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 第415話 『 春の木漏れ日、君と見た桜を忘れない 』



 「見て、奏さん。とっても綺麗」


 春。


 世田谷公園。


 俺と楪は二人で花見をしていた。


 「そうだな、とても綺麗だ」


 俺は舞い落ちる桜の花弁にはしゃぐ楪を視線にそう呟いた。

 穏やかな陽光が射す昼下がり、公園には子供達のはしゃぐ声や噴水の水音が心地よい。

 住宅街の中にある公園には車のエンジン音が小さく聴こえてくる。

 楪は車椅子に乗り、俺はそれを押して桜並木の下を散歩する。


 「……」


 穏やか過ぎるその景色に眠くなった俺は、少しばかり瞼を閉ざした。

 すると、色々な音が聴こえてくる。


 車のエンジン音


 近隣の小学生がはしゃぐ声


 噴水の水が跳ねる音


 若年のカップルの談笑


 テニスボールの打球音


 小鳥のさえずり


 「 奏さん 」


 俺を呼ぶ楪の声


 「……どうした、楪」

 「いえ、目を瞑っていたから眠いのかと思って」


 楪は勘が鋭い。ちなみに、病弱な為、学校に通っていないにも拘わらず頭も良かった。


 「いや、少し平和を噛み締めていただけさ」

 「ふふっ、戦時を生きたお爺ちゃんみたいなことを言うのね」


 そう儚げに笑う楪は十六歳とは思えない程に大人びていた。


 「でも、気持ちはわかるわ。この景色は正しく平和そのものだもの」

 「ああ」


 ……平和だった。


 それは間違いないであろう。

 しかし、今、俺は車椅子のハンドルを握っていて、楪は車椅子に座っていた。


 「……楪?」


 楪が胸を押さえて、俯いていた。


 「楪っ」

 「……大丈夫、少し胸が痛くなっただけだから」


 楪は青白い顔で控えめに笑う。


 「今日はもう帰ろう」

 「えぇー」

 「……我が儘を言わないでくれ」

 「冗談よ、少し早いけれども帰りましょうか」


 楪は悪戯っぽく笑んで、目を瞑って、背もたれに身体を預けた。

 それから俺は車椅子を押して、すぐ近くに建つ自衛隊病院へと向かった。

 それは慎重に、僅かな段差も見逃さず、警衛に会釈をして門を潜る。


 「……楪、大丈夫か?」

 「……ええ、お陰様で」


 そう答える楪の顔色は芳しくなかった。


 ――花枝楪はなえゆずりはは生まれたときから病弱だった。


 学校には通っていない。基本的に病院で朝を迎え、病院のベッドで寝る、そんな毎日を繰り返していた。

 勉強は自主学習しかしていない。しかし、元々地頭が良かったのか同学年と較べてもけっして遅れている訳ではなかった。

 それでも、時折窓から学生や自衛官を見下ろす楪の瞳には憧憬の色が見えた。

 彼女は憧れていたのだ。


 平凡な学生生活。


 煩わしいホームルーム。


 キツいだけの部活動。


 友達と寄り道をしたりする放課後。


 そんな大抵の人間が持っていて、大抵の人間が当たり前のように享受している日常に彼女は憧れていたのだ。


 (……叶えてあげたかった)


 しかし、それは簡単なことではなかった。

 俺はただの高校生こどもで、勉強が得意なだけで他に目立った長所もない凡人であった。


     非     力


     無     力


 ……俺はいつだって現実に敗北していたのだ。


 今だって彼女の車椅子を押してやることや簡単な介抱ぐらいしかできていない。

 静かに青春を浪費する彼女を見ていることしかできない。それは俺にとって苦痛の日々であった。

 俺も苦しかった。何処か遠くへ逃げ出したかった。


 ……それでも俺は彼女の側に居続けていた。


 (……好きだ、楪)


 ……俺は楪を愛していた。


 〝日常〟に憧れる純真さも、


 知的で常に先を見透す瞳も、


 笑うとくしゃっと綻ぶ口元も、


 俺は花枝楪の全てを愛していた。


 (……帰ったら勉強をしよう)


 俺は楪の車椅子を押しながらそんなことを考えていた。


 ――俺は医者になろうと思っていた。


 楪の病を治せる可能性が一パーセントでも上げられるのならば、俺は出来る限り抗いたかった。

 それに医療の知識は楪を支える為に役に立つであろう。

 だから、毎日勉強をしていた。

 高校だって都内でも有数の進学校へ入学していた。

 幸い、俺は勉強が得意で、医者になることは難しいことではなかった。


 ……ただ不安なこともあった。


 それは楪の身体がいつまでもってくれるか、である。

 何度も言っているが楪は病弱だ。何か他に大きな病気を患えば、そのまま死んでしまってもおかしくはなかった。

 俺はまだ高校生で、最短で医者になるとしても六年以上の月日を要することになる。

 焦燥感はあった。しかし、迷いはなかった。

 俺の胸にはたった一つにして、最大の野望があった。



 ――花枝楪を救う。



 ……それが俺の最大の願いである。


 目標が決まっていたから迷わなかった。だから、毎日頑張れたし、これからも頑張り続けることができた。

 しかし、現実はいつだって非情で優しくなどはない。

 俺がどれだけ努力をしても、強く願っても、世界にとっては些細なことなのだ。

 それを知っていたから俺は毎日恐くて仕方がなかった。

 そんな恐怖を抱えながら、俺は三年の時を過ごしていた。


 ……しかし、柊奏、花枝楪。両名二十歳のとき。


 転機が訪れる。



 「 奏さん、わたし、手術を受けるの 」



 楪が俺に教えてくれた。


 「……上手くいけば、病気治るのかもしれないわ」



 ……それから一週間後、花枝楪の手術が始まった。


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