-001- 全バト当選!
天使の輪。
この単語だけを見ると、大多数の者が死人のシンボルか、または光輝く天使、その頭上に浮かぶそれを思い浮かべるだろう。
だが実際には天使の頭上には輪っかなど浮かんでなどなく。天使の持つ霊的なオーラがそう見えさせているだけ――と、いうのは意外と知られていない事実ではある。
しかし、いまあげた天使の輪とはそんなメルヘンチックなものでは決してない。
むしろメルヘンの対極にあるといってもいいほどだ。
true.tree.earth
真実の樹。
真実の大地。
人類が作りだした超巨大人工衛星。
汚染された地球を周回する、地球を捨てた人類の新たなる大地。
地上から見上げる円状のそれは、さながら死んだ地球に浮かぶシンボルのようであり、そこからついた名が“天使の輪”。
そして、またの呼び名を――
「トトゥーリア!」
夕食の時間。
それはどの家庭でも平穏で和やかな雰囲気の中、食を楽しむものであり、間違ってもいきなり立ち上がって叫び出して良いようなものではない。と、戸津甲翔兵は考える。
テレビから出たその言葉に反応し、食卓を挟んで正面。少女は大声で叫んだ。
わざわざ立ち上がり、だらしなくはみ出た制服のシャツをなびかせながら、だ。
「……ゆゆ、うっせぇんですけど……飯食ってるときくらい静かにできねーのかよ」
翔兵はうめいた。
妹、戸津甲ゆゆの天真爛漫さには翔兵としても呆れていたわけだけれど、こう毎日毎日騒がしいと流石にうんざりする。
無邪気にも加減はある。
他人ならばそれは許せたり愛らしくも思えたりもするだろうが――しかし身内で、しかも二人暮らしの妹ならば、翔兵がうっとおしく感じるのも無理はない。
そんな兄の思いを知ってか知らずか、ゆゆはテレビを指さし、
「おにーちゃん! トトゥーリア!」
と、同じように叫ぶのだった。
テレビにはぶっちょう面の頭部がハゲ散らかったスーツ姿の中年男性。そのとなりには奇抜な格好をした若い女性が映っている。
「あーそうだね。いいね、行きたいねートトゥーリア。まあ、敗戦国の帝国民……っていうか低国民の俺らが行けるはずないけどねー」
「だーかーらー! 次の全バトに勝ったらいけるんだよ!」
「へえ、そうなんだ。すごいね」
「……えっ、お兄ちゃん。いまの聞いてなかったの?」
「……聞いてたけど?」
「高校生でその理解力って、だいじょうぶ?」
ゆゆは顔をかしげ、そう言った。
「うるさい、いいから黙って食いやがれください。片付けられねーだろうが」
皮肉でもなんでもなく、ゆゆは本気で兄のおつむを心配していまのような台詞を吐くのだから困ったものだった。
辛辣な言葉を浴びせられようともめげないし、気にもしない。そもそも、落ち込んだ妹というものを翔兵は生まれてこのかた見たことがない。
狭いアパート。
台所、トイレ、バスと一応は整っているので二人暮らしをする分には十分かもしれない。
戸津甲翔兵、ゆゆ。
兄妹は二人暮らしだった。
親はいない。父親も母親も。
両親は栄えある全バト第48回目の選手として選ばれ、二人そろって家を出たっきり、それっきり帰ってはこなかった。
来たものといえば政府からの通知。
その内容は、両親が不慮の事故で死んだ――という笑い話にもならない、いい加減なものだった。
謝罪の一文も、なかった。
後日、翔兵はテレビで両親を見ることになる。
翔兵はゆゆにそれを見せなかった。大体の予想がついていたからだ。
案の定。
両親は死んだ。
テレビの中、翔兵の父親は相手選手の攻撃を食らい、爆死した。面白可笑しくするようにテロップ付きで――跡形もなく、粉微塵に吹き飛んだ。
母親は月まで吹っ飛んだ。
これは比喩でもなんでもなく、文字通り本当に月まで吹っ飛んだ。どうしようもないくらいトチ狂った映像だった。
大気圏外に飛び出した母親は地球には帰ってこなかった。
多分、死んだ。
歴史の教科書にある、第二次世界大戦。通称、太平洋戦争。
それに“勝利した”大日本帝国はその後も力を強め、諸国に対し圧力を掛け続けてきたわけだが――来る2052年。
第三次世界非核大戦、勃発。
“大日本帝国”対“強国連合”である。
大日本帝国からしてみれば、世界のほぼ全ての国が敵だったのだから、勝てるはずもない戦争ではあった。
しかし、大日本帝国は善戦した。
国が一丸となって果敢にも立ち向かった。
だが、たったひとつの爆弾であっさりと降伏することになる。
戦争の名にも使われている非核の文字。たしかに、核兵器が使用されることはなかった――だが、その代わりに、ある爆弾が使用された。
“分子分解爆弾”、である。
原子力爆弾が悪魔であるとすれば、その爆弾は死神だ。
物質の結合を強制的に解除する、放射能を撒き散らさないすこぶるクリーンな死神。強国が所持する超高度AIが作りだした前人未到、人類未到達の大量破壊兵器だ。
それが落とされたのは東京都で。
その周囲の神奈川、埼玉、そして千葉の半分を巻き込み、消滅した。
分解された大量の質量は分子として空気中に拡散し、それは想像を絶する衝撃波となり日本列島を襲った。
隔てるものがない関東平野はほぼ全壊し、周囲の県に瓦礫の雨を降らせた。
爆心地の映像を見ると、原子力爆弾が可愛らしくも見える、それほどの威力である。
一面が海。
人間はもちろんのこと、建物、大地すらも分解され、後にはなにも残らなかった。
唯一残ったものといえば、日本列島地図の書き換え作業くらいだろう。
クリーンにもほどがある。
ともかく。
その爆弾のおかげで大日本帝国は、強国連合に敗戦した。
敗戦後、大日本帝国は植民地化、沖縄と鹿児島は占領され強国の領土となり、首都は福岡となった。
結果、作られたのが歪みに歪んだこの国であり。
この大日本帝国である。
「いいなートトゥーリア。ゆゆも行きたいなー」
皿に盛られた麻婆豆腐をフォークで弄びながら、妹は言う。
「行ってくれば? ロケットでも作って自力でさ」
「……そうか、その手があった! さすがお兄ちゃん!」
「…………」
素直過ぎる。
皮肉を受け止め、さらには関心された。
「……いや、ごめん。そんなの真に受けると思わなかったんだけど……バカなの?」
「知ってるお兄ちゃん? 実はね、バカって言ったほうがバカなんだよ。だからゆゆにバカって言ったお兄ちゃんがバカなのだ」
「…………」
小学生か、と。
親がいない手前、妹には寂しい思いをさせまいと、必死に世話を焼いてきた翔兵なのだが……。それは全力で甘やかしてしまっているとも言えた。
「あーもう……わかったから。いいからはよ食え、少ないけど久しぶりの肉なんだぞ。いらないなら俺が食ってやる」
「やだ! せっかくお兄ちゃんが作ってくれたんだもん!」
「……じゃあ、早く食べろ。皿は自分で持っていくように」
「ごちそうさま!」
「はやっ!」
「おにーちゃん、洗い物よろしくー」
裏表のない満面の笑顔で皿を差し出す妹。
どこを間違ったか、いつの間にかこの末っ子は恐るべき甘えん坊に育ってしまっていた。
「冷蔵庫に梨まだあったよね? ゆゆが剥いておいてあげるよ、それでチャラってことで」
「どうせ自分が食いたいだけだろ」
「失礼な! ちゃんとお兄ちゃんにも5分の1はあげるよ」
「ちょっと待て、比率がおかしい。再検討を要求する!」
天真爛漫な妹に振り回され、なんだかんだ言いつつも、ちゃんと洗い物を済ますあたり翔兵は出来た兄だった。
ため息を漏らしながら、慣れた手つきで洗った皿を重ねる。
以前、一度試しにゆゆに食事を作らせようとしたことがあった。
しかしゆゆは冷蔵庫を開いて硬直し、そのまましばらく動かなかった。どうやら……本当に料理の出来ない人間というのは、いざ食材を前にすると、それをどう扱えばいいのか分からないらしい。
やっと動いたかと思えば、ゆゆは冷凍してあったモヤシを袋ごと鍋に投げ入れ、そのまま水も張らずに加熱するという暴挙に出たのだった。
それ以来、食事の支度は翔兵の担当になった……というか、家事全般を翔兵が受け持つはめになった。
唯一、ゆゆにもできることといえばゴミ出しくらいなものだ。
……しかしまあ、それでもいいか、と翔兵は思う。
生意気だけどやはり翔兵は兄だ。
妹は可愛い。
それに、何かをしてあげて、それを受け入れてもらえるのは嬉しいものだ。
「剥いたー! いつまで洗ってるのさ、こっちこよーよ」
妹の声に翔兵はうなずく。
洗い物はすでに終わっていたが、まだ明日の朝食の下準備の途中だった。しかし翔兵はそれを後回しにして濡れた手をタオルで拭く。
この妹ならば梨を全部一人で食べてしまいかねない。
「ねえ、おにーちゃん。梨剥いたお礼にゆゆをトトゥーリアに連れてってよ」
「報酬でかすぎないか? 近所の公園で我慢しとけ」
「ぶー」
もしかしたらゆゆは、翔兵に頼めばトトゥーリアに行けると、本気でそう思っているのかもしれない。
それは到底無理な話ではあるが。
「……トトゥーリア……ねえ……」
翔兵は切り分けされた梨に楊枝を刺し、窓から外を見る。
真っ暗に染まる空。
その一部に月よりも明るく輝くリングがあった。
天使の輪。
夜空に浮かぶそれは神々しく、そう言われても翔兵も違和感はない。
敗戦国であり、帝国民であり、低国民であるこの大日本帝国に住む人間には天使の輪への移住権は与えられていない――つまり、この国に住む限り、絶対にトトゥーリアへは行くことはできない。もちろん、強国の人間であっても移れるのは限られた一部の人間のみだろうが。
強国の独立記念日。
その日に開催される大会、その賞品が天使の輪への永住権。
しかも住んでいる地域の人間全てにそれが与えられるときたものだ。
仮に翔兵がその選手に選ばれて、仮に優勝したとすれば――つまりはこの富山県民全てが移住の権利を得ることになるわけであり、さらに言えば、他の誰が優勝し、そのおこぼれにあずかることも無い話ではない。
しかし、翔兵は嘆息する。
「……馬鹿げた話だ……笑い話にもなんねぇ」
口に入れた梨がシャリっと音を立てた。ほどよい酸味が鼻を通り、やさしい甘みが口の中に広がる。
富山の梨はうまい。
翔兵にはその賞品に現実味を感じることはできない。
仮に与えられたとしても、両親を殺した政府にそんなものを貰いたくもなかった。
しかし、そんな翔兵に転機が訪れる。
それはなんの前触れもなく――そう、突然。
「ちょ! おっ、お、おにーちゃん! おにーちゃんっ!」
ゆゆは今度こそかけねなく本気で叫び声をあげた。
「あーもう、うるさい! いきなり叫ぶな! 近所迷惑でしょうが!」
「だって! ほら、見て、テレビ! おにーちゃんテレビに!」
「……はあ?」
耳鳴りのような妹の促しで、翔兵がテレビに目をやると、
『最後の富山県代表はID000567644327の戸津甲翔兵さんでーす! えっとー手元の資料によるとー軍立高校の二年生……うわっ若っ! さっきの女の子も高校生でしたよね、今回は若い人が多く選ばれますねー! 翔兵さん、おめでとうございまーす! 頑張ってくださいねっ! では、次は石川県代表選手の――』
翔兵の顔が、映っていた。
「……えっ?」
つまり、
「おにーちゃんが選ばれたんだよ!」
全バト当選。
である。