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研究所のナベリウス  作者: マヨ果物
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02.採用

 月子は、困惑した。

 その証拠に、近くに置かれていた靴箱を引っくり返してしまった。謝罪の言葉すら声帯が上手く機能しなかった。


 彼は、この上なく動揺した。

 彼が胸に秘めた記憶の中心部にある、彼の姉と同じ容姿の女性が、再び現れたからだ。


 長い黒髪に利口そうな瞳。賢者らしい立ち姿。自分とは正反対の、色素を持つ姿。彼の姉そのものだった。

 でも、ただ1つ違うのは、自分に敵意が向けられていない事だった。それに気付いて、彼は眼鏡の位置を元に戻した。霞んでいた視界が明確な輪郭を取り戻す。


「ハナヅナの案内でここに来たのか?」


 礼拝堂を思わせる書斎に響き渡る明瞭なバリトンボイスで、男は尋ねた。月子は肯定の頷きを返し、彼への距離を1歩分縮めた。


「大伴月子です」

「オオトモ、ツキコ……。私は白南風(しろはえ)スズロ。研究所所長だ」


 変わった名前だな、と月子は考えた。どこか涼しげな名前だ。

 机に散らばった書類を一瞥もせず、絨毯の上に次々と落としていくスズロに驚きを隠せずに、月子はその場に突っ立っていた。どうにも落ち着かない。弧を描いた天井に彫られたどこぞの天使に監視されているようだ。様々な色で飾られ、統一感が無い部屋は常にグルグルと回転しているようで、部屋の主だけはどの色彩にも縛られない白の様相をしていた。ある意味、「異彩」を放っているようでもある。

 概ね片付いた机上に満足したのか、スズロは机を挟んだ向かいの安楽椅子に月子を招いた。恐る恐る座った月子を確認して、スズロは静かに口を開いた。


「……君は、本当にここで働きたいのか?」

「ええ、はい」

「超常現象を研究する場。胡散臭いとは思わないのか?」

「何が何でも調べたい案件があるんです」

「危険は承知?」

「____勿論」


 スズロは憂いを帯びた表情で笑い、「そりゃ凄い」、とおちょくるように机に肘をついた。白い髪が、動く度に尾を引いている。

 ムッとして、月子は反論しようとした。からかわれる程、私の決心は軽くない、と。そう、言おうとした。申し上げようとした。悪く言えば、喧嘩を売ろうとした。なのに。


 ばあん。


 銃弾が、月子の胸を貫いた。

 いや実際は、スズロが作った指鉄砲から、スズロが放った効果音が空気中に振動しただけなのだが。でも、ただの指であろうとも、発砲音の物真似であろうとも、スズロは、完全に再現していた。無機質な機械の感じであったり、甲高いそれが命を貫く音であったり、完全に本物だった。

 月子は、ある意味本当に心臓を撃ちぬかれた。緊張で心臓が硬直し、血液が一瞬凝固したように感じた。肺が機能不全になり、喉から悲鳴が迸った。

 銃以上に、スズロの冷酷な目がショックだった。赤が濁った、言い表せない強烈な色。

 苛烈極まる防衛本能のスイッチが、月子の中でオンになった。頭で理性の警鐘が制御を試みる。理性の作戦は失敗に終わりそうだ。

 内ポケットから、小型催涙スプレーがスムーズに手中に収まった。先端のキーリングが僅かに跳ねた。親指より少し大きい噴射ボタンを、月子は迷わず押した。強烈なガスが、空中に1本の線を引きながら、スズロの両眼に直撃した。


「ッ」


 スズロの息が詰まった。赤い目が閉じられた。月子は、帰還した理性に責められながら、後悔の念に駆られた。何てことをしてしまったのだろう。席から立ち上がった月子の肩を、誰かが触れた。


「___はーかせ、全く。懲りないんだから」

「ハナヅナさんっ!?えっと、すみませ__」


 むぎゅ、とハナヅナの手の平が月子の頬を揉む。ぺちぺちと手の甲で触り心地をテストされ、月子は困惑しながらもスズロを案じた。数時間は、まともに目を開けられないだろう。


「あにょ……、白南風しゃんは……」

「んー、自業自得だし。素人だからって脅かすのが悪いんだよ。博士、いつまで痛がってるフリしてるんですか」


 呆れたように、ハナヅナは前屈みになっているスズロのうなじに手刀を繰り出した。ズドッと鈍い打撃音と共に、蛙が潰されたような悲鳴がした。


「ぐぇっ」

「ハナヅナさん、それは酷……ぐえ?」

「キャラ作りもいい加減にして下さいよ。僕だって忙しいんですから」

「キャラ……え?どういう……」


 涙目になって顔を上げたスズロは、先程までとはうって変わって情けないモノだった。目じりは下がり、唇はへの字に曲がっている。弱気な中年男性、といった風だった。そのせいか、白髪と赤目がより異様な組み合わせに見えた。


「ちょっと、ハナヅナくん。私のキャラ壊さないでくれるかい」

「あーはいはい。クールなドクターですか、へえー」

「良いじゃない良いじゃない!私だってヘタレって新人ちゃんに思われたくないんだよ、分かる!?」

「そもそもナヨナヨしている博士はいつかきっとボロが出るでしょう!」

「イケメンには分からないだろうな!ムサい男のプライドってヤツが!!」

「知るか!!」


 いきなり饒舌になったスズロに面食らって、月子は目をぱちくりさせた。さっき自分の防衛本能を最大まで引き出した男だとは微塵も感じない。おぞましいまでの冷徹さも残酷も、全く肌を撫でなくなった。

 と、いうか。それよりも、催涙スプレーの効果をものともしていないスズロに戸惑った。ツンとする悪臭に自分ですら涙目なのに、スズロは動じてもいなかった。何者なんだ?訝しげに眉を寄せる月子に気付いたのか、スズロが覚束ない足取りで月子の真正面を陣取った。この男、身長がこの場にいる2人より圧倒的に高かった。190センチはあるのではないだろうか。


「ええっと、すまん。驚かせてしまって」

「え……あ、いえ!それより、すみません!催涙スプレーなんて使ってしまって!」

「ビックリしたけど、もう大丈夫だから謝らないでくれ。元々は君を試そうとした私の責任だし」

「試す?」


 スズロは頷いた。演技ではない、哀愁の漂う目つきだった。


「危機察知能力、洞察力、行動力____潜在能力。君には才能がある。この世のモノではない何かを退治するのに足る能力を君は持っている。君は今日から、この研究所で私の部下になる」

「それってつまり……」

「採用、だよ」


 言葉を失くした月子の後を引き取って、ハナヅナが続けた。月子は満面の笑みを浮かべた。あの日、ペストマスクのヒーローと会った時と同様の笑顔だった。だが、それはすぐに消えた。


「あの、退治って?研究じゃあ、無いんですか?」


 不安げにする月子の頭をそっと撫でると、スズロは分厚い、完全なる「生体認証機能」が付属されたドアを片手で開き、月子を振り返り見た。


「___見れば分かるさ」







 端的に言おう。

 月子は、今までの超常現象に対する常識を改めざるを得なくなった。

 「超常現象」とは人間が理解できない、科学的に証明できない、見たい時に見る事ができない、「できない」の三拍子だと月子は想像していた。だからこそ、調べ、追求し、究めるのだと。

 夜の闇を捕まえられないのと同じで、超常現象は観察できない。


 ___できている。


 「研究所」の更に奥、リノリウムの床と消毒液の臭いが蔓延るこれまた広い「研究室」とやらに月子は案内された。

 スズロは嬉々として、ハナヅナは慣れた様子で、所狭しと薬品棚に並んだ水槽や檻と、2階にまで伸びる得体の知れない植物たちを観察していた。フラスコや試験管が管理されている机を取り囲むように、今通ってきた1本の通路のみを残して隙間なく設置された薬品棚は、「薬品」のスペースの方が少なかった。


 水槽の青黒い水を泳ぐ、背中に大量の卵らしき物体を背負ったアメンボらしき生物。

 お札が目一杯貼られた檻の隙間から覗く、毛むくじゃらの手。手の平には目玉がついていた。

 星型に加工された巨大な水晶を、内側からドンドンと殴打する、明らかに人間とは思えない半透明の少女。


「これって、全部……」

「幽霊、祟り、鬼、陰、妖怪、化物、怪物、忌み嫌われる者。全部私たちの管轄だ。これから君はこれらを捕獲し、生態を研究しなければならない」

「忌み嫌われる……」

「つまり、生物に危害を加える者だ」

「超常現象、ですか」

「そうだね。生きてないし」


 事も無げに呟くスズロに「は、はぁ」と生返事を返して、月子は辺りを見渡した。進化論にも、生物図鑑にも、法則にも当てはまらないもの。理解不能だし、証明不可能だけれど__見れた。

 あの夜と同じように、高校生のあの日とそっくりそのまま、今、月子は怪異を目撃し、存在を脳に刻み込んでいた。

 恐怖より好奇心が心を奪った。


「これ、全部白南風さんとハナヅナさんが捕獲したんですか?」

「大体は僕と博士だよ。あと何人か仲間もいるけど……何故人間に害を加えるのか、捕まえて、調べて、記録して、どうするか決める。あるいは、調べて、捕まえて、記録して___退治する」


 結論から言えば、消し去るんだ。魂の、最期の叫びをね。


「それが私らの仕事だ。どう、できる?」


 とても、拒否できなかった。月子は、拒否しなかった。快諾した。

 感心感心と嬉しそうに口角を吊り上げて、スズロは試験管に密封された透明な液体を振った。


「じゃあ、初仕事と行きますか」


 スズロは、キュポン、と試験管の栓を抜き、液体の香りを嗅いだ。

 余程凝縮された濃厚な芳香なのか、月子の方まで匂いが届いてきた。華やかで、強い甘さの香りだった。


 ____薔薇?


 場所と似つかわしくない種類の匂いを不審がって、月子はスズロに問おうかとも思ったが、「初仕事」の単語に浮かれ、そっと疑問を飲み込んだ。代わりに、別の質問をした。


「いつから始めるんですか?」

「__明日から。またここに来て。受付の林くんにはこの名刺を渡せばすぐ通してもらえるから」


 答えたスズロは、月子の冷静沈着さを褒め称えたが、彼女の心中は決して冷静ではなかった。

 ようやく、ヒーローを見つけ出せるかもしれない。

 月子は、好奇心と知識欲で唾液が垂れる勢いだった。最高の体験だ。経験だ。

 私の人生は、ここから始まる。そう月子は確信した。

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