-029- 復讐と後悔と絶望と!
完全にこちらの死角に入っています――
携帯端末をぶち壊す前、翔兵は憂沙戯からたしかにそう聞いた。
そのときは『ああ、だから近づいてきた男にレーザー砲を打てなかったのか』くらいにしか思わなかったし、それ以上深く考えることもなかった。
しかし、逆説的に考えればそれは、憂沙戯ら狙撃班が翔兵らから見えない位置にいることを差し、必然、石川県チーム“魔術師"である五木六華がすでに憂沙戯らに攻撃を仕掛けていただなんて、翔兵が知る由もないことだった。
いつのまにか車外に出ていた少女は、あらぬ方向から走ってきていて――その掲げたデバイスが憂沙戯を攻撃しているものだと翔兵が気付く間もなく、少女はレーザー砲を受け、視界から消えた。
「――はっ?」
言葉を失う。
いま目の前でなにが起こったのか理解出来ない。それは頭の中にモヤがかかったように、思考することを阻害する。漠然と思える現実に脳がついてこれない。
呆気にとられる翔兵のとなりで、八太郎が唸った。
「……おい、嘘だろ? なんで、なんで撃たれてんだよ……おいッ! 話がちげーじゃねえか! どうなってんだよコレええええぇぇッ!!?」
感情を撒き散らしながら、八太郎は翔兵に詰め寄る。
強く掴まれた肩が痛みを発し、ガクガクと揺さぶられ、その顔に鬼気迫るものを感じた。しかし、未だ現状を把握できていない翔兵は、心ここにあらずとばかりにされるがままだ。
ようやく仕事を始めた頭がまず思ったのは、雫のことだった。
雫が人を撃ったこと、命を奪ったこと。にわかには信じられない。信じたくない。だが、今更見間違えようもない。今のは間違いなく雫の持つデバイス、“不吉な贈り物”のそれだった。
なんで。
どうして。
雫、お前まで。
「おいッ! 訊いてんのか翔兵ッ! どうなってんだって訊いてんだろがッ!!」
「……いや、待ってくれ八太郎さん。お、俺にもなにが起こってるのか――」
「――ふざっけんなッ!!」
突き飛ばされ、地面に倒れる。
呆けてなんている場合じゃない。まずい、この展開は非常にまずい。
少女が撃たれたことで憂沙戯の嘘――つまり、打ち消すデバイスの所持者という保険が、その意味を無くした。逆に言ってしまえば、翔兵を殺す理由、大義名分を八太郎に与えてしまっていた。少女が撃たれてしまった以上、八太郎が翔兵に手を掛けない理由はどこにもない。
ふと、地面に転がっているバットが視界の端に入った。
藁にもすがる思いで、それに飛びつく。
「……なんだよそれ……やろうってのか? やっぱてめーもグルだったんじゃねーかッ! ああッ!?」
しまった、と思った。
咄嗟の防衛本能が火に油を注ぐ形になってしまった。
駄目だ、頭が、回らない。
「い、いや、違う。待ってくれ八太郎さん! 落ち着いてくれ、俺の話を……」
「うるせえよ」
一蹴。
「……俺が、守るって言ったのに……ッ! 言ったのにッ!! ……おめえらが……殺しやがった……なんで……なんで、毒沢じゃなくて六華を……ッ!」
「ち、違うんだ! 訊いてくれ、これはなんかの間違いだ、俺は、騙そうなんて思ってない! 騙すつもりなんて全くないッ!! 俺は、俺はッ!」
「黙れやッ! もう喋んなッ! デバイス、“大鎌切り”ッ!」
放った言葉と同時に、八太郎の腕の“騎士”デバイスが紅く発光。その背から銀色の流線を描く物体が二本、得も言えない異音と共に飛び出した。
溶けた金属を引き伸ばしたようなその形状は、さながらサソリの尾のようで――鉤爪を思わせる刃先は赤白く、不気味にうねるような光を放っている。
有体に言って、鎌のそれだった。
いや……、待て。
しかし待て。
冗談じゃない。
でかい。でか過ぎる。
二車線の道路の幅を突き抜け、未だ余りあるほどに巨大なレンジ。特定の型に填まることない、触手のような形状。その先にある刃は人の腕ほどの刃渡りがあり、異様に薄く、この世のモノとは到底思えない圧倒的な異物感を醸し出していた。
その二つの刃は揺れながら、翔兵を睨み付ける。血管に液体窒素を流し込まれたように、身体が凍りつき、戦慄する。オオカマキリ、なるほど、言い得て妙ではある。
翔兵は八太郎を信じた。
しかしいま、その信じた人間は凶器を持ち、狂気の形相で彼に襲いかかろうとしている。
「……やっ……やめろ、やめてくれ……っ! 八太郎さん、頼むから俺の話を――」
斬。
「ひっ!」
降り下ろされた鎌は翔兵の持っていたバットを意図も簡単に真っ二つにし、続く刃が鼻先を掠め、包丁を差し込んだ豆腐よろしく道路を抉り切った。
アスファルトが馬鹿みたいに割れ、砕けた破片が宙を舞った。
「避けんなやごらぁッ!!」
無茶苦茶だ。
一呼吸つく間もなく、続く第二撃。
地面を叩きつけ、見上げるほど高く跳ね上がった鎌。細く伸びたそれは鞭を打つように急降下。反射的に地を蹴りバックステップで回避行動をとる――が、そこで信じられないことに、刃は地面を叩くことなく、空中で“直角に曲がった”。
刹那。
なにそれ、と思う。
それは切っ先を突き立て、当然、翔兵に襲いかかる。意表を突かれ、疾風の如く繰り出された凶刃を避けられるはずもない。拒もうと押し出した翔兵の右手――その親指と人差し指の間から入った刃は、線を引くように肩まで一気に駆け抜けた。
腕が、
縦に割れた。
「――――いっ――――――――」
遅れて、血が噴き出る。
「――――――だっ――ああぁあああああああああぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
絶叫。
翔兵の右腕は内側とデバイスだけを残し、刃の通過した部分は消滅――残った外側は濁音を立てて地面へと落ち、断面からおびただしい量の血が飛び散った。
悶え、のた打ち回る。
そこにあるはずだった感覚が消失し、絶命しそうなほど激しい痛みが翔兵を襲う。腕からは抜き身になった骨の断面が突き出――残す筋肉はだらりと垂れ伸び、動かす関節すら抉り切られたそれは、皮一枚を残して辛うじて胴体と繋がっている形になっていた。
ここでショック死でもすれば楽であったろうが、
運悪く、翔兵は意識を繋ぎ止めた。
どうせなら頭からパックリと両断されていれば、すぐに楽になれたものを。
不運にも、
少年はここで死に損ねた。
「――んなに寝てんだ立てやオラぁッ!! 六華の痛みはンなもんじゃねえぇだろうがあああぁぁぁッ!!」
翔兵は短く浅い息を繰り返し、顔は極度の恐怖と恐慌に歪む。痛覚に蹂躙された脳みそが絶対的なそれを予見した。
死。
死ぬ。
殺される――と。
「オイ訊いてんのかああぁああ゛ッ!?」
八太郎は怒声を放つとともに腕を横に振る――それに合わせるように二つある触手の内一つが発光を止め、伸びた鈍器ような形状となったそれが翔兵をなぎ払う。
大打撃。
腹部に凄まじい衝撃を受け、翔兵は商店街の外壁へと放物線を描くことなくぶっ飛ばされた。
「――がっ――はっ…………ッ!」
激しく打ちつけた身体。皮膚が裂け、筋肉はちぎれ、内臓は破裂。溢れだした血が服を一気に赤へと染め上げる。どうしようもない嘔吐感、砕けた肋骨が肉を突き破り、折れたのであろう背骨が、崩れ落ちた翔兵を不自然な姿勢にさせた。
血、あぶく、吐く、零れる、垂れる、流れ出る。
まるで糸の切れた操り人形のように力なくうなだれる――だが、悲しいかな少年にはもはや安息など訪れない。訪れるとすればそれは死、という絶対永久の安息のみだ。
無慈悲にも容赦なく、巨大な鉄鎚となった“大鎌切り”は翔兵の左膝を砕き、へし折る。同時に振り下ろされたもう一方の鎌が右足を切りつけた。
胴体から四肢が一つ取れた。
「っッ――――――――――――――ッ!!!」
声にならなかった音が喉から漏れ出、肺の空気が容赦なく外に出たがった。
口から鼻から血反吐をぶちまけ、息を吸おうにも痙攣した横隔膜がそれを許さない。死神の鎌は翔兵から呼吸することすら奪う。
溺れる。
地上での溺死――なかなかシュールではあるが、これからを思えば甘んじて――いや、むしろ望んで受け入れられるべき死に様だろう。
悲鳴ともとれる八太郎の叫び声。
もはやゴボゴボと、音と化した翔兵の悲鳴。
二本のデバイスが針のように細く鋭く変形し、そして――
――ズブッ、と。
刺す。
刺す。
刺す。
何度も。
刺す。
刺す。
刺す。
悶絶。
もがく。
それでも。
刺す。
刺す。
刺す。
重苦が。
地獄が。
延々と――
――そして、“いま"。
翔兵は項垂れていた。
地面を伝い、液体が彼を濡らしていた。
目の前にはズタズタになった見たことないものが横たわり、そこからはいまも液体は溢れ出てきている。霞む視界、思考の中で――ホテルの屋上の貯水タンクの中でも、こんなことがあったなあ、と思う。
あのときはどうだっただろうか?
すごく熱かったような気がするし。
すごく怖かった覚えもある。
……しかし、いまは恐怖はそう感じない。
ただ……寒い。
凍えるほど、身体が急に冷たくなっていくのがわかった。
寒い。
本当に、寒い。
「……お前が……“お前が悪い”んだからな……」
翔兵を前に、八太郎はつぶやく。
掠れた声が聞こえた気がした。
「お前のせいで……六華は…………俺は、俺はどうしたらいいんだよ、ちくしょう……」
「…………」
無言。
翔兵は言葉を返さない。
否。
返せるような状態にいない。
「……殺してやる、お前らみんな……殺してやる……くそ……クソッ……」
「……………………」
ふと、
みんなって……だれだっけ……と、思う。
……あぁ、そうか……。
……憂沙戯……雫……薫のおっちゃん……。
ゆゆ……。
……を……殺す……?
……みんなを……殺す……?
……嫌だ。
嫌だ。
そんなの、絶対に――
「……い゛………………あ………………ぁ…………」
「……あ?」
震える力もなくなった唇。
漏れた言葉。
恐るべきことに、こんな状態になってもまだ少年は意識を取り止めていた。それは生命力か精神力か――はたまた致命的なバグか――
「……い゛……………ぁ……………ぁ…………」
嫌だ、と。
「…………うるせえよ……」
繰り返し、何度も何度も。
翔兵は洩らし続けた。
「うるせえつってんだろクソがああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
ズッ――
主人公補正という言葉がある。
それはそのキャラクターが主人公であることによって受けられる、さまざまな恩恵のことであり、主人公の仲間にもその恩恵が及ぶことも多い。
例えば――絶対絶命の状況で、都合良く秘めたる力に目覚めたり。
例えば――絶対に死ぬだろうという状況で、都合良く仲間の助けが入ったり、と。
しかし。
残念なことに、現実においてそんなことはない。
危機だからといって、そんな都合良く仲間が助けに来たりなどしないし、秘めたる力に目覚めることもない。
それになにより――助けが来たとしても、もう、遅い。どうしようもなく遅い。
人間なんてものは炎に焼かれれば焦げるし。
切られれば血が出る。
それが当然で、それが当たり前で、それが自然の摂理なのだから。
「……………………」
翔兵の視界には、下半身があった。
それが自分のモノだと頭が理解するには、時間が足りなさ過ぎた。
だらりと横たわるその断面からは、ぐちゃぐちゃになった赤黒いモノがごっそりと落ちて、無造作に地面に散らばっていた。
翔兵を濡らしていた大量の血液――その血溜まりの中で彼が最後に見た光景は、そんな現実離れした、よくわからないものだった。
翔兵の身体は八太郎のデバイス“大鎌切り”により抉り切られ、執拗に刺し続けられた下半身は、その原型がわからなくなるほど穴ぼこになっていた。
上半身を支え切れなくなるまで刻まれた腹部からは腸が零れ――最後の一振りで肩から腰へ、半身を斜めに切り落とされた翔兵は、自らの臓腑に顔を突っ込むようにして崩れ落ちた。
この凄惨な惨状を前にして、少年がまだ助かるだなんて誰が言えようか。
だから――当然のように。
それが――当たり前のように。
後悔だけを残し、翔兵は普通に死んだ。
あ、言い忘れていましたけれど、今話残酷描写注意です!




