第107話 『 大嫌いだ。 』
……俺は字が下手くそだった。
俺の家は書道の名家で、親父も祖父も曾祖父も皆、書道界に名を連ねていた。
そんな親父や祖父の背中を見てきた俺は、自分にも書道の才能があるんじゃないかと思い込んでいた。
そんな俺は幼稚園に入園すると同時に書道教室に通い始めた。両親の勧めもあるが、俺自身も字が上手くなりたかったからだ。
小学一年生のとき、将来の夢を絵に描いたっけな。
そのとき描いた絵は書道の大会に優勝して、表彰されている自分とギャラリーに親父や母さんがいた。
親父や母さんはよく描けていると褒めてくれた。
今思い出しても下手くそな絵だったけど、今の俺にあんな幸せそうな絵は描けないと思う……大人は悲しい。
……小学一年生を終える春、俺の字は下手くそだった。まだ、幼いから仕方ないと思った。
小学二年生のとき、将来の夢の作文を書いた。
俺の親父は凄くて、俺も親父のような書道家になりたいという内容であった。
……その年に弟――空上龍二が生まれた。
親父も母さんも俺も弟の誕生にはとても喜んだ。俺もいいお兄ちゃんになろうと勇んだものだ。
……小学二年生を終える春、俺の字は下手くそだった。まだ、書道を初めてから四年目だから仕方ないと思った。
小学三年生に進級すると、俺は一歳になった弟に字を教えることが密かな趣味になっていた。
勿論、簡単には書けなかったが、丁寧に教えると「あ」の字を書けるようになっていた……天才だと思った。
教えるとすぐに覚える弟に字を教えるのは楽しかった。
弟は二歳になる前に平仮名を全て書けるようになっていた。今に思えば、弟はやっぱり天才だった。
……小学三年生を終える春、俺の字は下手くそだった。訳がわからなかった。
小学四年生に進級して間もない頃、母さんが棚の整理をしていて、俺もその手伝いをした。
そのときだった。
俺は見てしまったのだ。
……親父の字を。
やっぱり上手いと思った。自分の父親は凄い、俺は親父を尊敬してやまなかった。
母さんは親父の字をファイルに綴って残していた。それは、祖母もやっていたことらしく、親父の字は小学生の頃から残っていた。
俺は興味本意で親父の字を次から次へと眺めていった。
……そして、俺は親父が小学一年生の頃の書を見て――絶望した。
「 星 」
……たった一文字、そう書かれていた。
でも、その一文字は俺が今まで書いてきたどの字よりも――巧かった。
当時の親父は小学一年生で俺は小学四年生。なのに、負けていた、圧倒的に。
――十歳、俺はやっと自分に才能が無いことを悟った。
……その日を境に俺の中の書道への熱は醒めてしまった。
書道教室へも段々休み勝ちになり、次第には辞めてしまった。
辞めると時間が余ったので弟に字を教える時間が長くなった。物覚えのいい弟はどんどん上達していった。
弟も幼稚園に入園すると同時に書道教室に通うようになった。
弟の字は更に上手くなっていき、小学校に上がる頃には全国のコンクールで金賞を授賞するにまで至っていた。
そのコンクールで書いた弟の字は――……。
「 星 」
……その字は俺の字よりも巧く、何より親父の字にそっくりだった。
肩の荷が降りたような気がした。
空上の書道は弟が継ぐ、俺はもう頑張らなくてもいいんだと悟った。
それから俺は何も頑張らない人間になった。
……努力なんてくだらない。
……この世は結局、才能だ。
そう思った。
――一度も死ぬほど努力したことなんてないくせに……。
……………………。
…………。
……。
――俺は俺が大嫌いだ。
〝氷の宮殿〟の名もなき一室に俺は膝を抱えて、頭を沈めていた。
……フレイを奪われた。
……皆を切り捨てた。
……俺は孤独だった。
「……」
一人は〝楽〟だった。
誰にも気を遣わなくてもいいし、誰かを失う恐怖に怯えなくてもいいからだ。
一人が淋しい、などとは思ったりはしない。この世界に来るまでずっと俺は独りだったからだ。
一人は〝楽〟だ。それは間違いなかった。
――でも、〝楽〟しくはなかった。
ギルドのハイテンションな絡みも、
カノンの人懐っこい笑みも、
ドロシーの冷静なツッコミも、
フレイのツンデレも、
……何にも無かった。
「……」
ただひたすらに沈黙は続く。
ここには俺の他には誰も居ないし、俺は独り言を言う気分ではなかったからだ。
……………………。
…………。
……。
――危ない、危ない。危うく皆のところに戻りそうになったぞ。
(……俺はもう戻らないって決めたんだ)
もう失うのはうんざりだ。だから、全部手離したんだ。
ふと、思う。
もし、俺が戻ったら皆は待っていてくれているのだろうか?
T.タツタは解散した。
だから、あいつらが待つ義理は無い。
でも、万が一、億が一、あいつらが待っていてくれていたら――……。
……俺は嬉しいのかもしれない。
自分で解散しておいて、身勝手なことこの上なかった。
「……」
……馬鹿か、今さっき捨てたばかりだろ。
振り向くな! 振り向いて、あいつらがいて、その手を取ってみろ! そんなことをしたら――また、繰り返すんだぞ! あの痛みを! あの無力感を! そんなの! そんなの!
「……耐えられねェよ」
俺は力弱く呟いた。
……俺は俺が大嫌いだ。
俺、変わったんじゃなかったのかよ。
今まで、変わっていたと思っていたのはまやかしだったのかよ。
変わったと思っていた。変わっていたと思っていたのは勘違いで、俺の本質は何にも変わっていない。
……頑張らないことと不貞腐れることだけが得意で、良いとこなんて一個もなくて、他人の為に頑張ろうなんて一ミリも考えなくて、世界のどこかの悲しいニュースを他人事のように聞き流しているエゴイスト。
確かに最近の俺は俺にしては頑張ってたよ、でも、それだけだ。
たった一度の敗北、たった一度仲間を奪われただけで俺は折れてしまった。
「……俺は、弱い」
俺は今まで取り繕ってきたんだ。
……格好いいヒーロー。
……バトル漫画の主人公。
……ヒロインを必ず助ける英雄。
そう、なりたいと思った俺はそういう奴等の真似をしていたんだ。
俺はただのカッコづけだ。格好いい人間の真似をして、格好いい人間になっていた振りをしていたんだ。
中身なんて何にもない! 周りだけ取り繕っている中二病なんだ!
俺は――……。
「……空っぽ、なんだ」
……中身が無い。
……信念も無い。
――だから、すぐ折れる。
……昔と同じだ。
人並みの努力をだらだらと続けて、自分に才能があると思い込み、勝手に裏切られたと逆ギレして、たった一度の挫折で簡単に諦めてしまう。
俺はあのとき、書道を辞めたときと何にも変わっていない。
……………………。
…………。
……。
……もう、どうでもいい。
……痛いのも嫌だし、死にそうになるのも恐い。
……仲間を失うのもうんざりだし、リーダーなんて人選ミスもいいところだ。
……もう、いいんだ。
……折角、ファンタジー世界に来たんだ。
……異世界スローライフでも漫喫しよう。
……だから、
……もう、
冒 険 は 終 わ り に し よ――……。
「 見つけましたよ、タツタさん 」
……誰かが俺の名を呼んだ。
……扉がゆっくりと開いた。
「 少し、お話をしませんか 」
……ギルド=ペトロギヌスがそこにいた。




