第21話 『 シスターズ・メモリー.Ⅱ 』
「 アーク、一緒にここから抜け出そう 」
「 うん、お姉ちゃん 」
……そして、少女二人の逃避行が始まったのであった。
季節は冬。
雪の降り注ぐ寒空の下、姉妹は家を飛び出した。
持ち出したものは、ギルドがこの日の為に貯めてきた雀の涙ほどの貯金と着替えとパンとハム。それらを詰められるだけリュックサックに詰め込んだ……全部、ギルドが事前に準備していたのだ。
この一年間、ギルドは何もしていなかったのではなく、今日の為に少しずつ準備していたのだ。
姉妹は街を出て、山を越え、以前の街より少し田舎な街にたどり着いた。
とにかく、両親に見つからない場所で新しい人生をやり直そうと思っていたそうだ。
生きる為には食事と寝る場所が必要で、それには金を稼がなければいけなかった。
姉妹はがむしゃらに仕事を探した。
何でもします。
少なくても構いません。
仕事をください。
……姉妹は毎日、街を回っては何度も何度も懇願した。
仕事は簡単には見つからなかった。余り裕福な土地とは言えないその街で、身元不明な少女を雇ってくれる余裕のある人はそうそういなかった。
それでも姉妹は諦めなかった。
手は張り裂けそうなほどに悴んでいた。
食事は一日一食で毎日空腹でうなされていた。
財布はどんどん軽くなっていった。
それでも姉妹は諦めなかった。
がむしゃらに走って、何度も何度も頭を下げて、仕事を探し続けた。
……そして、67軒目。
寂れたパン屋さんだった。
くたびれたおじいさんとふくよかなおばさんが経営しているそのパン屋は、とてもではないが、二人も雇う余裕があるようには見えなかった。
それでも仕事をくれると言ってくれたのだ。これを逃す由は無かった。
しかも、二人は屋根裏部屋に住んでもいいと言ってくれたのだ。更には余ったパンは貰ってもいいとも言ってくれた。
これ以上の待遇がある筈も無い。姉妹は二つ返事で頭を下げ、その日からパン屋に働くことになった。
これで、寝床も食事も僅かではあるが生活費も解決した。
これでやっと普通の生活ができるのだ。
……あれ? 何かを忘れているのではないか?
そう〝魔人〟の件だ。アークは〝魔人〟である、その事実は何一つとして揺らいではいなかった。
姉妹は現実逃避をしていた。
現実と向き合ってはいけない、現実を見てしまえば動けなくなってしまう。知りたくないことを知ってしまう。
そう、問題は何も解決していないということを……。
姉妹のしていることは全く意味の無い努力である。
それを認めたくなかった。
それを認めることが恐かった。
姉妹はがむしゃらに働いた、現実を振り払うように――働いた。
働いて、
働いて、
働き続けた。
……………………。
…………。
……。
……そして、働き初めて一ヶ月が経った。
パン屋のおじいさんとおばさんは本当に心の優しい人であった。
姉妹をまるで自分たちの孫や娘を扱うように接してくれた。
見た目の割りに客が多いのはきっとこの二人の人なりのお陰であろうと姉妹は思っていた。
それですぐにわかったことであったが、おばさんはおじいさんの娘であった。
このパン屋は親子で経営していた。
そして、今日は特別な日であった。
――12月25日。
……姉妹の十六歳の誕生日であった。
アークは昨日貰った給料を握り締めて、雪の降り注ぐ街を駆け抜けた。
「姉へ、誕生日プレゼントをプレゼントしようと思ったんです」
アークは懐かしそうに目を細めた。
アークが〝魔人〟とわかっても変わらなかったただ一人の人に、
絶望の淵にいたアークに手を差し伸べてくれたただ一人の人に、
たった一人の姉に……。
ただ、感謝の気持ちを伝えたくて、アークは寒空の下を走った。
幼い頃のアークは雑貨屋を何軒も回った。
――赤いマフラーがアークの目に留まった。
姉に似合いそうな色合いだった。これしかない、アークはすぐにそれを買った。
帰り道、アークは駆け足で帰宅した。
早くこのマフラーを届けたかったのだ。
早く伝えたかったのだ。
――ありがとう、と。
……だから、走った。
ド ン
ッ
ク
……異変はそのときに起こった。
視界が真っ赤になった。
全身の血が熱くなった。
そして、脳みそを駆け巡る膨大な人への――……。
――殺意。
遂に来たのだ。来てしまったのだ。
アークは堪らずその場で膝を着いた。
足音が聴こえた。
誰が心配して、アークに歩み寄る。
アークはそんな親切な人を、
……人を。
……人……を……。
――背中から生えた巨大な翼のような刃で一刀両断したのだ。
……もう、止められなかった。
殺意も殺人も自身ではコントロールできなかった。
街は一瞬にして騒然とした。
もう、後戻りはできなかった。
……逃げよう。
アークは逃げ出した。
……どこへ?
森へ、人の近づかないような深い森の中へ、アークは逃げ出した。
……その前に姉も一緒に連れていこう。
アークはそう思った。
一人は淋しい、孤独は人を殺す。だから、アークには姉が必要であった。
ギルドはアークの姉なのだ。
だから、ギルドはアークを絶対に見捨てない。昔も、今も、これからも……。
アークがパン屋にたどり着くとそこにはギルドとおじいさんとおばさんがいた。
話は既に三人へと伝わっていたようで、三人ともとても険しい顔をしていた。
アークはギルドに一緒に森へ逃げようと提案した。
「そのときです」
――銃声が真っ白な世界に鳴り響いた。
「おばさんが猟銃であたしの肩を撃ったのです」
そう語ったアークはとても悲しげであった。
おばさんはアークに近寄るなと言った。
おじいさんは魔法の杖をアークに構えていた。
ギルドは――……。
「 あたしに背を向けて逃げ出しました 」
……思えばそうだった、とアークは言った。
ギルドは一度も何かに抗ったことが無かった。
アークが軟禁されているときも、両親を説得することは無かった。
ギルドは優しい――でも、酷く臆病者であった。
アークはギルドを追い掛けなかった。逃げるように森へ駆け込んだ。
そして――泣いた。
泣き続けた。
雪の降り注ぐ寒空の下、アークは泣き続けた。
……そんなときであった。
雪の降り注ぐ寒空の下泣き続けるアークの下に一人の少年が現れたのだ。
……誰が?
「 〝白絵〟様があたしの前に現れたのです 」