旧校舎の怪
「ねぇ。やっぱり止めておいた方がよかったかな? 黒猫塚君」
「あのねえ。可憐ちゃんがどうしてもって言うから付き添ってるんだよ? それに――苗字じゃなくて、名前で呼んでくれってあれほど……」
「ご、ごめん白猫君。じゃあね、わたしの事も苗字じゃなくて、咲って呼んでね?」
「……わかったよ」
ぼくと咲ちゃんは今、神山高校2年生。
ここは、神山高校裏手にある旧校舎だ。
何故ぼくたち2人がこの旧校舎にいるか――それは、ある噂を、好奇心の塊である咲ちゃんが聞いてしまったからだ。
咲ちゃんが聞いた噂はこうだ。
最近、旧校舎前に行くと、玄関前でナニかが手招きをしている。
これを聞いてわかると思うが、玄関前で手招きをしているナニかを見るだけなら旧校舎内に入る必要性はない。
しかし、放課後旧校舎前に着いたときそのナニかはいなかった。
まあ、ただの噂なのだからやっぱりいなかったで帰ればよかったのだけれど、好奇心の権化である咲ちゃんは納得するはずもなく――
結局旧校舎の中。しかも、2階に来ている。
外観もそうだが校舎内は木製で、外装よりもっと傷んでいる。
床も所々に穴が開いており、歩くたびに軋む音が聞こえる。
吹き抜ける風の音が気味の悪い音を立て、更に恐怖心を煽る。
ふと、ガラス戸から見える外に目が向く。
もう、日が暮れそうな空と太陽に、より赤みが増した――そんな時刻。
ぼくは、夕方が嫌いだ。
体が重くなる。こういう時間帯をなんて言うんだっけ?
そう、確か――逢魔ヶ刻。
◆ ◆
「うぅ」
怖い。
確かにわたしから言い出したこだけど、このなんとも言えない不気味さは、わたしの恐怖心を極限まで高めた。
ギシギシと床が鳴る。
わたしは、唯一心の支えである白猫君の、学制服の裾をしっかり握りしめる。
夕刻、沈みかけている真っ赤な陽の光が白猫君の黒い学生服とさらりとした漆黒の髪の毛を照らす。
わたしはどちらかというとしっとりとした髪質なので、白猫くんのさらりとした黒い髪はうらやましく思う。
わたしが白猫君に旧校舎へ一緒について来てもらったのは、他のみんなの都合が合わなかったというのもあるのだけど
頼りになりそうな、ならなさそうな……うーん。
まあ、不思議な感じに惹かれてといったところかな。
黒猫塚白猫君――不吉のようなそうでないようなよくわからない名前。
黒猫が目の前を通りすぎたと思うと次の瞬間、白猫が横切る。まるでプラマイ0のような――
わたしが、少しでも気を紛らわせるため白猫君の事を考えていると、急に白猫君は足を止める。
「どうしたの?」
「いや、なんかこの建物
揺れてないか?」
え? 特にそんなのは感じてなかったけど……。
――揺れてる。確かにほんの少しだけ揺れてる感覚がある。
言われなければ気づかなかった。
「ど、どうしよう。地震かな?」
私は、不安に駆られ白猫君に訊く。
白猫君は、廊下の先。わたし達が2階へと上がってきた階段がある方向を向き、神妙な顔つきをしていた。
その方向には――
「ひっ! な、何? あれは……ナニ?」
わたし達から、約30m先。
触れるだけで切り裂かれそうな長く鋭い爪。
一瞬にして首を喰い千切られそうな禍々しい牙。
廊下の幅を埋め尽くす程の巨大な体躯。
化け物がそこにいた。
その化け物はじりじりと――じわりじわりとこちらに這い寄る。
「ね、ねえ! どうしよう! 早く逃げなきゃ!!!」
怖い怖い怖い……。
わたしは、とにかくこの場から逃げるべきだと思い、白猫君の手をひっぱる。
けれど、白猫君は微動だにしない。
「ね、ねえ! どうしたの?」
わたしは引っ張るのをやめ、白猫君に訊く。
どうしたのだろう。
早くしないと化け物が、すぐ近くまで来てるのに!!
すると、今度は白猫君の手に力が入った。
そしてわたしは、触れただけで全身を切り裂かれそうな爪と、一瞬にして首を喰い千切られそうな牙を持ち、廊下の幅を埋め尽くす程の体躯の、化け物に向けて――放り投げられた。
「え?」
わたしは、白猫君の方を見る。
白猫君はわたしに向けて、今までで一番素敵な笑みを浮かべていた――
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
◆ ◆
「嬢ちゃん――お嬢ちゃん」
「大丈夫かい? さっき地震があってねえ――他は大丈夫だったんだが、神山高校の旧校舎が『半壊』したという情報をきいて来たんだよ」
「白猫? ああ、あの少年かい? 残念ながら――『全身が潰れて』いてねどうしようもなかった」
「お嬢ちゃんだけでも助かってよかったよ」
◆ ◆
「うぅ」
咲ちゃんは、ぼくの腕を掴みながら、このおどろおどろしい状況に恐怖している。
セーラー服の上からでも咲ちゃんの体温が伝わる。
何もいじっていない、漆黒の艶めかしい長い髪からはいい香りが――いかんいかん。
可憐咲は名前の通り可憐な少女だ。もちろん男子からも人気もある。
しかし、何というか、彼女の誘いには誰も賛同しない。
それは、彼女が遊びに誘った子は必ず怪我をするからだ。
行く先々で何かしらのトラブルがある。
だからこそ、この旧校舎探索も誰も賛同しなかった。
その時、白羽の矢が立ったのがぼくというわけだ。
まあ、ぼくも誘いを拒否すればいい話なのだけど――ぼくは思う。
もし、起こりうるトラブルが――1人では、無理でも2人なら解決できるものならば?
だとするならば、ぼくは咲ちゃんを放っておけなかった。
そういった理由でぼくはここにいる。
ぼくが少し咲ちゃんについて考えていると、ある異変に気付く。
少し床が揺れてないか!?
「どうしたの?」
ぼくが足を止めたのが気になったのか、咲ちゃんはぼくに訊く。
「いや、なんかこの建物揺れてないか?」
「ど、どうしよう地震かな?」
地震だとするなら非常にまずい。
古い建物だ。すぐに崩れてしまう。
ぼくは、ここから外に出るべきだと思い、ぼく達が来た階段の方へと目を向ける。
そこには――まるでヘドロのような、触れるだけで皮膚と骨を溶かしてしまいそうなドロドロのナニかだった。
廊下の幅を塞ぐ程の巨体。
これでは階段まで辿りつけない。
咲ちゃんはぼくの手を握り、化け物とは反対側へ引っ張る。
ぼくは化け物から目を離せないでいた――が。
急に咲ちゃん手から力が抜けた。そして、重さが感じられなくなった。
不思議に思いぼくは、化け物から咲ちゃんへと視線を移す。
そこには――胸から上がごっそり無くなった咲ちゃんであろうモノがあった。
「あ……あぁ」
咲ちゃんの手が、ずるりとぼくの手からすべり落ち――ゴトリと床に転がる。
なんだこの状況は?
目の前の光景は異常だった。
上半身が無くなり、仰向けに倒れている咲ちゃん。
転がる手。
広がる血だまり――
「うわあああああああああああああああああああああああ――」
◆ ◆
「少年――少年」
「大丈夫かい? さっき地震があってねえ。他は大丈夫だったんだが、神山高校の旧校舎が『半壊』したという情報を聞いて来たんだよ」
「咲? ああ、あのお嬢ちゃんかい?残念ながら――『上半身が潰れて』いてね。どうしようもなかった」
「少年だけでも、助かってよかったよ――」
◆ ◆
わたしは、唯一心の支えである白猫君の、学制服の裾をしっかり握りしめる。
夕刻、沈みかけている真っ赤な陽の光が白猫君の黒い学生服を照らし、さらりとした『純白の髪の毛』を染める。
わたしはどちらかというとしっとりとした髪質なので、白猫くんのさらりとした『白い髪』はうらやましく思う。
あ、あれ? わたしは確か……。
「この建物揺れてないか?」
「じ、地震かなあ?」
これ――このやり取りどこかで……。
白猫君は神妙な顔つきで、私たちが2階にやってきた階段の方向へ向いている。
その先には、触れただけで全身を切り裂かれそうな長く鋭い爪と――あ……あぁ……。
フラッシュバック。
わたしの脳裏に浮かびあがったのは――ある記憶。
わたしを手を握り、あの化け物に向かって放り投げる白猫君の姿――
「い、嫌ああああ!!!」
わたしは白猫君の手を振りほどく。
「こ、来ないで!!!」
白猫君は、わたしの突然の拒絶に唖然としている。
「咲ちゃん? どうしたの? この化け物は――」
何? この化け物は生贄をささげるといなくなるっていいたいの? その生贄がわたし?
ふざけないで!!!
わたしは、化け物とは反対へと駆け出す。
床が悲鳴を上げようが関係ない。
まずは、化け物と白猫君から逃げないと!
わたしが駆け出した数メートル先。
周りの古びた木製の壁や床とは違う、あるはずの無い――コンクリートの壁が廊下を塞いでいた。
「なんで、なんでこんなのがあるのよ!! さっきまで無かったじゃない!!!」
わたしは壁を背に、化け物の方へと向いた。
化け物は、じりじりと――じわりじわりと距離を詰めてくる。
そして白猫君は、凄い剣幕でこちらへ走ってくる。
「咲!!! ソイツから離れろ!!!」
呼び捨てで呼ばれたことにも驚いたけど、それよりも――ソイツってナニ?
白猫君がわたしの目の前まで、後大股1歩で衝突するくらいまで差し掛かった瞬間。
わたしの足に衝撃と痛みが走った。体のバランスが崩れ、仰向けの状態で背中を床に打ちつける。
何が起こったのか一瞬理解出来なかったけど、白猫君の体勢からしてわたしは白猫君にダイナミックな足払いを決められていた。
い、一体何がしたい……。
仰向けになったわたし。
必然天井が視界に入るはずだったけど、そこには天井がなかった。正確には、天井が見えなかった。
そこには、木製の建物とは不釣り合いな、コンクリートの壁から生えた――首どころか、体半分以上喰い千切っていきそうな、醜悪な口があった。
もし、わたしがあのまま立っていたら――
「あ……」
「咲ちゃん立って。早く!」
白猫君はわたしの手を引き、コンクリートの壁から遠ざける。
「ごめん。走るよ。いそいで」
「う、うん」
足は少し痛むけど、走れない程じゃない。
けど、壁の化け物とは反対の階段がある方向にも、化け物はいる。
「咲ちゃん。追い込み漁って知ってるか?」
「え?」
追い込み漁。漁師が魚を捕まえるための方法の一つ。
石を投げたり、音を鳴らす事で魚を網があるところまでおびき寄せ一気に捕まえる。
「つまり、階段の方にいる化け物は――まやかしだ!」
まやかし――幻想、幻。
わたし達を喰らうための――罠。
わたしは走りながらも、ちらりと後方を見る。
壁の化け物。牙剥き出しの大きな口と、所々に開いた目は――とても悔しそうに見えた。
白猫君とわたしは、階段の方向の化け物に向かい走り抜ける。
「まぁあああにぃいいあぁあああえぇええええええええええええええええええええええ!!!」
◆ ◆
「君達――君達」
「大丈夫かい? さっき地震があってねえ――他は大丈夫だったんだが、神山高校の旧校舎が『半壊』したという情報をきいて来たんだよ」
「2人共、無事でよかったよ」