第397話 『 ギルドとアーク 』
「 お姉ちゃーん 」
……記憶の中のあたしはよく姉に泣きついていた。
理由は色々あった。
大きな蜘蛛が出たとか、
雷が近くに落ちたとか、
母親に怒られたとか、
……理由は様々であった。
「大丈夫だよ、アーク」
記憶の中の姉はいつも穏やかな笑みを浮かべ、あたしの頭を撫でてくれた。
その時間は温かくて、優しくて、色で著せば桃色で、あたしの心を満たしてくれていた。
――幸せ
……あたしにとってこの時代が一番幸せだった。
……幸せだったのだ。
だ け ど 、 終 わ っ た 。
「この座敷牢から出ては駄目よ」
「辛いかもしれないけど我慢するんだ」
「アーク、一緒に逃げよう!」
……座敷牢に軟禁された一年半。
「化け物!」
「死んでしまえ!」
……〝魔人〟として覚醒した夜。
「――話し相手を捜していたんだよ」
……〝白絵〟様と出逢い、あたしの〝黒魔女〟としての人生が始まった。
「……決着をつけよう、あたしとお姉ちゃんのこれまでの全てを」
「決着をつけようか――わたしとアークのこれまでの全てを」
……そして、今、あたしは姉と殺し合いをしていた。
(……どうして、こんなことになっちゃったんだろ)
姉妹なのに、
昔は仲良しだったのに、
(お姉ちゃんはあたしを見捨てた。だから、あたしはお姉ちゃんを嫌いになったんだ)
だから、あたしはお姉ちゃんを傷つけたし、何度も拒絶した。
今だって大嫌いだし、殺そうとすらしている。
本 当 に ?
「……」
……あたしは迷っているのかもしれない。
本当はもう恨んではいないのかもしれない。
本気で殺そうとしていないのかもしれない。
「……あたしは」
間違っていたのか?
「……そんなこと……今更、認めろって言うの?」
あたしはただ癇癪を起こして、姉に八つ当たりをしている幼稚な人間。
馬鹿で愚かな、人間嫌いの人間。
「今までのあたしを全て否定しろって言うの?」
……そんなの辛すぎるよ。
……耐えられないよ。
「……そんなの」
……そんなのっ
「……あたしが死ぬしかないじゃない」
……それがあたしの出した答え。
……それが二十年間掛けて導き出したたった一つの真実であった。
――〝精霊王〟は〝魔絶〟以外の魔術を使えない。
と い う 訳 で は な い 。
……〝精霊王〟には魔術を操る技術がないだけで、絶対に魔術が使えない訳ではないのだ。
魔導具は魔力があれば起動することができる。
そして、〝精霊王〟の魔力はほぼ無際限。
「魔導具を使うのは初めてだけど意外に簡単だったね」
わたしの左手には嘗てはカノンくんが使っていた〝光麟〟が握られていた。
――〝光麟〟。
カノンくんが持つ魔銃の中でも最強のスペックを有する魔導具である。
その能力は単純にして強力。〝終焉の光〟を最大で六連射することができた。
「まずは右腕。次は左腕かな」
「……」
アークは静かに灰となった自身の右腕を見つめる。
「――治れ」
アークがそう呟くと、瞬きをする間に失った右腕が再生した。
「……この程度じゃ、あたしは殺せないよ」
「みたいだね」
しかし、〝終焉の光〟であれば、アークの硬い外皮を貫くことができることがわかった。
「だけど、今の〝終焉の光〟が心臓に当たっていたら? 撃ったのが〝終焉の光〟じゃなくて〝黒朧〟だったら?」
「……」
答えは言うまでもない。
――アークウィザード=ペトロギヌスは死ぬ。
「……一応、訊いてみるけど、降参してもいいよ」
「しないよ――どちらかが死ぬまではね」
わたしの挑発にアークは不敵に笑む。
(……どちらかが?)
アークらしからぬ控え目な言葉にわたしは違和感を感じた。
「さっきみたいな不意打ちはもう当たらない」
――トンッ……トンッ……。アークがその場で小さく跳ねる。
「現状は変わらない。勝つのはあたしだから――ね」
――アークの姿が消え、わたしから遥か後方の民家の壁が弾けた。
(――さっきまでよりも遥かに速い)
わたしが振り向く頃には左側の地面を蹴る音が聴こえた。
ダッ ダッ タッ バキッ ダンッ
ダンッ ダッ タッ バキッ
タッ タッ バキッ ダンッ
ダンッ ダッ タッ ダンッ
――アークは縦横無尽に駆け回り、至る所からアークの足音だけが響く。
(……まだ)
……わたしは待つ。
(……まだだ)
……アークが来るタイミングを窺う。
「――」
――アークがわたしの真後ろまで迫る。
( ここッッッ……! )
わたしは踵返し、そのまま〝光麟〟の銃口をアークへ向け
――ダンッッッッッッ……! アークの強靭な尾が地面に叩きつけられた。
(――フェイク!)
アークはその反動で振り向いたわたしの背後まで跳躍する。
「――」
「渾身一擲」
わたしは咄嗟に〝光麟〟を投げ捨て、魔杖でガードする。
アークが構わず拳を振り抜く。
覇 壊
――バキッッッッッッッッッッ……! 魔杖がへし折れ、アークの異形の拳がわたしの横腹に叩き込まれた。
「――ッッッッッッ……!」
わたしは堪らず吹っ飛ばされ、地面を二度三度とバウンドし、民家に叩きつけられた。
「かはっ……!」
その勢いは凄まじく民家は崩れ落ち、瓦礫がわたしを押し潰す。
(……やばっ……完全に肋骨、折れてる)
少し腹に力を入れるだけで横腹に激痛が走る。
地面に血の玉が落ちる。
(それに頭がクラクラする……頭も強く打ったかな?)
右腕の骨と肋骨を折り、魔杖も失い、意識は朦朧としていた。
「……」
それでもわたしは、〝魔絶〟を解除しなかった。
アークに〝無幻格牢〟を使われたら、一〇〇パーセント勝てないからだ。
(……次の攻撃が限界かな)
充分だった。まだ左腕は残っている。
魔力も有り余るぐらい残っている。
それに〝奥の手〟も……。
(……最後の一勝負と行こうか)
わたしは〝黒朧〟をスカートから取り出して、瓦礫を退かして、歩き出す。
舞い上がる粉塵から満身創痍な姿で現れたわたしに、アークが険しい表情を露にする。
「まだやる気なの?」
「トーゼン♪」
わたしは不敵に笑む。しかし、その足取りは覚束なく、右腕は力無く垂れ下がっていた。
「次で終わらせるよ」
「同感だね」
――アークの姿が消えた。
「……」
アークは縦横無尽に駆け回る。
アークの足音が至る所から聴こえてくる。
「……」
――しかし、わたしは微動だにしない。
「諦めたの、お姉ちゃん」
アークが駆け回りながら話し掛けてくる。
「無様だね。だったら、せめて散り際だけは派手に終わらせてあげる」
――アークがわたしの背後から殴りかかる。
同 時 。
――ガシッッッッッッ……! わたしの足首にアークの強靭な尾が絡み付く。
「――」
「これで逃げられない……!」
覇 壊
――アークの渾身一擲の拳が迫り来る。
「ごめん、アーク」
「――」
「わたしの勝ちだよ」
拒 世
――わたしの身体が霊体となり、アークの拳をすり抜けた。
「――っ」
――〝拒世〟。
……それは精霊にのみ許された肉体を一時的に放棄する力。
〝精霊王〟となった今のわたしにはそれが可能であった。
「聞いて、アーク」
……わたしはすぐに〝拒世〟を解除し、〝黒朧〟をアークの背に銃口を向ける。
「一緒に過ごした十六年間、離れ離れになった四年間、ずっと、誰よりも、わたしは!」
わたしは涙を溢し、引き金に力を入れる。
アークはわたしの方を振り向く。
「 アークのことが大好きだったっ……! 」
涙の滴が地面に弾ける。
アークの横顔がわたしの瞳に映る。
……アークは笑っていた。
黒 朧
……特大の銃声がイクサスの街に響き渡った。




