第190話 『 父と子 』
『 ……わたしは父親失格だな 』
……真っ白な世界で、人の姿をしたお父様が私に語りかけた。
「そんなことありませんっ! お父様は立派な父でした!」
私はお父様の言葉を即座に否定した。
『いや、失格だよ』
しかし、お父様もわたしの言葉を即座に否定する。
『わたしはドロシーを守れなかったよ』
お父様は淋しげに笑った。
『〝白絵〟に目をつけられたときもわたしは戦ったが完敗し、逆に人質になり、ドロシーの足枷になってしまった』
「……そんなことありません」
『ドロシーが死にたくなるほどに悩んでいたというのに、わたしは見守ることしかできなかった』
「……そんなこと」
『あまつさえ、〝水由〟に洗脳されてお前を殺そうとした』
「……それは仕方のないこと」
『 駄目な父親ですまなかった 』
お父様は頭を垂れて、私の言葉を遮った。
「……そんな、頭を上げてください」
『息子やお前の実父に合わせる顔がない!』
「……頭を上げてください」
『俺はお前に何もしてやれなかった……!』
「 頭を上げてくださいっ……! 」
『――』
私が怒鳴って、やっとお父様はこっちを見てくれた。
「……お父様は立派な父親でした」
私はお父様の大きな手を握る。
「あの日、父ちゃんとお父さんがいなくなった日からずっと、ずっと私の側を離れずにいてくれました」
私は胸の内に秘めた感謝の気持ちを吐き出す。
「どんなに私が変わってしまっても、日に日に心を凍らせていた私を支え続けてくれたのはお父様だけなんです」
『……』
「こんなにもひ弱な私が、この世界で生きてこれたのはお父様のお陰です」
『……』
「例え、お父様であろうと私の大切な父親を、あの立派な背中を愚弄することは許しません」
『……すまなかった』
お父様は頭を垂れた。しかし、今度はすぐに面を上げてこっちをちゃんと見てくれた。
『……ドロシーがそんなことを思っていたなんて知らなかったよ』
「はい、反省してください♪」
『ははっ、敵わないなぁ、本当に』
「ふふふっ♪」
……白く静寂とした世界で、二人の笑い声だけが響いていた。
『ドロシー、これからどうするんだい?』
「……これから?」
お父様が囁くように質問した。
『ああ、やりたいことは見つかったか?』
「はい、沢山あります」
私は子供みたいに無邪気に笑った。この笑顔はきっとお父様にしか引き出せない笑顔だった。
「また、海に行きたい!」
『……』
「西の大陸にある〝カルペティア〟という焼き菓子が食べたい!」
『……』
「まだ、砂漠の大地を渡ったことがないからそれも行きたい!」
『……そうか』
「それとそれと! オーロラ! オーロラまだ見たことない!」
『……そうか』
「後は、後は……」
『……後は?』
顔を紅潮させ、躊躇う私にお父様が催促する。
「……結婚」
『……そうだな、そんなこと言っていたな』
「うん、素敵な旦那様と綺麗な教会で、素敵なウェディングドレスを着て結婚式を挙げたい」
『……』
「それでお父様やギルド様、皆呼んで、おめでとうって言われて、それで、それで……」
『……』
「……お父様、泣いているの?」
『……お前だって泣いているのじゃないか?』
「……えっ、泣いてないよ」
――つぅ、頬に温かい滴が滑り落ちた。
「……あれ? 何でだろ? 変だなぁ」
『……ドロシー』
「……おかしいね、目にゴミが入ったのかな?」
――ぎゅっ、お父様が私を抱き締めた。
『……』
「どうしたの、お父様?」
『……』
「……何か言ってよ」
『……』
「……これじゃあ、本当にお別れみたいじゃないっ」
『……そうだ、お別れだ』
「……嘘」
『……』
「嘘だよね? だって、お父様はすっごく強いんだよ! 死ぬ訳ないじゃん!」
『……済まない』
――そこで私の涙腺が崩壊した。
「死なないでよ、お父様! 死なないでよ!」
『……済まないッ』
「嫌だよぉ、お父様が死んじゃうなんて嫌だよぉ!」
『……わたしも嫌だよっ』
お父様も肩を震わせ、涙を流していた。
『もっとお前と一緒にいたかったっ……!』
「わたしもだよっ……!」
『ずっと、ずっとに一緒にいたかった……!』
「わたしも一緒にいたいよ……!」
『娘の花嫁姿が見たくない訳がないだろっ……!』
「……っ」
……気づいてしまった。
『話したいことだって、教えてやりたいことだってまだ沢山あるのに……!』
……お父様の身体が薄くなっていた。
『死にたくないっ! こんなんじゃ、死にきれないよ……!』
……ああ、終わる。
『大好きだっ……!』
……終わってしまう。
『愛している! 世界で一番お前のことを愛している!』
……楽しかったときが、
『俺はお前の父親になれて幸せだった! これ以上の幸せなんてある筈がない!』
……温かかったあの日溜まりの日々が、
『愛しているよ、ドロシー!』
……終わる。
「わたしも大好きだった……!」
……もう、その温もりを感じることはできなかった。
「ありがとう、お父様……!」
……もう、心臓の音は聴こえなかった。
「わたしのお父様でいてくれてありがとう……!」
……消える。
「大好きだよ、お父様……!」
……命が消える。
「お父様っ! お父様ぁっ……!」
……かけがえのない大切なものが消える。
『……さようなら、ドロシー』
「嫌だよ! 消えないでよ! お父様ぁ! お父様ぁ!」
『そして、ありがとう。ドロシーと出逢えたこと、ドロシーと共に過ごした時間、それがわたしの最大の幸せだった』
「……お父様ぁ……お父様ぁっ」
『……だから、ありがとう』
「……おとう……さま」
『 本当にありがとう 』
……消えた。
「……お父様っ」
……白く、静寂とした世界には私しかいなかった。
「お父様ぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!」
……子供の頃、お父様と一緒に旅を始めたばかりの夜であった。
――どうした? 恐い夢でも見たのか?
……父ちゃんとお父さんが死んだ雨の日の夢を見た私は恐くて泣き出してしまったのだ。
――そうか、そうか。それは災難だったな。
人の姿をしたお父様は優しげな眼差しで私を招き入れた。
――ほら、おいで。楽しい話をしよう。
私は涙を脱ぐってお父様の隣で横になる。
――そうだ、お前の父ちゃんが小さかったときの話をしよう。
お父様は優しげな口調で昔話を始める。
――フェンリルも昔は馬鹿でな、よく大きな魔物と喧嘩を泣きながら帰ってきたものだよ。
――へぇー、それで! それで!
――そうだなぁ、フェンリルは野うさぎが好物でな、よく野うさぎを取り合ってヨルムガントと喧嘩をしていたんだよ。
気付けば恐さなんて吹き飛んでいた。
昔話を語るお父様。
穏やかな気持ちで眠る私。
……それは幸せな記憶の一頁であった。
……………………。
…………。
……。
「 ドロシー……! 」
……誰かが私の名前を呼んでいた。
「……タツタ、様?」
……タツタ様の声であった。
「……ごめん! ドロシー! ごめん!」
タツタ様は泣きながら私に頭を垂れていた。その言葉には悔しさが滲み出ていた。
「〝LOKI〟は俺達を守って……!」
「……」
私は周囲を見渡す。そこには荒れ果てた大地が広がっていた。
「……これは?」
「守ってくれたんだっ」
私は自分の足下を見た。
「〝LOKI〟が命を懸けて……!」
……そこだけが綺麗な土であった。
「……そうですか」
「……ごめん……俺に力がなかったから」
「謝らないでください、タツタ様」
「……でも、俺っ」
「もう、終わったんです」
私は薄暮れどきの空を見上げた。
「……全部、終わったんです」
……そんな私の呟きは薄暮れの空に溶けて、消えてしまったのであった。




