第449話 『 旅立ち 』
……草原の真ん中に巨大な扉があり、沢山の人々が集まっていた。
「この扉を通る通らないはお前達で決めろ」
ブラドールは異世界を渡航するにあたって、細部のルールを説明してくれた。
一つ、一度異世界の門を潜れば引き返せないこと。
一つ、一度向こうの世界へ渡れば、ブラドールは干渉できないこと。
一つ、世界を渡航する際にはショックで記憶を失うこと。
「……まあ、後悔の無いようにな」
ブラドールはそう言って、俺達に答えを委ねる。
「……お前らは残るのか?」
俺はカノンと夜凪に問い質す。
「まあね、僕の家族はここに居るから」
「俺はフレイ達と一緒に居たいから残るよ」
どうやら、二人は残るようであった。
「……そうか」
それもまた、正しい道だと思った。
二人の他にも、〝しゃち〟や別の〝異界人〟も残る者は何名かいた。
そして、俺達より先に元の世界へ帰った者もいた。
(……ジェノス、あいつは相変わらずだったな)
つい先程、ジェノスは門を潜ってしまったが、いつも通りのハイテンションであった。
俺は幾つか言葉を交わし、握手をして見送った。
その後ろ姿に未練のようなものは全く見当たらなかった。
「……〝むかで〟、お前も行くのか」
「まあな」
〝むかで〟は〝精霊王〟と並んで扉の前に立っていた。
「まあ、体に気をつけろよ」
「……貴様に言われる筋合いはない」
……確かに自分で言っていて気持ち悪いなと思った。
「〝むかで〟、もう行くのか」
「ああ」
〝むかで〟の見送りに〝KOSMOS〟の面々が集まっていた。
「おい、〝さそり〟、いつまでもメソメソするな」
「だってっ、だって、〝むかで〟様が行っちゃうのよ! これが涙を流さずにはいられるものですかっ!」
「わーい、〝さそり〟の泣き虫ー」
「〝おろち〟、あんたブッ殺すわよ!」
相変わらずの統一感の無さであった。
「ところで〝しゃち〟は何処に行ったのよっ」
「〝しゃち〟なら」
――僕、湿っぽいのは好きじゃないんだよね♪
「とか言って来なかったぞ」
「……あの馬鹿、〝むかで〟様の門出だってのに、マイペースな奴」
〝しゃち〟は相変わらず自由奔放であった。
「……ふっ、奴らしいな」
〝むかで〟は柔らかな表情で笑い、他のメンバーの方へ顔を向ける。
「〝さそり〟、〝おにぐも〟、〝おろち〟、今まで世話になったな」
〝むかで〟は笑う。〝むかで〟らしからぬその柔らかな表情に、俺は奴の新たな一面を見た。
「 本当にありがとう 」
〝むかで〟の感謝の言葉に、〝さそり〟は更に号泣し、〝おにぐも〟は頭を下げ、〝おろち〟は笑顔で返した。
「――〝からす〟」
〝むかで〟は夜凪の方へと歩み寄る。
「 元気でな 」
そして、夜凪の頭を優しく撫でた。
「うん! 〝むかで〟も元気でね!」
夜凪は満面の笑みで返し、そんな夜凪を一瞥し、〝むかで〟は扉の前まで戻った。
「行こうか、楪」
「そうね」
……そして、〝むかで〟と〝精霊王〟は扉の中へと入り、姿は見えなくなってしまった。
「……帰るぞ」
「だね♪」
「〝むかで〟様ぁっ!」
〝おにぐも〟が泣き崩れる〝さそり〟を抱え、〝おろち〟と共に何処かへ行ってしまった。
「……」
……もう、俺の番だな。
俺は振り返り、皆の方を見渡す。
「皆、見送りありがとう」
見送りに来てくれたのはギルド・フレイ・カノン・ドロシー・夜凪・ギガルド・ウィン・アーク・カグラ・アクアライン一家であった。
「この二年間、本当に楽しかった」
深い森、砂漠の大地、一面真っ白な雪の世界……色々な所を回った。
初めて食べる料理も旨い料理とも沢山出会えた。
引きこもりな俺だったら出来なかった沢山の体験ができた。
「毎日がお祭り騒ぎで、本当に楽しくて、楽しくて、退屈なんてする暇もなかったよ」
温かくて、キラキラしていて、思い返せばいい思い出ばかりであった。
「ニアさん、カグラ、ありがとうございました」
俺は二人の師に頭を下げた。
「二人がいなかったら、俺はここまで強くなれませんでした」
――君は生きてもいいんだよ
――卒業だ。君は本当にいい弟子だった
「だから、ありがとうございましたっ」
「ふふっ、どういたまして」
「行ってきなさい、君が気の済む所まで」
頭を下げる俺に、二人が優しく微笑み掛けた。
俺は頭を上げ、ギガルドとウィンの方を見つめ、二人に手を差し伸べる。
「じゃあな、行ってくるよ」
――しっかりしろ! 俺達がついているだろうがっ……!
――ウィン……うん、凄くいいですね。そんな風に呼ばれるのは初めてです。
「おう、行ってこい」
ギガルドと握手を交わす。
「応援してますっ」
ウィンとも握手を交わした。
二人との別れを済ませた俺は、夜凪の方を向いた。
「……夜凪……お前には沢山楽しませてもらったよ」
「人をお笑い担当みたいに言わないでよ」
夜凪は本当に明るくて、無邪気で、一緒にいるだけで明るくなれた。
――勝手に諦めるなよ! 勝手に死のうとするなよ!
――俺達にも頼ってよ。辛いんだよ、辛そうなタツタの顔を見るのは……俺達はその、仲間だろ
いつだって前向きで、年下のくせに現実をちゃんと見ていて、俺は何度も助けられた。
「フレイ達のこと任せたぜ」
「当たり前だろ」
俺と夜凪は拳をぶつけ合った。
「――クリス」
夜凪とぶつけた拳を下ろした俺はクリスと向き合う。
「お前には何度も命を救われたな」
――まったく、大寝坊だね、タツタさん
――大好きな人が生きてくれたらそれでいいから
――バイバイ、タツタさん
「ありがとう、幾ら感謝しても仕切れないよ」
「……タツタさん」
クリスが俺に抱きついた。
「……大好きだよ……わたし、タツタさんのことが本当に大大大好きなんだよ」
「ああ、知ってる」
……今だってクリスの心臓の動悸はここまで届いていた。
「……なら良かった。それだけで十分だよ」
クリスは俺から離れ、春の花のようにはにかんだ。
「――バイバイ、タツタさん」
「おう、クリスもな」
……クリスはきっと、これから驚くぐらい良い女になるであろう、そんな気がした。
「ドロシー、これ返すよ」
俺はアクアマリンのネックレスをドロシーに差し出した。
「……この身体は〝空門〟に返すから、向こうには持っていけないんだ」
「そうですか、それは残念です」
俺はアクアマリンのネックレスを外し、ドロシーに手渡す。
「……? これは?」
ドロシーの掌の中には、ネックレスとは別にルビーのピアスがあった。
「この前街で見かけて買ったんだ。記念に貰ってくれないか」
「あっ、ありがとうございますっ」
ドロシーはルビーのピアスを胸に朗らかに笑んだ。
――私の勇者様なんですから
――ドロシー=ローレンスは空上龍太のことが大好きでした……!
――さようなら、私の勇者様
(……ドロシーにも沢山支えて貰ったな)
何度も支えて貰った。
俺のことを大好きだって言ってくれた。
「――ドロシー」
「はい、何でしょうか?」
「 幸せになれよ 」
……それは心の底からの願いであった。
「はい! 幸せになります!」
ドロシーは満面の笑みで即答した。
「カノンはこの世界に残ってこれからどうするんだ?」
「うーん、そうだねー」
カノンは顎に手を当て考える。
「旅に出るよ。それで何かやりたいことを探そうと思っているんだ」
「……お前らしいよ」
……復讐以外に目標が無かったカノンが、今度は自分のやりたいことを探すのだ。素晴らしいことだと思う。
――タツタくん、僕、強くなりたいよっ
――友達だから……!
――幸せな時間をありがとう
今のカノンには未来がある。悔しいが、過去に囚われていたあの頃よりずっと幸せな未来が訪れる筈だ。
「俺は夢を叶える」
俺は〝空門〟を持ち上げる。
「僕は夢を見つける」
カノンは拳銃を持ち上げる。
「「 どっちが早いか勝負だ 」」
……そして、〝空門〟の柄と拳銃の銃口をぶつけ合った。
〝空門〟を下ろした俺はフレイと向かい合う。
「フレイは……昨日沢山話したな」
「……はい」
……それでもまだ話足りなかった。
――わたしは、わたしの世界を壊したあなたを許しません
「……フレイとは最初は喧嘩ばかりだったな」
「はい」
――タツタさんを傷つけることだけはわたしが許しません……!
「……だけど、すぐ仲良くなれたし、それからはずっと楽しい毎日だったな」
「……はい」
――抱っこしてください
「フレイは優しいからさ、きっと色々な人に好かれると思うから、だから大丈夫だ、不安なことなんて何もないから」
「……はいっ」
フレイは泣いていた。
昨日散々泣いていたのに今日も沢山泣いていた。
「きっとフレイの未来は良いことがあるから、だから心配しなくていいからな」
「はいっ」
……俺は最後にもう一度フレイを抱き締めた。
「……」
俺はフレイから体を離し、最後にギルドの方を向いた。
「……ギルド」
「……タツタさん」
……何を言っていいのかわからなかった。
ギルドはこの旅が始まってからずっと一緒にいたのだ。
――わたしの名前はギルド=ペトロギヌスです
……異世界に来て最初に出逢ったのはギルドだった。
――暑っ! 砂漠、暑っ!
……灼熱の砂漠を踏破した。
――タツタさん、フレイちゃん、御武運を
……暗黒大陸を踏破した。
――たい……よう?
……果てしない雪原を踏破した。
――海だーーーっ!
……海で遊んだ。
――タツタさんのことを一番の仲間だと思っています!
……お祭りデートもした。
――海ですーーーッ!
……貿易船に乗って大陸を横断した。
――〝空龍の剣〟です
……最終決戦まで一緒にいたのだ。
「……」
言いたいことは沢山あった。
伝えたいことも沢山あった。
だけど、上手く言葉に出来なかった。
「ギルド」
「どうされましたか?」
……だから、
「 握手をしよう 」
……俺はギルドに右手を差し出した。
「 はい、喜んで 」
……ギルドも俺の手を取ってくれた。
――十分だった。
何一つ語らずとも、それだけで全部伝わった。
感謝も、
愛情も、
寂しさも、
愛しさも、
……全部伝わった。
「じゃあ、行ってくるから」
「はい、また何処かで」
俺達は静かに手を離した。
「〝空門〟、お前にも世話になったな」
ギルドと手を離した俺は最後に〝空門〟に話し掛ける。
『アホ、俺は好きに暴れてたたげだよ』
「だな、勝手に感謝して悪かった」
俺は控えめに笑う。〝空門〟から笑い声は聞こえないが、コイツは今どんな表情をしているのだろうか。
『……………………負けんなよ』
〝空門〟が小さく呟く。
『お前は俺に勝ったんだ。だから、向こうの世界でも負けんじゃねェぞ』
「ああ、当然だ」
俺は〝空門〟の言葉に即答する。
一通り別れを済ませた俺は龍二の方を向く。
「……龍二、もう別れの挨拶は済んだのか?」
「うん、ついさっきね」
「そうか」
龍二もアークとの決別を済ませていた。
俺は振り返り、皆と向き合う。
「……」
深呼吸一回、そして開放。
「 俺は書道家になる……! 」
――草原のど真ん中で宣言した。
「字は下手だし! 才能なんか全然無いけど! 龍二から教わって、一から始めて、俺は書道家になりたい……!」
俺は昔、挫折して書道家になる夢を諦めた。
そう、あのときの俺はあまりにも弱かったのだ。
だけど、今は違う。
沢山の敗北を味わった。
沢山の挫折を乗り越えた。
「魔王だって、神様だって倒せた、だから、絶対に書道家になってやるっ!」
今の俺には大切なものが胸の中にあった。
――希望。
……俺は、俺の中に可能性があることを知ったのだ。
それを知った俺に恐れるものなど何もなかった。
「皆、ありがとうっ! お前達がいなかったら今の俺はいなかったからっ!」
――つぅ……。涙がこぼれ落ちる。
「皆と過ごした時間は欠け替えがない最高な時間だったっ、ずっと居たいと思えるくらい大好きだったっ」
駄目だ。
涙が止まらねェよ。
「だけど、俺は前に進むよ! やりたいことが出来たから!」
思い返すのは皆との思い出ばかりであった。
「ここでの記憶が無くなるって言われたけど、俺は絶対に忘れないからっ!」
大好きだった、俺はここにいる皆が大好きだった。
「一緒に遊んで、一緒に戦った冒険の日々は絶対に忘れないからっ……!」
……伝えたいことがあった。
……伝えなければならないことがあった。
「……最後に……言わせてくれっ」
俺は吐き出す。
「 ありがとうっ……! 」
ありったけの感謝を……。
「……大好きだっ……皆っ」
7月22日。
晴天。
……俺、空上龍太は元の世界へ旅立ったのであった。
……真っ暗であった。
ミーン、ミーン、ミーン
……蝉の鳴き声が鼓膜に響き渡る。
『 今年の夏の甲子園もいよいよ終盤です 』
ミーン、ミーン、ミーン、ミーン
「 お母さん、プールに行こう 」
カンッ、カンッ、カンッ
『 今年の夏は過去最高の暑さであり、熱中症には充分に注意して――…… 』
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ
「 夏期講習だるー 」
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ、カンッ
「 ……あのー 」
カンッ、カンッ、カンッ
「 ……顔色悪そうですが、大丈夫ですか? 」
――体が落ちていくような気がした。
「……」
……まるで夢の中にいるように、何も考えられなかった。
「――ちょっとっ、お兄さんっ」
女の人の声がやけに遠くから聞こえた。
――パッパァーーーーーーッ!
何かが近づいてきていた。
落ちる。
落ちる。
地面が迫り来る。
「 しっかりしてくださいっ……! 」
――ぐいっ……! 腕をもの凄い力で引っ張られ、地面が遠退いていった。
「――なっ! えっ?」
勢いそのまま俺は尻餅をついた。
「……はぁ……はぁ、お怪我はありませんか?」
「……はっ、はい」
尻部を打ち付けた痛みで俺の意識は覚醒した。
(そうだ、確か――……)
俺の名前は空上龍太。
年は25歳。
……都内電工会社に勤める、しがないサラリーマンであった。




