1-8 幽霊ちゃんは友だちがほしい
僕と「幽霊ちゃん」の出逢いは、思いのほか唐突だった。
4限までの講義を終えた大学からの帰り道。 いつも通り池袋駅南口から東武東上線の各駅停車の電車に乗るために改札を通ろうとしたときだ。
ビンボーン、と。 濁った電子音が響いた。
なんのことはない。 改札を通ろうとした人が何かしらの理由で(多くの場合はICカードにチャージされている乗車料金が足りていない)通過を拒否された際に鳴る音だ。 やたらと大きな音がするし、扉がすごい勢いで閉じられるので、僕はこれを経験する度に恥ずかしさと、いいようのない疎外感に苛まれる。
どうやら、僕の前にいた女の子が引っ掛かってしまったようだった。
特に珍しいことではなかったので、僕はその女の子の後ろで前が空くのを待った。 通常、こうなってしまったときはチャージ機へお金をチャージしにいくか、ICカードがうまく読み取られていない場合は財布から出すなどして再度読み取りを試みる。
しかし、その女の子はどちらをする気配もなかった。 大きな電子音を響かせた自動改札機を未知の生物でも見るかのようにじっと凝視して、ケースにICカードを入れているのであろうスマートフォンをゆっくりとリーダーに近づける。 またしてもビンボーンと大きな音がして、女の子の幅の狭い肩がびくっと跳ねる。
(ああ、これはあれかな)
なんとなく状況を理解した僕の先で、女の子はスマートフォンをリーダーに近づけては警報音にびくっとすることを繰り返す。
ビンボーン びくっ ビンボーン びくっ
女の子も改札もやけくそになっているように見えた。 控えめにだが、周りの人々が彼女に視線を送りながら隣の改札を通っていく。 僕は、女の子が今にも泣きそうなのが背中を見ていてもわかった。
(仕方ない、田舎出身で同じ道を通った者として助けよう)
自分まで目立ってしまうのは嫌だったが、せっかくこの前人助けをする決意をしたばかりだ。 僕は自分を奮い立たせて女の子の小さな背中に声をかけた。
「あの・・・」
女の子がびくっと身体を震わせて振り返った。 震える瞳が僕を捉えてかっと見開かれる。
猫のような女の子だった。 細いワインレッドのフレームの眼鏡の下の瞳はきれいなアーモンド型で、紺に近い色の短めの髪はところどころがクセでぴんと跳ねている。 服は白い生地に花柄のワンピース、その上にすみれ色のカーディガンを羽織ったもので、ザ・大学デビューという印象だ。 150センチ前後の背丈から中高生かなと思っていたが、もしかすると同じ大学の学生かもしれない。 それに、ああ、奇妙な偶然だけどヘッドフォンをしているな。
そんなことを考えながら一言目を発しようとした僕は、はっと息を飲んだ。
スマートフォンを握りしめる彼女の手。 色白で、ソフトボールの球なんか握れないんじゃないかってくらい小さな手が。
消えかかっている。
不思議な光景だった。 手の輪郭、肌の色はぼんやりと分かるのに、その向こうにあるものも透けて見える。 非現実的で、まるで白昼夢を見ているかのようだと思った。
あまりの衝撃に一瞬思考が止まった。 しかしこのままでは改札を2人してふさぐ邪魔者になるだけだ。
「とりあえず、あっちへ移動した方がいいですよ」
チャージ機の方を指差しながらなんとかそう口にすると、女の子は依然目を見開いて僕を見つめたままゆっくりとうなずいた。
そこから僕は、都会の改札歴2年目の意地だけでどうにか少女をエスコートした。
チャージ機で確認するとやはり乗車時の最低チャージ金額に足りていなかった。 どうやらICカードをつくったときにチャージしておいた5000円を使いきってしまったらしい。
驚くことに彼女は、電車通学の学生にとっては必需品である「定期」というものの存在を知らなかった。 そこで僕は彼女がこれからほとんど毎日池袋駅を利用することを確認すると、すぐ近くにあった定期券売り場に彼女を案内し、とりあえず3ヶ月分の定期を発行させた。
それだけで、一件落着。
この間、僕と彼女との間に無駄な話は一つもなかった。
定期を発行するに至るまでの問答で仕入れることのできた彼女の情報は以下の通り。
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黎明大学社会学部の1年生
茨城の東の端にあるド田舎から上京したばかりで現在は一人暮らし
現在の住居は、僕の自宅の最寄りである大山駅より先の志木駅が最寄りである女性専用マンション
どちらかというと猫より犬派
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大体僕の予想通りだった。
これは僕の勝手なイメージだが、田舎の半分以上の学生の青春物語には「電車」は登場しない。 なぜなら、自転車で通える範囲内に自分の学校が存在する場合がほとんどだから。 そのうえアクティブな人を除けば、田舎者の遊び場は自転車で行ける範囲か親の車でいくことになるので、電車に乗る機会はことごとく少なくなる。 ゆえにICカードをわざわざ作る必要性がないまま生きている人が本当に多い。 だからいざICカードを所持するようになると最初のうちは大いに戸惑ってしまうのだ。 僕もその一人だった。 公太郎なんかはICカードを乗車券を入れる場所に無理やり押し込もうとして、都会生活初日から新品のカードをおじゃんにしてしまっている。
さて、会話の中で聞きえた彼女の情報はそんなところだが、実は会話の内容の外側に一番重要な情報がある。
それは彼女の振る舞いだ。 彼女は僕と話している間も、定期券売り場の職員さんと話している間も、どう見ても遮音性の高そうな大きなヘッドフォンをつけたままだった。
ほぼ間違いなく、いや確実に現在「と金会」が指名手配している「幽霊ちゃん」だ。
今、僕と幽霊ちゃんは定期券を発行し終え、南口の改札前の柱を背に2人して立っていた。 互いの間には1.5メートルほどの微妙な距離がある。
誘わなければ。 と金会に。
心の中の自分が思いっきり前のめりになる。
正直に言うと、僕、黛ましろは残念なことに軽いパニック状態にあった。 人の体の一部が消えるという怪現象をこの目でみたこと、こんな心の準備ができていない帰宅モードの時にいきなり指名手配犯にあったことが原因だ。
ただ、その動揺を絶対に顔には出しちゃいけないとは思っていた。 自分の容姿や性格、そして個性に過剰な反応をされていい気分になる人はいないだろう。 ましてや幽霊ちゃんは現在その個性ゆえに大きな悩みを抱えていると思われる。
(えっと、どうやってと金会に誘えばいいんだ? わからない。 公太郎に聞いとけばよかった)
「あ、じゃ、じゃあこれで」
(って、なに別れようとしてんだ、僕!)
思考と行動が一致しないまま身体を翻しかけた僕を。
「あ、あのっ!」
その女性が呼び止める。
「あ・・・あ、あたしとっ、友だちになってください!」
どうやら、僕の心配は杞憂に終わったようだ。
幽霊ちゃんは友だちが欲しかったのだ。




