最終話 『 新たな冒険 』
……俺は夜の東京を自転車で駆け抜けた。
(――何で忘れちまっていたんだ、大馬鹿野郎っ)
自分自身を叱咤する。
本当に大切だったんだ。
本当に大好きだったんだ。
それを忘れるなんて大馬鹿野郎以外の何者でもなかった。
――しっかりしろ! 俺達がついているだろうがっ……!
ギガルド……!
――ウィン……うん、凄くいいですね。そんな風に呼ばれるのは初めてです。
ウィン……!
――俺達は仲間だろ
夜凪……!
――バイバイ、タツタさん
クリス……!
――私の勇者様なんですから
ドロシー……!
――どっちが早いか勝負だ
カノン……!
――抱っこしてください
フレイ……!
――握手をしよう……。
――はい、喜んで……。
「――ギルドッ……!」
……俺が初めて好きになった人。
……俺を好きだと言ってくれた人。
「……ギルドッ……ギルド=ペトロギヌスッ」
俺は愛する人の名を何度も呼んだ。
忘れないように、
手離さないように、
君の名を呼び続けた。
――ガシャンッ……! 自転車のチェーンが外れた。
「……クソッ」
俺は自転車から降りて、路地裏に一旦置いた。
「後で取りに行くから待ってろよ、相棒っ」
今は行かなければならない場所があった。
だから、走った。
走って、走って、走りまくった。
俺は夜の東京を駆け抜ける。
汗でシャツが貼り付いて気持ち悪かった。
肺も脚も運動不足な俺には辛かった。
だけど、俺は足を止めない。
街明かりが次々と横切っていく。
腕から飛んだ汗を身体は置き去りにしていく。
次第に街は遠ざかり、市外へと出て、明かりや喧騒が閑散としていた。
……何処に向かっているのだろう?
俺自身、何処へ向かうべきかわからなかった。
それでも、少しでも星が見える場所に向かいたくて、暗くて高い場所を目指していた。
(見晴台、街外れにある見晴台だっ)
俺は長い階段を駆け上がり、見晴台の頂上を目指す。
真っ暗で、足は疲労で挙がらなくなっていて、何度も躓きそうになりながら階段を駆け上がる。
「……はあっ……はぁっ……着いた」
俺は悲鳴をあげる肺と脚を我慢して、辺りを見渡す。
……誰もいない。どうやら穴場のようであった。
「……………………居る訳ねェよな」
……何故か、俺はここで誰かが待っているような気がしたのだ。
無論、何の根拠もない直感であった。
「……帰るか」
直感は所詮直感にしか過ぎなかった。
しかし、俺は何かが引っ掛かっていた。
この世界に帰る直前のギルドとの交わした言葉。
――はい、また何処かで……。
……俺はそう言われたのだ。
「 待ってくださいっ 」
……そして、今帰ろうとしていた俺を呼び止める人がいた。
俺は声の聞こえた階段の方へと視線を傾ける。
「……電車のお姉さん」
……そこには駅で出逢った命の恩人がいた。
「……どうしてこんな所に?」
俺は質問を投げ掛ける。
「――ずっと、探していたんです」
彼女は呼吸を整え、言葉を紡ぐ。
「……とても大切な人、大好きな人を探していたんです」
「……探していた……大切な人?」
――同じだ。
……俺と同じであった。
「失礼かと思いますが、名前を、貴方の名前を聞かせていただいてもよろしいでしょうかっ」
「……名前?」
……そこで俺は気づいた。
「――龍太、空上龍太っ。俺の名前は空上龍太っ」
「……っ」
――彼女は俺の名前を聞いて、最初驚き、嬉しそうに笑ったかと思ったら泣き出した。
「……すみませんっ……急に泣き出してしまってっ」
「いや、いいんだ。それから俺からも名前を訊いてもいいかな」
泣き出した女の人に俺はハンカチを渡した……彼女から借りたハンカチである。
「ありがとうございます、タツタさん……それと名前ですよね」
彼女は一回息を吸い、自分の胸に手を当て、その端正な口を開く。
「――ギルドです。ギルド=ペトロギヌスですっ」
……いた。
ずっと探していた大切なもの。
ずっと会いたかった最愛の人。
……こんなに近くにいたのだ。
「何でだよっ、だって皆と一緒に残ったんじゃっ」
「誰も残るなんて言ってないじゃないですか」
「……それはそうだけど」
まさか、こっちの世界に来るとは思ってもいなかった。
「それに姿も変わって」
「変わったのはお互い様ですよね」
……それはそうだけど。
「わたしとアークは神様にお願いして扉を潜らせてもらったんです、好きな人の側にいたかったから」
ギルドはここまで経緯を話してくれた。
アークと二人でこの世界に来たこと、その際に新しい身体を授かり、以前の記憶を失ったこと、記憶を失ったまま二人で支え合って生きてきたこと。
「記憶も無くてどうやって生きてきたんだよ」
「一応、言葉もわかりますし、生活も優しそうなお爺さんとお婆さんが拾ってくれたので何とかなりました」
「……それは大丈夫なのか?」
偶々、二人が善人だったから良かったものの、若い女が二人がほいほい知らない人に付いて行くのはかなり危うかった。
「大丈夫です、だって、こうやってまたタツタさんと会えたんですから」
ギルドが俺の手を握って笑った。
「……ギルド」
沢山話したいことがあった。
だけど、何から話せばいいのかわからなかった。
「……俺さ」
だから、今一番言いたいことを一つだけ言うことにした。
「今、週に五日間仕事をしているんだ、やり甲斐とかあんまり無いけどさ、まあまあ仕事も慣れてきたんだ」
男ばっかだし、先輩や上司は優しくない。
やり甲斐なんて無いし、毎日ルーティンの繰り返しでつまらない。
それでも一社会人としてちゃんと働けていた。
「それに空いた時間で書道もやってるんだ、龍二から習ってさ、少しずつ上達しているんだ」
沢山書いても少しずつしか成長しないが、それでも少しずつ上達していた。今はそれだけで楽しくて仕方がなかった。
「それでいつか一人前の書道家になって、個展を開いたり、誰かに書道を教えられるようになりたいんだ」
少し遅いかもしれないけど、才能も人並み以下かもしれないけど、それが俺の夢であった。
「俺、もっと頑張るから、絶対に夢を叶えるから」
俺はギルドの手を握り直した。
「 俺の側にいて応援してほしい 」
その瞳は真っ直ぐにギルドを見つめ、その手は力強くギルドの手を握っていた。
「……ふふっ」
俺の言葉にギルドは朗らかに笑む。
「そんな畏まらなくても、側にいますし、応援なんて幾らでもしますよ」
夜空を駆ける星。
夢と希望を包み込む両手。
「 だって、わたしは〝空龍の剣〟なんですから 」
……そして、俺達の新たな冒険が幕を開けた。




