第132話 『 月下の誓い 』
――さようなら、奏。愛してるわ。
……確か、雪の降り積もる夜だった。
……燃え盛る炎の中。
……そこには俺と楪しかいなかった。
「楪! 諦めるな! 絶対に助かる! だから死ぬんじゃない!」
死を覚悟して、別れの言葉を囁く楪に俺は叱咤激励した。
「……」
しかし、楪は悲しげに瞼を閉じ、首を小さく振る。
「……あなたもわかるんでしょ、もう意識を保つのも限界だって」
「そんなことはない! 俺は平気だ! だから、お前も大丈夫なんだよ!」
「 なら、良かった 」
……何を、
「 あなたが生きていられるのなら、それは良いことだわ 」
……何を言っているんだ!
「秋には子供ができる! 俺とお前の子だ!」
「……そうね」
「きっとお前に似て聡明で可愛い子が生まれる!」
「あなたに似て、格好いい子が生まれるかもね」
俺は叫んだ。楪を眠らせないよう、力の限り叫んだ。
「子供の顔、見たくないのか! 死んだら子供の顔も見れないんだそ! 悔しくないのか! 悲しくないのか!」
「……それは、悲しいわ」
「だったら生きてくれ! 死なないでくれよ!」
「……それは難しいわ」
何で頷いてくれない! 何でそんなに諦めた顔をするんだ!
「……もう……何も考えられなくなっているの」
「――」
「……視界も霞むし……あなたの声も聴こえなくなっているわ」
「……やめろ」
「……もう……眠いわ」
「……言うな」
「……限界……なの」
「やめろ……!」
……わかっていた。
だって俺も同じだからだ。もう限界が近づいていた。ただでさえ身体の弱い楪が耐えられる筈がなかった。
でも、それを簡単に認める訳にはいかなかった。
……ずっと好きだったんだ。
初めて見たときから綺麗な人だと思っていた。
だから、プロポーズを受けてくれたときは死ぬほど嬉しかったんだ。
子供ができたときも飛び上がりそうになるほどに嬉しかったんだ。
これから、幸せな毎日が続く筈だったんだ。
でも、現実はどうだ?
俺は今、目の前で最愛の妻を失おうとしている。そして、俺も――……。
「……わたし、あなたのことが大好きだったのよ」
……楪が小さく呟いた。
「世界で、ううん――宇宙で一番愛してたんだから」
「……」
……既に、その瞳には光が無かった。
「だから、あげる」
「――」
――楪が俺の唇に自分の唇を重ねた。
「……おまじない」
「……楪」
重ねた唇を離した楪が、俺の胸に体重を預けた。
「……これから良き日が続きますように」
――そして、心臓の音が消えた。
「……ゆず……りは?」
俺は楪の肩に手を回す。
――ずるっ、楪の身体が床に落ちた。
「――」
……言葉が出てこなかった。
「……」
俺は楪の横顔を見つめた。
……とても安らかな死に顔であった。
「……」
……駄目だ。
「……」
……押さえられない。
―― 一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……………………ぁ」
……やっと出た言葉がそれだった。
「……ァア…………ァ…………アアアッ……」
それは叫びではない、ただの嗚咽だった。
「……ァ……ァァッ…………」
ど う し て ?
……俺は神を恨んだ。
……どうして楪を殺した?
……何故、楪が死ななければならないのだ?
……彼女は生まれたときから身体が不自由で、長い間入院生活を強いられていて、それでもやっと普通の生活ができるようになったんだ。
……なのに、何だこの仕打ちは?
……酷すぎるじゃないか。
……こんなのあんまりじゃないか!
俺は楪の死体の前で泣き続けていた。
直に俺も死ぬ――それは避けられない運命であった。
そ ん な と き だ 。
『 あっ、扉が繋がったな 』
――俺の目の前に、巨大で荘厳な扉が現れたのだ。
「 ―― 」
……訳がわからなかった。
『 少し暑いな 』
――そんな呟きが扉の奥から聴こえた瞬間。
「……何だ……これ?」
――俺以外の時が静止した。
……揺らめく炎も、焼け落ちる木々も、立ち込める煙も、まるで録画した番組を一時停止したように全てが静止していた。
『 酷い顔だな、死に損ない 』
……そして、扉が開いた。
「……お前、誰だ?」
『俺か?』
そいつは真っ白な髪に、真っ白な肌、真っ白な瞳をしていた。何とも浮世離れした外見であった。
『俺はこの世界を管理している者だ』
「……お前が?」
『そう』
そいつは不敵に笑んだ。
『 俺の名は因果王――ブラドール=ヴァン=リローテッド 』
――因果王?
『まあ、平たく言えば神様とでも言っておこうか』
……神様……だと。
「……」
……コイツが神様、か。
「……おい、お前」
『どうした?』
コイツが神様なら問い質さなければならないことがあった。
「……どうして、楪を殺した? どうして、楪が死ななければならなかったのだ?」
『 知らないね 』
「 ―― 」
軽々しく吐き捨てるブラドールに俺は絶句した。
『俺は一々人の生死に関与したりはしない。するとするならば暇潰しに簡単なゲームをするだけさ』
「……」
ブラドールはまるでゴミを見るような目で俺と楪を見下ろした。
「――ふっ」
俺はブラドールに向かって飛び出した。
「ふざけるなっ! 楪が何をした! コイツは今まで幸せなことを知らないで生きてきたんだよ! そんな奴が初めて幸せを手に入れたんだ!」
俺はブラドールの胸ぐらを掴んで怒鳴り付けた。
「それなのにどうした死なないといけないんだよ! どうして! どうして楪じゃないと駄目なんだよ!」
俺は吐き出した。怒りも無力さも全部吐き出した。
「……そんなのってないだろ、納得できる訳ないだろ」
威勢がよかったのは最初だけで、俺はすぐに崩れ落ちた。
「……楪っ……楪ぁ……」
泣いたって、呻いたって楪は帰ってこない。帰ってこないんだ。
『 ゲームをしないか? 』
――ブラドールはそう提案した。
「……」
……それが、
『 勝てば、柊楪を甦らせるかもしれないぞ 』
「――」
……それが、俺の戦いの始まりであった。
……………………。
…………。
……。
「 見つけた 」
……満天の星空の下、小さな小屋を前に俺は小さく呟いた。
扉越しだろうが俺にはわかる――この小屋の中に楪が居る。
「……」
俺はゆっくりとみすぼらしい扉を開いた。
「……」
――そこにはベッドの上で横になる楪がいた。
「……良かった……怪我は無いようだな」
俺は安堵の息を溢し、静かに寝息を立てる楪の傍に歩み寄る。
「何度見ても君の寝顔は美しいな」
俺は彼女の横に腰掛け、長く艶やかな長髪を撫でた。
「もう少しだ」
眠る彼女に届かない誓いを立てる。
「もう少しで君を甦らせられる」
そう、嘗て創造主――ブラドール=ヴァン=リローテッドは俺に言った。
「必ず君を甦らせるよ」
ゲームをしよう。ゲームに勝てば、柊楪を甦らせることができる……奴はそう言ったのだ。
「必ず、たとえこの命が消えて無くなってしまおうとも」
ゲームの内容は至って単純だ。
ある人物を殺せば、人を一人だけ甦らせることができる……ただそれだけだった。
俺にとって、楪は欠け代えのない希望だ。如何なる手を以てしてでも彼女を甦らせなければならないのだ。
「だから、約束しよう」
……だから、俺は奴を殺さなければならない。
「君は必ず甦ると」
――魔王、〝白絵〟を殺す。
……それが、俺の野望なのだ。
「 そして、この月に誓おう 」
月に願い、
星に祈る。
「 君の笑顔を取り戻す、と…… 」
……どうか彼女に良き日々が訪れますように。




