第406話 『 花と涙 』
「……最期にお話をしませんか」
――最期。
……そう、これがドロシーと交わす最期の時間なのだ。
「……ああ……何でも話してくれっ、全部聞くからっ、聞き逃したりしないからっ」
「……ありがとう、ございます」
ドロシーは柔な笑みを浮かべる。
「とはいえ、この前言いたいことは全部話してしまいましたので、話すことはそんなにありませんが」
と、すぐに苦笑いを溢した。
「ですので、お願い事、聞いて戴けませんか」
「ああっ、何でも言ってくれっ」
……これで最期なのだ。できる限りのことは何でもしてあげたかった。
「私には夢があるんです」
「……夢?」
ドロシーは小さく頷く。
「また、皆で海に行きたいです」
……海か、すぐには行けないな。
「西の大陸にある〝カルペティア〟という焼き菓子が食べてみたいです」
……これもすぐには買えないな。
「まだ、砂漠の大地を渡ったことがないので、一度は言ってみたいです」
……………………砂漠か。
「オーロラも見てみたいです」
「……すぐにできる奴で頼む」
「ふふっ、ですよね」
……困った顔をしてしまう俺を、ドロシーが悪戯っ子のように笑う。
「では――……」
ドロシーは僅かに頬を赤く染めた。
「 結婚してみたいです 」
――結婚。
……その言葉に俺はドキッと心臓が跳ねる。
「小さい頃からの夢だったんです。ウェディングドレスを着て、格好いい旦那様と永遠の愛を誓うのに憧れていました」
その瞳は夢見がちな少女のようにキラキラと輝いていた。
「……ごめんなさい。タツタくんがギルドさんを慕っていると知っているのに、困らせるようなことを言ってしまって」
「 やろう 」
俺はすぐに答えた。
時間が無いのだ、迷っている時間など無かった。
「ウェディングドレスも、神父も居ないけど、結婚しよう」
「……えっ? でも」
「結婚しよう……ドロシーは嫌なのか?」
「いっ、いえ、嫌ではありませんが、その」
ドロシーは戸惑うも、俺は一歩も退かなかった。
「俺はドロシーの夢を叶えてあげたい、俺が今、ドロシーと結婚したいって思いに嘘偽りは無いんだ」
「……よろしいのですか?」
「ああっ、どーんと甘えてくれ」
胸を張る俺に、ドロシーがクスリと笑った。
「……ふふっ、では、甘えちゃいますね」
「……ああっ」
……そうはにかむドロシーの腰から下は既に花弁になっていた。
「……指輪、借りるぞ」
「はい」
結婚指輪が無かったので、ドロシーの指輪を借りて、代用した。
「……文言、頼む」
「はい」
……ドロシーは謡うように、神父の言葉を紡ぐ。
汝健やかなるときも、
病めるときも、
喜びのときも、
悲しみのときも、
富めるときも、
貧しいときも、
これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか。
……本当に憧れていたのであろう。ドロシーは一字一句、躓くことなく、神父の言葉を紡いだ。
「はい、誓います」
俺は真っ直ぐにドロシーを見詰め、愛を誓う。
「……っ」
俺の言葉に、ドロシーは切なそうに目を伏した。
「……では、えっと、次は」
「いや、俺が言うよ」
「でも」
「さっき、覚えたから任せてくれ」
俺は一呼吸挟んで、言葉を紡ぐ。
「……汝健やかなるときも」
――初めまして、タツタ様。私はドロシー=ローレンスと申します
「病めるときも」
……ボロボロになった身体を何度も癒してくれた。
「喜びのときも」
……誕生日会や海ではしゃいだりもした。
「悲しみのときもっ」
……悩んだり、悲しんだりしていたときに寄り添ってくれた。
「……富めるときもっ」
……皆で食った飯は美味かった。
「……貧しいときもっ」
……一緒に一杯のスープを分けあったこともあった。
「……これを愛しっ、敬いっ、慰め遣えっ……共に助け合いっ、その命ある限り……真心を尽くすことを誓いますかっ」
……涙が溢れ落ちた。
「 はい――誓いますっ 」
……ドロシーも涙ぐみながらも頷いた。
(……ドロシーはずっと俺を支えてくれたんだ)
――私の勇者様なんですから
(迷っているとき、苦しんでいるとき、いつだって寄り添ってくれたんだ)
――ドロシー=ローレンスは空上龍太のことが大好きでした……!
(……大好き、って言ってくれたんだ)
ああ、駄目だ。
涙が止まらない。
「 タツタくん 」
ドロシーが俺の名を呼んで、静かに見詰めた。
「……」
……そうだ。
……そうだよな。
俺はドロシーから借りた指輪をポケットから取り出した。
……これだけは最後までやり遂げよう。
「ドロシー、指輪を」
「……はい」
俺はドロシーの左手薬指に指をはめる。
「では、次は私が」
「……ああ」
ドロシーが俺の薬指に指輪をはめてくれた。
「……ドロシー」
「……タツタくん」
俺とドロシーは互いに互いを見詰めた。
「……」
「……」
……俺とドロシーは自然と顔を引き寄せる。
――そして、俺とドロシーは唇を重ねた。
「……」
「……」
……しばらくして、俺はドロシーから唇を離す。
「……タツタくん」
……ドロシーが優しげに微笑む。
「……今までありがとうございました」
……もう身体のほとんどが花弁となっていた。
「……そして……さようなら」
……ドロシーの左手が俺の頬に触れる。
「 私の勇者様 」
「ドロシー――……」
……花弁が舞う。
……結婚指輪が地面に落ちる。
「……っ」
風に煽られ、花弁が俺の腕の中から空へと舞い上がった。
俺の腕の中には何も残らなかった。
だけど、確かにあったのだ。
大切なもの、
欠け代えのないもの、
……その残像は俺の胸の中に、今も鮮明に残っているのであった。




