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研究所のナベリウス  作者: マヨ果物
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01.巡り遇う


 猛勉強した甲斐があって、特に留年もせず月子は大学をトップクラスの成績で卒業した。周囲からは「天才女」と呼ばれたが、自分がそこまで頭が良いとは思えなかった。これも全て、ペストマスクのヒーローの為。

 彼を、骨の髄まで研究するのに必要な技術を、高めただけだった。


 身分証明書と地図を持って道をうろつく女は、絶対に怪しいだろう。月子は地図の端にメモしてある住所と、現在地を交互に確かめた。

 骨董品店と駄菓子屋、営業しているか怪しい居酒屋とボロボロの民家が並ぶ閑散とした通り。「研究所」はここだと、信頼する情報筋から聞いたのだが……どう見ても人数の少ない通りにしか見えない。ここのどこに「研究所」があると言うのだろうか。

 月子は溜息を吐いた。地図の端には何度読み直しても「骨董品店」と記されている。骨董品店を改築して研究施設として利用しているのだろう。きっとそうだろう、と投げやりなポジティブになり、月子はカタカナで「ハヤシコットウ」と看板に書いてある店の扉を開けようとした。


「__姉さん?」


 疑問符のついた呼び声。月子は、訝しげに振り返った。男性のバリトンボイスが突然耳を撫でるのは必ずしも喜ばしい事では無い。鞄に入れた護身用の警棒に指先が触れた。


「はい?」


 視線の先にいたのは、白髪頭の男性だった。40代前半辺りだろうか、ぼさぼさの短髪にフレームの厚い眼鏡、隈ができた強面の髭面だった。三白眼が驚きでもっと見開かれていた。

 それでもホームレスと考え付かなかった理由としては、彼が着ている中世の貴族さながらのアスコットタイと高そうな服が挙げられるだろう。

 何より、彼の目は「赤」かった。血の色が透けて、真っ赤な瞳だった。


「あっ……と、すみません。僕の勘違いでした……」

「いえ、別に……私、そんなにその人に似てました?」


 首を傾げると、男はより一層眉間の皺を濃くして呟いた。口もとは少し笑んでいるようだった。


「ええ、そっくりでした」


 それだけ言い残すと足早に去って行く男の背中を見送り、月子はひと呼吸置いて「ハヤシコットウ」の扉を今度こそ開いた。

 中は蜘蛛の巣まみれで、古びた紙と鼠の臭いがした。床から天井まで、壁に螺旋状に設置された本棚を眺めていると、骨董品店というより図書館に思えてくる。ガラスケースに無造作に展示されたいわくありげな首飾りや、海賊のサーベルと解説札がついた錆びた刀、果ては拷問器具のようなゴテゴテしたゴーグルまで。品揃えは良いけれど、手入れはしていないらしい。この様子じゃ、合法かどうかも疑わしくなってくる。


「いらっしゃいませぇ、ハヤシコットーへようこそぉ」


 間延びした声は、カウンターの方から聞えてきた。木の机を挟んで、茶髪の好青年がこちらに手招きしていた。店員だろうか。月子はそちらへ歩いた。


「どうも、大伴月子と申します」

「あーい。オレは林サン。パヤシーって呼んでくれて構わんし、にゃんとでもどーぞ。で、ご注文は如何でしょか?」

「今日は買い物ではなくて……研究所についてお尋ねしたいんですけれども」


 林の猫目がすうっと細まる。への字の唇が「へえ」と歪み、長毛種の猫を感じさせる茶色の癖っ毛を彼はポリポリと掻いた。


「研究所ね。物好きさんだねえお嬢さんは。あいあい、にゃんでも答えますわ」

「あーと、実はですね、ここがその研究所だと聞いて」

「んー?」


 首をくたりと曲げ、机に両手をつくと、林は自分より幾分か背が低い月子の顔を下から覗き込んだ。線が細いとはいえ男性の端整な顔が近づいてきて、月子は気圧されそうになった。実際、ちょっと腰が引けた。


「何でまた研究所に」

「以前私はあるペストマスクの方にお会いしまして。男性か女性か、若いか加齢か、日本人か外国人かは分からないんですけれど、まあ何と言いましょうか、恋をしてしまったんです」

「自分の頭おかしいって考えたことある?」

「ええ何度もあります。でもその度に「君は天才だね」って周りの人から言われるので__そうですね、嫌味に聞えるかもしれませんが、私はきっと正常です」

「それ、オレに話すのに躊躇いは無かったの?」

「研究所に行く為なら何でもします。私、高校生の晩にペストマスクのヒーローにお会いしてからずっと超常現象の研究を完璧なモノにする為色んな資格を取ってきました。でもここまで必要だと感じたのは初めてです。私、あの人の正体を探る為にここに所属したいんです」

「研究所でにゃにするかは分かってるの?」

「ええ。信頼できる情報屋さんから聞きましたし、自分でも出来る限り調べました。場所以外は、ですけれど。簡単に言えば、「超常現象を調査する」研究所ですよね__プラズマとか、科学で証明するのではなく、実際に、存在を信じる研究所」

「……君、にゃんでそんなに執着してるわけ?」

「あは。好きだからですかねえ」


 あはは、と乾いた笑いを見せる月子を冷たい目で睨みつけ、林は諦めたのか脱力した。林のブラウンの髪が困ったように揺れ、くたびれたエプロンのポケットから小さなメモ用紙を取り出し、万年筆でそこに何かを書きつけた。


「え?」


 何の前触れもなく差し出された用紙を受け取り、月子は脳に疑問を並び立てた。メモ用紙には「新人」とだけ書かれていた。


「研究所受付の林ですー。改めてどーも。研究所はカウンターの奥の扉を進んだ所です」

「は、はぁ?」


 呆気に取られている月子の背中を容赦なく押し、扉の前に立たせると、林は彼女に先程のメモ用紙を強く握らせた。


「絶対離しちゃ駄目だよ。オレだって困るんだから。はい、さいなら」

「えっ、えっ、えーー!?」


 扉の向こうに足を踏み入れた途端、鼓膜の安否を危惧してしまうくらいの耳鳴りが脳内で鳴り響き、月子はよろめいた。頭がガンガンと痛む。酷く喉が渇く。瞼の裏が熱い。唇の水分が全て飛んでしまいそうだ。自分の体を抱いて、月子は倒れこんだ。

 倒れこんだ体を、誰かに受け止められた。腹部に腕の感触がある。眩暈も大分治まったようだ。月子は静かに目を開けた。


 木目の美しい床が、鼻の数センチ先にあった。骨董品店とは全然毛色の違う、西洋屋敷の如く壮麗な内装の部屋の入り口に、月子は倒れかけていた。高級品であろう陶器やら絵画やら絨毯やらがあった。客室だろうか。ソファが3つ程並べられていた。または待合室か。耳にクラシック音楽が流れてきた。


「大丈夫?」


 頭上から心底心配そうに言われ、月子は慌てて、寄りかかっていた腕から離れた。少年っぽい声色と裏腹に、怖ろしく顔の整った人がそこに立っていた。

 すらりとした背の高い中性的な彼女に、月子は見ほれた。雪のように白い肌と、妙に赤い薄い唇がやけに印象に残る、凛とした顔の女性だ。真っ白な八重歯も含め、歯並びは完璧だった。肩まで伸ばした不思議な青っぽい紫色の髪の毛を輪郭にそってぺったりと撫でつけた彼女は、どことなく無機質な表情をしていた。


「大丈夫です……」


 詰襟の黒い服を身に纏った女性は、「新人」と書かれたメモ用紙を月子から受け取り、白衣のポケットに突っ込むと、月子に微笑んだ。完璧な美貌だ。


「初めまして。君が新人さんだね。林くんから聞いてるよ」


 もう1度声を聞くと、はて。少年というよりは青年らしい。詰襟からちらりと見える喉を窺えば、そこには喉仏があった。月子は、へ、と素っ頓狂な声をあげた。


「僕、博士の助手のハナヅナっていいます。よろしくね」

「あぁ、はい……」

「一応言っておくけど、オトコだよ。よく間違われるんだ」

「な、なるほど」

「君には一応、それなりの待遇をさせてもらうつもりだよ。何たって、自力でここを探し出した子なんて初めてだからねえ。できることなら事前にアポ取って欲しかったのだけれど……君、随分冷静だね」

「まあ、何と言うか。好奇心の方が勝ってますかね、恐怖心より……今のところ……」


 正直、恐怖はある。ハナヅナが女性ではなく男性であることへの恐怖だが。自分の頬をぺたぺたと触って、ハナヅナの顔面偏差値と鏡の中の自分を比較する。天と地の差だ、怖ろしい。まるで神話のアフロディーテだ。いや、完全に彼は日本人顔をしているけれど。神様っぽい。これで服装が狩衣だったら本当に巫女だ。大きいお友達が歓喜に発狂するだろう。

 ああ、そんな些細な事(乙女にとって些細ではないが)はどうでもいい、月子は苦悩を打ち消してハナヅナの後についた。

 勿論、緊張していない筈が無い。どんなに不可思議であったとしても、1人で得体の知れない場所に乗り込んでいるという現実は変わり無いのだから。信頼している情報屋から特典で貰った警棒は、まだ鞄の中に眠っているし、小型催涙スプレーは内ポケットに収納している。準備は万端だ。きっと大丈夫。


「……っと。ここが博士の書斎だよ」


 部屋を出て廊下を歩いてすぐの、重そうな南京錠がかかったドアを、ハナヅナがコンコンと一定の間隔でノックすると、向こうからガチャ、と鍵が外される音がした。


「博士は用心深くてね。なかでも自分の書斎は最高のセキュリティなんだ。ここの南京錠、実はダミーで、下手に細工すると警報が鳴って大量の悪臭を放つインクが噴出してくるから注意して。ノックすると普通に彼出てくるから。このドア自体巨大な指紋認証の機械みたいなモンでね、このドアに触れると博士のパソコンのデータベースに直接触った人間の指紋やらが行くの。どういう風に開発したかはいまだに分からないんだけど、確かだよ」


 はるかに文明の先を行っている。これも超常現象を研究しているからなのか。


「あの、さっきから博士って仰ってますけれど……何の博士なんでしょうか?」

「直接聞けば早いと思うけれど……僕、彼の助手を10年以上してるんだけど、何も教えてくれなくて」


 困っちゃうよ、と苦笑して、ハナヅナは月子の肩にポン、と細い手を置いた。


「まあ、後は本人に聞いたら?」

「はい……」


 月子がドアを押し開くと同時に、ハナヅナは早々とどこかへ行ってしまった。月子は、そんな事にも気付かない位に、愕然とした。


 アーチ状の天井まで高くそびえる本棚と、壁に貼られた大量の写真。

 バロック調の調度品と、積まれた未開封の靴箱の山。万年筆立ては、ずらりと机に並んでいた。

 尋常じゃない位、広く、豪華で、細部まで美しい。

 様々な色彩に包まれた書斎のデスクに、1人の男性が座っていた。


 色素が欠乏した、白い髪。

 隈のできた、強面の髭面。

 柳のようにしな垂れながらも、がっしりとした体格。

 そうだ、およそホームレスとは思えない、中世の貴族らしき格好。

 血が透けた、赤い、赤い瞳。



「「__あ」」



 ほぼズレは無く、2人の心はシンクロした。



主人公は女子とオサーンです。

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