しい黒電話や、最たる例として僕たちが今腰かけているテーブル筐体など用途が全く不明のものも多数あるが、その活躍の場はお客さんたちと考えていくということだろう。
「『再命名』するための場か・・・」
興味深いアイデアだなあと素直に関心していると、隣から「む・・・」という小さなうめき声が聞こえた。 見ると、瑠璃葉が小さな手に持ったガラスのコップを凝視している。
「これは・・・」
それを見て、その飲み物を出した千景が「ふっふっふっ」と怪しげな笑い声を発した。
「それもレトロニム。 かの有名な駄菓子、あんずボー入り梅ジュースなのです」
その言葉を受けて僕もコップの中のよく冷えた液体を少しだけ口に含むと、微かな果肉の触感と2種類の酸味が口内を爽やかに駆けていった。 ひと手間分の美味しさをしっかりと感じることのできる味だった。
なるほど、僕と瑠璃葉は千景にまんまとレトロニムの片鱗を見せつけられたわけだ。 ミカタ屋の看板娘はしてやったりという顔で両手を広げた。
「こんな感じ。 これが私の副業で、副々業でミカタ屋やってます」
「本業は?」
「大学生に決まってるじゃない」
確かにそうだ。
僕は、とても当たり前だけれど大学生と呼ばれる多くの人種が忘れている真理に頷き、ミカタ屋謹製の梅ジュースで唇を潤してから、ずっと気になっていたことを彼女に問う。
「・・・で、『ミカタ屋』って何なの?」
彼女は小さな木のスプーンですくったヨーグルを口に含んで幸せそうに味わってから、なんでもなさそうに答えた。
「なんてことはないよ。 困ってる人を助ける。 そんな当たり前のことを明言して、自分を律するための記号なんだから。 ほら、言ってみればましろだって、今ミカタ屋をやっているって言えるし」
千景は僕の隣で水あめをねっている瑠璃葉を指して言った。 彼女には、僕を含めたと金会が現在瑠璃葉の大学デビューをサポートしようと取り組んでいることをここまでの道中で話してある。
どうやら、『ミカタ屋』というのは「○○レンジャー」や「仮面ライダー○○」のような、ヒーローとして、正義の味方としての記号でしかないらしい。 だから別に僕が名乗ることだってできる。 彼女が大仰な名前を付けないのは、誰もが簡単に誰かの「ミカタ」になれるのだと勇気づけるためなのではないかというのは僕の推測が過ぎるだろうか。
「ミカタ屋」の内容についての話に続いて、千景は瑠璃葉と交友を持つに至ったいきさつを説明した。
それによると、大学の建物の影で一人昼飯を食べていた瑠璃葉に、それを偶然見かけた千景が声をかけたことがファーストコンタクトらしい。 以来、千景は彼女と一緒に仲良く(?)授業を受けたり、ご飯を食べたりしてきた。 瑠璃葉が僕と出逢い、千景の前からひっそりと姿を消すまで。
千景は「寂しそうに見えたから話しかけた」と言ったが、僕の隣に座る瑠璃葉はかたくなにそれを否定した。 しかし、瑠璃葉に身体が消えてしまうが故の大きな苦悩をぶちまけられた僕からしてみれば、それが図星だということは明らかだった。 なんだかんだ嬉しかったのではないだろうか。
「ミカタっていうとちょっと偉そうになっちゃうね。 ただ私は、困ってる人を放っておけないんだよね」
そう言って、謙虚なヒーローは微笑むのだった。
車に轢かれかかった人を救うことも、友達のいない人に寄り添うことも、彼女にとっては等しく重要な「ミカタ屋」の活動なのだろう。
「『正義の味方』じゃないんだね?」
三度、僕は問う。
彼女の「ミカタ屋」という信念には、誰の味方にもなりうる可能性の裏に、正義の味方というものに対する抵抗のようなものがある気がしたからだ。
千景は少しだけ悩むそぶりを見せてから口を開く。
「そこまでカッコつけたくないし、カッコつけられるくらいに確固たる正義を私は知らないから。 ・・・あっ、今のいいね。 ダジャレっぽくて」
彼女は冗談めかして笑ったが、続ける口調は真剣だった。
「ガゼルの親子から観るドキュメンタリーと、ライオンの親子から観るドキュメンタリーっていうたとえ話を知ってる?」
「・・・いや」
「テレビで、サバンナを生きるガゼルの親子のドキュメンタリーを観るとき、私たちにはその親子を襲って捕食するライオンの姿は残虐にしか映らない。 でも、お腹を空かせたライオンの親子を追うドキュメンタリーを観るとき、親ライオンがガゼルを捕えて子供に与えるシーンは、自然の摂理であって、感動的にさえ映る」
彼女は両手の人差し指でコップの両端をとんとんと叩いた。
「どっちも正しいんだ。 視点が違うだけで、見え方は180度変わる。 正義は180度変わる。 だったら『正義』を語ることなんて無意味だと思わない? 戦隊ヒーローとか、仮面ライダーとか、この世界にごまんと溢れるヒーロー物語の主人公が掲げる『正義』なんて、結局はその主人公のための『正義』でしかないんだから」
彼女の、形の整った美しい唇から紡がれたその言葉に。
どくん、と。 僕の背筋を強烈な震えが走った。
同じだ。
彼女は、僕と同じだ。
僕も、この世に存在する『正義』を、あるいは自分の中に存在する『正義』すら信じていなかった。 ある出来事を境に、人々の『正しさ』の定義があまりにも多様であり、誤りに満ちていることを知ったからだ。
だから、中立人間黛ましろの『中立』は、決して何も決められない『中立』ではなく、何も決めないという『中立』だった。 ベストセラー小説の良し悪しも、現行政治の良し悪しも、付き合う人間の良し悪しも、新聞やテレビや自分の知り合いが語る主張が必ず正しいとは思わなかったし、かといって自分で決することもしたくなかった。
中立人間黛ましろがただ一つ、確信をもっていることは、「自分が正しいと信じ込んではいけない」ということだけだ。
「正義」を一蹴する千景の思想は、僕と同一だった。
その予感に僕は喜びを感じ、考えを共有したいと強く願った。
しかし、それを口にすることを、僕の心の奥底に隠れた何らかの懸念が留めた。
行き場を失った言葉を、別の疑問に変えて吐き出す。
「じゃあ、君が誰かのミカタになる基準って何なの?」
「とっても困ってるかどうか、かな。 今のところは」
『今のところは』という補足には、千景もまだ自身の「基準」に確信が持てていないことが表れていた。
「また、ここに来てもいいかな」
君ともっと話したい。 君がミカタ屋を始めた理由を、その活動の中で得たものを聞かせてほしい。 その先に、僕の心の中のつっかえのようなものを取り除くための答えがある気がした。
「もちろん」
『ミカタ屋』という看板を背負う女性は屈託のない笑みを浮かべて答えた。 彼女の笑顔が風を呼んだかのように、店内に飾られた無数の風鈴が涼し気な音を立てる。
そんな二人から蚊帳の外に追い出されていた瑠璃葉が、ごほんと小さな咳ばらいをした。




