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研究所のナベリウス  作者: マヨ果物
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03.牛鬼


 某所のとある喫茶店。


 隅々まで掃除された、こじんまりとした喫茶店は閑古鳥が鳴いており、昔ながらののメニュー表に残ったチョークの白い粉が値上げの回数の多さを物語っていた。

 カウンター席4つと、テーブル3つにイスが4つずつ。天井近くに設置された薄型テレビは何の脈絡もなしに先程から一昔前の歌を流していた。

 月子はこの場所が好きだった。一人暮らしを初めて最初に訪れたのがこの店だからだ。仕送りとアルバイトで貯めた金を、できるだけ減らさずに美味しい食事が取れる最高の場所であり、誰にも勉強を邪魔されない静けさが心地好かった。コーヒーが高いのが玉に(きず)だけれど。

 小説を読みながらコーヒーを啜っていた月子は、思い出したように腕時計を確認した。指定された時間まであと1時間あった。張り切りすぎてしまったようだ。苦笑して、テレビ画面に目を向ける。今度は陰鬱なメロディーの曲だった。ピアノの物悲しげな高音が耳に障った。


「……清水さん」

「何かしら?」


 店主の清水は、そんな物悲しさとは無縁の女性だ。腰まで垂らした、淡いブロンドの巻き毛は、枝毛なんて見当たらない。ハーフなのかそういう顔立ちなのかは定かでは無いけれど、すっと通った高い鼻と長い睫毛、はっきりと浮き出た美しい唇はルージュに彩られて艶やかだ。大人っぽい体型を包むのが毛玉の浮いたセーターとジャージ下、地味な色のエプロンでなく、スリットの深いドレスだったならきっと、いや絶対、超ド級のハリウッド女優と勘違いされるだろう。


「いえ、今日もお綺麗ですね」

「月子ちゃんの方が私なんかより数倍美人さんよ」

「はは、そんな事無いです」

「あらま、卑下しちゃってもう」


 気さくな女性だ。「サービスよ」と注がれたコーヒーは淹れたてで、月子が好む「脳味噌が沸騰する位熱い温度」のコーヒーだった。


「砂糖は一杯、ミルク多め、ね」

「ありがとうございます」

「常連さんには最高級のおもてなしを。それが当店のモットーですから」

「……今回も、ご協力感謝します」


 コーヒーにミルクが注がれ、茶色になって融けた。

 金髪を気だるげにいじりながら、清水は首を横に振った。


「情報屋を頼るなんて、いけない子だわ。月子ちゃん」

「私、どうしても研究所に入りたかったんです。スリルと、知識欲と、目的を満たしてくれる場所に、行きたかったんです」

「……ふうん。それで、どうだったの?結果は」

「催涙スプレーのおかげです」


 空になった催涙スプレーの缶をカウンターに置くと、清水は大事そうにそれに頬ずりをして、壊れている箇所が無いか点検した。

 清水は、重度の武器愛好癖があった。彼女の現在の彼氏はクールでスタイリッシュなライフルだそうだ。護身用のスプレーにまで守備範囲が広がったのかと、月子は少し驚いた。けれど、この悩ましい性癖ゆえに清水は裏社会の情報屋、武器屋として名を世間に知らしめているのだろう。

 正直、月子にも清水のコレクションが合法なのか違法なのか見当がつかない。そもそも、月子以外は清水のコレクションも性癖も本業も知らないのだから、情報が少ないのも無理ないだろう。情報屋の情報が市場に出回らない。それは、清水がプロである事の証拠なのだ。

 それを、月子が知っている理由。簡単だ。月子は、清水の正体を暴いたのだ。自力で。


「この子の存在を有意義にしてくれてありがとう、月子ちゃん。そしておめでとう!私の情報が役に立って良かったわ」

「助かりました。いつもながら圧倒的な情報量と正確性。情報を守る手段も。さすが清水さん」

「その私の正体を月子ちゃんは数日で見つけちゃうんだから、驚きよ」

「私は__問題を解いただけですから」


 腕時計を確認する。あと30分。道のりがここから研究所まで30分弱。コーヒー代を払い、月子は喫茶店を出た。

 身なりを整える。「初仕事」に心臓をバクバクとさせ、チョイスしたのは紺色のセーターに黒のネクタイ、膝丈のスカート、白い靴下に革靴という物だった。全体的に暗く、職場というよりは高校に行くいでたちだが、月子はこれが1番落ち着いた。

 鞄にある名刺は、白い背景に「大伴月子 オオトモツキコ」と書かれたシンプルな種類だったが、右上に小さく猫のシルエットが描かれているのが不思議だ。


「ま、行くか!」


 両頬をぺしぺしと叩き、月子は、研究所の受付である骨董品店を目指して進んだ。




「___はい、月子ちゃん。おはようさん」

「林さん」


 相変わらずの猫っ毛をくねらせ、林は金の装飾がされた古風な眼鏡を磨いていた。レンズは僅かな光を受け水色に輝いていた。

 月子は、名刺を差し出した。形状・材質などを確かめてから、林はさも切符のようにそれをレジにスキャンした。


「今日は奥の茶色の扉ね。じゃ、頑張って」


 細い手をひらひら振る林に手を振り返し、月子は茶色の扉を開けた。ぐるんぐるんと目が回る感覚は無かった。あの名刺に何かあるのだろうか。

 そこは研究室だった。魑魅魍魎が、突然出現した月子を発見して何事かを喚いたりすすり泣いたりしている。中央の通路を、できるだけ超常現象たちを避けて通り、月子は試験管が並んだ机の前に立った。

 既にハナヅナが白衣を着込んでいた。やはり綺麗だ。黒い詰襟に白い肌が映えている。白。白から関連付けられる存在は、ハナヅナの隣でじっと試験管を観察し、状態を記録していた。

 白南風(しろはえ)スズロ。白髪・赤目のアルビノ。髭を擦りながら、彼は月子に小さく「おはよ」と言った。


「おはようございます」

「うん。予定通りの時間だね。偉い偉い。それで、今日の仕事の件なんだけれども」


 語尾を濁して、スズロは髪をくしゃくしゃと掻いた。


「最初から結構な大物なんだよね……ねえ、大丈夫?」

「全然平気です」


 即答した。


「うん、そうこなくっちゃ___ところで、月子ちゃん。君、『鬼』ってつく妖怪、どれ位思いつく?」

「吸血鬼とか、そのままの鬼とか……あんまり無いです」


 ははっ。と乾いた笑いが、スズロの口から漏れた。呆れている訳では無いようだ。赤目は、今もなおこちらを捉えていた。


「そうだね。そうだ。普通はね、そこまでしか思い当たらないだろうけれど、でも、もう少しいるんだよ___正確には、頭が鬼で体が牛の、人の影を食べる鬼が、ね」


 いまいちピンと来ていない月子を見かねて、ハナヅナが付け足した。


牛鬼(うしおに)、ですよね。博士」

「牛鬼……?」


 民間伝承や、そういう物を取り扱った漫画や小説には割りとポピュラーに、そして凶悪な面で描かれる妖怪__それが、牛鬼。

 月子の脳内データベースが検索ワードを元に導き出した答えは、ソレだった。

 神妙な面持ちの月子を見て、ハナヅナとスズロは理解したのを感じた。月子は、天才なのだ。本物の。記憶は全て彼女の小ぶりな頭の中に入っている。彼女はいつでも、意識していなくとも、膨大な記憶の本棚に身を投じる事ができた。裏側に潜り込んだ遠い昔の記憶は、多少埃を被ってはいるが色褪せてはいない。本の虫が湧く必要も無い空間で、月子は牛鬼に関わる資料をかき集めた。


「ああ、知ってます。水辺に棲んでいて、お酒が好きだとか何とか。本当なんですか?」

「博士と僕が調査したところ、伝承の大部分は本来の性質と同一だね。よくもまあ先人達はこんな物調べたもんだ」

「それ言ったら私らもでしょ……うわ、助手の視線が絶対零度」


 仕切り直しと言わんばかりにゴホン、と咳払いして、スズロは月子に資料を渡した。分厚い。1枚1枚に不可思議な紋章やら変な言語やらがびっしり刻まれており、後からそれの説明が青いペンで記入してあり、お世辞にも読みやすくはないが有り難かった。


「研究材料として捕獲したいんだ。角については散々調べられているから、今度は胃袋について。影をどうやって消化しているのか、消化器官全体にとっても興味があるんだ。私としては解剖結果次第で影を食べられた人間への特効薬が発明できるかもしれないから、凄く重要な任務だよ」


 急に現実味を帯びた話題になり、月子は熱心に耳を傾けた。影を食う鬼。牛の体の鬼。一説には、蜘蛛の体に牛の頭を持つという化生、怪異。牛の頭がいるならば、鳥の頭もいるだろう。きっと実在する。

 スズロが道具をまとめているうちに、今度はハナヅナが喋りだした。聞いて、憶えなければいけない事が沢山ある。幸い、月子は記憶力に自信があった。


「まず、牛鬼の弱点からだね。資料の3ページ」


 言われるがままにそこを読むと、真紅の布がでかでかと印刷されていた。青い文字で「闘牛の如く扱う」と補足されていた。


「いくら鬼、怪異と名を変えたって実際は牛に近い種だ。物体がひらひら動いていれば興奮して突進してくる。しかも、普通の牛と違って色の識別もできる牛鬼にとっては、この赤い布__闘牛風にいうと『ムレータ』は、攻撃色に彩られた獲物みたいに見える。だから、これを使っておびき寄せたところで……牛鬼の弱点を使う」

「弱点?」


 ちょうどその時、強烈な酒の臭いが室内にたちこめた。スズロが瓶に入った日本酒の出来に不安を持っていたらしく、鼻にくる強さを我が身で受けたのだろう。


「うっ……やっぱり私はワインだよ……うええ」

「弱点って、まさか……お酒?」

「ピンポン。しかも日本酒。私絶対日本の妖怪とは相容れないよ」


 日本の神話の化物退治の結果を顧みれば、納得できる。かの有名な八岐大蛇も、8つの首が酒に溺れた末にスサノオに敗れたのだから。日本の妖怪を退治するには、酒は有効なのかもしれない。いや、確実に、効かなければ、研究所で扱っている筈が無い。


「上手くいけば、清められた水で作られた酒を飲んでくれるだろう。他の妖怪の血と出来の良い米で臭いを誤魔化してるから、まさか自分の体が動かなくなるとは予想しないだろうね」


 詰襟をいじりつつ、ハナヅナが言った。だからこんなに悪臭が漂っているということ。人間にとっての悪臭は、牛鬼にとって甘美な誘いということ。そして、清められた水に妖怪は弱いということ。新事実が、次々と貯蔵されていく。月子は酒の悪臭が気にならなくなった。

 圧される様子も無い月子に安堵して、スズロは酒瓶の蓋を閉め、日本酒の臭いに騒ぐ妖怪共に苦笑した。


「今度の牛鬼さんは通常と比較すると異様に巨体だ。発生時期は12年前の8月。月子ちゃん、牛鬼の寿命は平均523歳。今回のは赤ちゃん並の年齢なんだ__けれど、怨みつらみが半端じゃない」

「怨み……」

「妖怪の力を強くするのは怨みといった負の感情だ。それらを負い、人を追い、老いてゆき、力は増してゆく。マイナスになればなる程数が増えていく。そう、私達人間とは正反対の存在だ。でも、今度の牛鬼さんは、元々は____人間なんだ」


 ずくん。腹部が冷えた。元人間?それが、12年という歳月で大妖になってしまうものなのか。


「元人間__平良義彦(たいらよしひこ)は12年前に交通事故で亡くなった。それ以来、自分が命を落とした原因である、対向車を運転していた男の家族の血を根絶やしにしようとしている。その結果、巻き込まれた人間もいる……哀れな平良義彦は、牛鬼の邪気に完全に精神を乗っ取られている。復讐する相手がたとえ、少女であってもそれは同じだ」

「少女?」

「あぁ……久間(ひさま)めぐ。久間家のたった1人の生き残り。現在は一人暮らしをしている」


 資料に目を通すよう促され、ページを捲っていくと、「久間めぐ」と補足された写真が挟まれていた。

 ギャルとか、読モとか、近頃の流行に疎い月子でも、彼女の顔には見覚えがあった。

 緑色が特徴的なショートボブに、ヘーゼルの瞳。目が大きくて、二重瞼で、睫毛もくるんと長く、肌荒れとは縁の無さそうなもちもちの肌。薄い唇と反比例して、むっちりとした親近感が湧くボディから、女性からの人気も他の追随を許さない、今流行りのアイドル「メグ」だ。


「この子、アイドルの…!」

「お、知ってるの?さっすが若い子なだけあるじゃん。じゃ、話は早い。今回君に頼みたいのはこの子の護衛なんだ」

「護衛?それってどういう……」


 きゃるるん、と額にピースの形をした手を当て、スズロは月子に宣言した。


「アイドルとして、潜入捜査してもらいますっ☆」


 嘘でしょ。

 月子は、驚きに目を見開き、地位もかなぐり捨ててスズロを問い詰めた。


「最初から研究所の名前出せばいいじゃないですかっ!?」

「いーやいーや。久間めぐは牛鬼の事件を中途半端に知っていてね。彼女の周囲で度々人が獣に食われる事件が勃発してるし天涯孤独なだけに、そういう詐欺の被害に何度も遭ってるんだー人間不信気味の子に怪しい研究所から来ましたーなんて言えないじゃん?」

「他に何か無いんですか!?警察になりきるとか!」

「犯罪ダメゼッタイ」

「パ・ワ・ハ・ラ・で・す・よ!!」

「私強制してないもんね頼んでるだけだもんね。文句あるんだったらどーぞご勝手に退出どうぞ」

「ムキーーッ!!」

「フ・ハ・ハー」


 言い争いを終始面白そうに見物していたハナヅナが、疲労した月子を後目に話を進めた。


「ともかく……久間めぐは外部の人間にとても風当たりが強いらしいんだ。幼い頃に親を亡くして、遺産も全部詐欺で奪われたからだろうけれど。だから、下手に近づくと逆に警戒されかねないし、男子禁制の寮に入ってるから僕らじゃ近づきようもない。だけど、彼女の護衛はずっと彼女に張り付いていなくちゃいけない。牛鬼は影のある場所ならどこにでも現れる」

「あんなにバラエティ番組でも笑顔なのに、そんなに人が信じられない子なんですか、久間めぐって……」


 月子は胸の奥が疼いた気がした。

 偽りの笑顔。嘘の喜び。自分より若い女の子が牛鬼のような妖怪に追われているなんて。しかも、親がおこした事故のせいで。月子は、いても立ってもいられなくなった。


「___私、やります。アイドルに、なってみます」


 潜入捜査なんて、研究所に所属した人間がやる事じゃないだろう。自嘲気味に笑って、月子は連絡用の携帯をポケットに突っ込んだ。

 アイドル事務所の住所はもうハナヅナに教えてもらった。あとはなるようになれ、だ。


「牛鬼が出現したらすぐ、この携帯で連絡して。僕と博士が駆けつけるから」

「分かりました」


 力強い眼差しの月子に、スズロは部屋の奥で、小さな手の震えを抑えられずにはいられなかった。


 2人だけになった研究室で、ハナヅナは彼に頭痛薬を飲ませた。


「……危険な、仕事ですよ」

「うん」

「……博士、あなた、大伴月子は姉にそっくりだって、言っていましたよね?」

「うん」

「良いんですか?最初から__」

「良いんだよ、ハナヅナ。私だって、いつまでも姉さんを理由にあの子を拘束してはおけないよ。最初から、姉とは別人として、扱ってあげるべきなんだ」


 光の枯れた目の先を辿り、何も無い事に気付いたハナヅナは形の良い口もとを曲げた。吊り下がった口は何かを紡ぐ事もできなかった。

 人知れず、涙は闇に紛れていった。


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