1-11 スモールワールド
僕と彼女の再会は、よくよく考えてみると必然だったのだと思う。
その時、僕は瑠璃葉と一緒に例のごとく学生食堂で昼ご飯を共にしていた。 怖いくらいの偶然だが、直前の講義の中で「人と人とのつながり」に関する学説を聞かされ、僕は瑠璃葉とそれについて軽い議論を交わしていた。 瑠璃葉は日ごろから自分の考えを文章化する癖がついているからか、意外と考えがしっかりしているため話していて楽しい。 ちなみに、彼女は出逢ってからこれまでの会話中に一度もそのヘッドフォンを外したことはない。
『スモールワールド仮説(Small World Phenomenon)』
言葉の通り世界は意外と狭いという仮説である。 社会心理学者のスタンレー・ミルグラムによって検証された。 彼によると、友だちの友だちの友だち・・・と伝っていくとおよそ6人以内で世界中の誰とでも間接的につながることができるという。 日本のバラエティ番組でも、「与那国島で最初に出会った人から何人目で明石家さんまに辿り着くか」という検証が行われ、7人という結果が出ている。
「あたしは、確かにって思いましたね。 あたしのお母さんの従妹が高取夏希と同じ小学校で、今でもたまに連絡を取り合うらしいんですよ」
瑠璃葉が興奮気味に挙げたのは、彼女の故郷出身だという大物女優の名前だった。
「高取夏希につながるんだったら芸能界はほぼ制覇ですよね。 そこから世界にも普通につながるだろうし」
「そうだろうなあ。 たぶん僕も知り合いからその親経由でかなり広がる気がする」
そう言いながら僕が思い浮かべていたのは我がと金会の部長、みやびさんだ。 彼女の母親が確か敏腕デザイナーだったはずで、そのツテは想像以上に広いだろう。 僕から直に有名人につながることはもちろんないけれど。
「あたしは何より名前が気に入りましたよ。 『スモールワールド』」
瑠璃葉は僕でも幼いころから知っているディズニーの楽曲を英語で歌ってみせた。 思いがけず綺麗な発音と歌声で、僕は彼女の隠れた多彩さに驚かされる。
『結局世界は狭いんだ』と幾度となく繰り返す、どこか強いメッセージ性を秘めているように感じられる歌詞。 その言葉で、時に色々なことを他人と分かち合って、時に割り切って生きていくことができるなら、どんなにいいことだろうと思う。
「世界は狭いんですね」
瑠璃葉が、この世の真理を一つ見つけた探求者のように深い嘆息を吐いた。
「そうだね。 そう考えると、黎明大学の中ですべての学生とつながるのはびっくりするくらい簡単なんだろうな」
僕がそんなことをつぶやいて、少しチーズのねっとり感が強いタコライスを口に運んだときだった。
「あーーーーーっ!!!」
という、空気の震えを直に感じられるような質量の声が僕たちに向って飛んできた。
その、小春日和に青空へ向けて放ったかのような大声がした背後を振り向くと、一人の女性が僕たちを指さして立ちすくんでいた。
腰の辺りまで伸ばしたストレートの栗色の髪。 くりくりと丸い瞳は、翡翠色としか表現のしようのない色と輝きを放っている。 化粧っ気の薄い顔や、白のレースブラウスにデニムパンツというシンプルな服装は、それゆえに年齢不相応の幼さと清純さを感じさせた。
その相貌を前に僕の脳内を強烈な既視感が突き抜けるが、僕は正体を掴みかける。
「うっ・・・」
頭の後ろで小さなうめき声が聞こえたので改めて正面を向くと、瑠璃葉が紺色の髪をいじりながら心底嫌そうに顔を俯かせている。
とすると、二人は知り合いなのだろうか。 いや、瑠璃葉は知り合いが大学にまだ一人もいないといっていた。
僕がそんなことを考えながら平然と水を飲んでいると、ローファーの底でずんずんと無音の足音を鳴らしながらその女性が僕たちのテーブルの横にやってきて、瑠璃葉に純度120パーセントの満面の笑みを向けた。
「もー、最近いつもの芝生の場所に来ないからどうしてるのかなーって思ってたら、こんなところで素敵な殿方とランチを食べてるなんて! 私は悲しくて嬉しいよ。 子の巣立ちを見送る親の気分だよ」
「う、うるさいです。 嬉しかったんならよかったじゃないですか」
「うーん。 でもヒトコト言ってほしかったなあ。 私この一週間ずっと見晴らしのいい芝生の上でぼっち飯だよ? 全世界公開ぼっち飯だよ? 清々しかったなー、寂しかったなー。 自由と孤独は表裏一体なんだなーって、学ばせてもらったよ」
「そ、それは謝りますけど」
おお、瑠璃葉が話の勢いで圧されてる。
すると、彼女がアーモンド型の瞳の端を吊り下げた困り顔で僕を見つめてきた。 しかし僕は石となって彼女の助けて光線を弾き返す。
友だちをつくる手助けをするつもりはあるが、友だちとのいざこざをどうこうするのはきっと干渉のしすぎだ。 情けは人のためならずの範疇だ。 それに悪い人じゃなさそうだし。
僕は二人の愉快な掛け合いを、静かに見守る。
彼女は瑠璃葉のなんなのだろうか。 親族? いや、瑠璃葉に存在を厭うそぶりがあったから、意外と昔の恋敵だったり、悪友だったりするのかも。
瑠璃葉が僕にその存在を隠していたことは少しだけ気になったが、こうして彼女が僕以外の人としっかり会話しているところを目にするのは初めてだったので、なんだか妙な感慨があった。 うん、僕はやっぱり最近少し父親っぽくなってるな。 これだとまたみやびさんに原因不明の非難を受けることになりそうだ。
と、その時。 頭の中だけでいろいろと仮説を立て一人楽しんでいた僕の目が、ふいに一点に留まった。
謎の女性の首元。 彼女が元気よく体を左右上下に揺らす度に、くるくると翻る赤色のチョーカーのリボン。
その動きに呼び起されるようにして、様々な記憶と感情が脳裏に押し寄せてくる。 真っ青な空。 とらえどころのない野次馬のざわめき。 肌を撫でる心地よい春風。 憧れが空回りした焦燥感。
「あっ」
思わず大きな声をあげてしまった僕を、猫のような愛らしい紺色の瞳と、宝石のような輝きを内包した翡翠色の瞳が見つめた。 改めて真正面からその美しい相貌を見ることで、僕の予感は確信に変わる。
彼女は、僕の命を救ってくれたあの人だ。
「あっ! 金平糖のヒト!!!」
僕の認識に追いつくようにして、彼女が手で口元を抑えながら今一度叫んだ。
そういえば、僕は彼女に自分の命のお礼として金平糖一缶を献上したのだったか。 「車に轢かれかけてたヒト」ではなく「金平糖のヒト」という風に記憶されていたことが、僕にはなんだか印象深くて、少しうれしかった。
「あ、あの時は、ありがとうございました」
僕は慌てて頭を下げる。 そうしてから、ふと思いついてメッセンジャーバッグの中身をかき回したが、あいにくと金平糖の缶は入っていなかった。 いや、金平糖をいくら献上したところで命を救ってもらった恩には届かないけれど。
その仕草だけで僕の考えを察したらしい彼女は、朗らかに笑いながら手を横に振った。
「ああ、もう大丈夫だよ。 駄菓子好きだけど、最近食べすぎだから和菓子で我慢してるんだよね」
和菓子にしたところであまり摂取カロリーは変わらない気がするが。 確かに“駄”がついてるから余分な成分とか入っているように感じられるかもしれない。
「あなたもこの大学の人だったんだね」
彼女は初対面の僕に対してあの時と変わらず敬語を使わなかったが、それもまたヒーローらしかった。
「あ、はい。 黛ましろっていいます。 社会学部の2年です」
「あ、そうなんだ! じゃあ敬語使わなくていいじゃん。 私も社会学部の2年・・・」
そこまで言って、彼女は何か思い出したように不意に言葉を切り、肩にかけていたトートバッグをあさり始めた。 そこから財布を取り出し、さらに中から一枚の紙を取り出して僕に手渡す。
「私、こういう者です」
仰々しい仕草で差し出されたのは、どうみても牛乳パックの裏紙だった。 名刺サイズに切り取られた安っぽい紙には、固定電話の番号と共にこんな文字が手書きされている。
『ミカタ屋 蓮川千景』
顔を上げると、彼女の、千景の、小学生がみせるようなひたすらに純粋な笑みが僕を見つめていた。
「よろしくね」
こうして、僕たちの想像するよりずっとちっぽけなこの世界は、僕の元に彼女を連れて来たのだった。




