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 第451話 『 ずっと探していた 』



 ――西暦2021年8月8日。



 「――龍二、どうやったらお前みたいに字が上手くなるんだよ」


 ……俺は硯と紙を前に腕を組み、うーんと唸る。


 俺の周りには沢山の紙が丸めて転がっていて、まさに足の踏み場もないという感じであった。


 「それが人に物を訊ねる態度かな? てか、ちゃんと掃除ぐらいしてよね」


 龍二は溜め息を吐き、俺の周りに転がる〝失敗作〟達をゴミ箱に入れていく。


 「兄弟なんだからご愛嬌ということで」

 「……兄さんが掃除をしている所見たこと無いんだけど」


 ここは空上邸、都心から離れた場所に位置する3LDKの一軒家であった。


 「明日も仕事なんだから今日はもう寝たら」

 「いや、もう少しだけ書くよ」

 「まあ、程々にね」


 龍二が少し離れた場所から筆を握る俺の姿を眺めていた。


 「……兄さんはさ、何で急に書道をやり直そうなんて思ったの?」


 龍二が珈琲の淹れられたマグカップを口に運びながら、そんな質問を投げ掛けてきた。


 「……俺が書道を再開した理由、か」


 俺が急に書道を一から学びたいと龍二に頭を下げたのは、約二週間前であった。


 「俺はさ、ずっと書道がやりたかったんだと思う」

 「えぇー、嘘だ。兄さんが筆を握っている所なんて小学生のときまでしか見てないよ」


 ……事実だが腹立つな、主に言い方が。


 「いや、やりたかったよ。ただ、実力が伴わなかったし、周りからの失望の眼差しに耐えられなかったから逃げ出したんだ」


 父親と比べられ、弟と比べられ、俺の周りは書道を楽しめる環境ではなかった。


 「だが、気づいたんだ。今は純粋に書道と向き合える環境だってことにな」


 「しかも、ただで天才若手書道家の指導も受けられるしね」


 「その通り! 流石は俺の弟だ!」


 実家暮らしの俺は、仕事が終わると龍二に書道を習いに実家へ戻り、二時間程指導を貰っていた。

 仕事は一年前に内定を貰った都内にある電工会社に入社して、週休二日、月給は手取りで十三万ぐらいであった。

 二年前までニートだった俺が就職活動を始めた原因は――父さんの死であった。


 ――二年前の六月、父さんは交通事故でこの世を去った。


 龍二も同じ車両に乗っていたが、運良く大事には至ってはいなかったのだ。


 ……同じくらいのときに母さんの病気が発覚した。


 俺は龍二に説得され、仕事に就くことになった。龍二一人の稼ぎでは母さんの手術費用と生活費を両立できなかったからだ。

 毎日勉強して、電気工事の資格を取り、龍二の鬼面接特訓で就職を果たした俺は晴れてニートを卒業したのであった。


 (……仕事は辛いし、楽しくない)


 男ばっかだし、先輩や上司は優しくなかった。

 やり甲斐なんて無いし、毎日ルーティンの繰り返しでつまらなかった。


 (……まっ、それが普通なんだよな)


 仕事も覚えてきて、気持ちに余裕が出来てきた俺は冷静に考えられるようになっていた。

 寧ろ、俺は当たり前のことを今までサボっていたのだ。文句を言われても文句を言う資格は無いであろう。

 龍二がいて、母さんがいる。それだけで俺は恵まれているような気がした……自分自身誰と比べているのかはわからないが。


 「そう言えば、明後日に歴史的な流星群が見れる日らしいよ」

 「……流星群? 興味ないなぁ」

 「兄さんはロマンがわからないもんなぁ。そんなんだから彼女も出来ないんだよ」


 ……一言多いよ、一言。


 「気が向いたら夜空でも眺めるさ」



 ……俺は〝流星群〟と書くも、会話しながら書いたものなのであまり上手くは書けなかった。



 ――西暦2021年8月9日。


 (……何かが引っ掛かるんだよなぁ)


 ……ここ三週間弱、俺は〝何か〟を探していた。というより〝何か〟を思い出そうとしていた。


 (凄く大事で欠け替えのないものだったんだ、それなのに何で思い出せないんだよ)


 それが腹立たしくて、胸焼けのように胸中に違和感が残留していた。

 実家の玄関を出ると、蒸し返すような熱気と焼けるような日射しが出迎えてくれた。


 「……暑っ、砂漠かよっ」


 ……砂漠なんて行ったことも無いけど。

 今日は休暇であり、朝から筆を走らせていたが、昼ということもあり気分転換も兼ねて外で昼食を摂ろうと外出したのだ。


 (……にしても、暑すぎだろ)


 俺は内心で文句を足れながら、母さんに一言言って灼熱のアスファルトを踏み締める。

 目的地は一キロ離れた場所にある小さな喫茶店であった……この店のオムライスがまた絶品で、卵がふわっふわっなのである。


 俺は歩く。


 灼熱のアスファルトの上を……。


 夏休みの子供達のはしゃぐ声。


 喧しい蝉の声。


 頬を伝い落ちる汗。


 見上げると広がる蒼すぎる空と主張の激しすぎる入道雲。


 揺らめく陽炎と照り返す日射し。


 ……夏だ。紛れもない夏であった。


 いつも通りの夏。25回は繰り返したであろう夏。


 (……だけど、24回までの夏には無いものが確かにあったのだ)


 しかし、それは思い出せない。指先一つ引っ掛からなかった。


 ……確かにあったんだ。


 大切なもの、


 欠け替えのないもの、


 (……それなのに何で思い出せないんだよっ)


 ……苛立ちは募るばかりであった。


 (……このまま、思い出せないまま、自然と風化しちまうのかな)


 それがただ恐かった。


 だから、探しているのだ。


 空を見上げても、街並みを見下ろしても、公園のベンチに座っても、旨いものを食っても、何一つ思い出せなかった。

 だから、今の俺に出来ることは忘れていることを忘れないことであった。

 忘れてしまえば、全てが終わってしまうような気がしたのだ。


 「……クソッ、今日も暑いな」



 ……俺は思い出せない苛立ちを夏の暑さに八つ当たりした。



 ――西暦2021年8月10日。


 『午後9時のニュースです。今晩、いよいよ歴史的な流星群が見れる日となっておりまして、全国各地ではその瞬間を目撃しようと――……』


 ……大型ディスプレイに映し出されたアナウンサーの声が、夜の東京に響き渡る。


 『次のニュースです。本日、世田谷区で起きた放火事件ですが、建物は全焼したものの、在宅していた男女二名については無事に避難し、軽度の火傷など見られるものの命に別状は無いとのことで――……』


 「……まさか、こんなに遅くなるとは」


 まさか勤務終了時間前にミスが見つかるとはな、まったくついていなかった……まあ、俺のミスなんだが。


 (……手伝ってくれた大谷先輩には、今度居酒屋でも奢らないとな)


 俺は職場で唯一面倒見のいい大谷先輩に心中で改めて感謝した。


 (そう言えば、今晩だっけな)


 俺は信号待ちの交差点でペダルを止め、空を見上げる。


 (……流星群、か)


 まだ、流星群は見えないがきっと綺麗なのだろう。


 (そう言えば、実家の近くに見晴台があったな)


 信号が青に変わる。

 俺はペダルを回して前へ進む。


 (……折角だし見に行こうかな)


 気紛れだ。ただの気紛れであった。


 交差点を抜けると、女の人の声が聞こえた。



 「――あっ、流星群だ」



 その女性の声に釣られるように周りの人々が足を止め、夜空を見上げた。

 俺もそれに倣い、地面に足を着け、夜空を見上げる。



 ……白い光が夜空に線を引いた。



 「――」















 ――流星群、綺麗ですね



挿絵(By みてみん)



 ……俺は似たような景色を見たことがあった。


 それはとても綺麗で、壮観で、そして――……。



 「……………………ギルド?」



 ……誰かと手を重ねていたのだ。


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