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-013- 初夜! 妹の思い!


 時間軸――というか、世界の軸をまたいで元々翔兵らがいた世界。

 その世界は平穏だった。

 ことも無さ気に社会は回る。たかだか数百人の人間がいなくなろうと、それが大したことではないように。


「じゃあね、ゆゆちゃん! また明日ねー!」


 陽も落ちようとする頃。

 バイバイと手を振る友人を戸津甲ゆゆは同じように見送る。

 友人が見えなくなったところで彼女は振り向き、カンカンカンとアパートの錆びたボロ階段を上がった。手すりはところどころ風化していてトゲが出来ている。危ないからそろそろ変えて欲しいと、本当に思う。

 戸津甲家は二階の隅っこの部屋だ。

 制服のポケットから鍵を取り出し、これまた錆びたドア、そのノブへと差し込む。

 ぐるりと回し、ガチャリと開いた。


「たっだいまー」


 おかえり。と、兄の声。

 夕食の支度に取りかかって、台所に向かう兄の姿。

 後ろ姿に今日の晩ごはんなに―? と問いかけ、靴を脱ぎ捨てテレビの前に転がる。

 それが当たり前で。

 それがゆゆにとっての日常だった。


「……そっか。おにーちゃん、いないんだった」


 翔兵のいない家。誰もいない家。

 言葉を返してくれる人はもういない。

 暗い部屋の電気をつける。

 二人だと少し狭い部屋も一人だと広く感じた。ついでにテレビもつけて、いつもよりボリュームをふたつ上げた。

 テレビの中ではニュースキャスターが独立記念日の式典について何か言っていた。それはゆゆにとってまったく興味のない内容だった。


「うーおなか空いたー。お昼からなにも食べてないからペコペコだよー。……でもどうしよう、ゆゆご飯なんて作れないしなあ……」


 ゆゆはゴミ出し担当で、料理は兄の領分だった。

 しかし、その兄はもういないので、これからは自分でやることになる。炊事も洗濯もなにもかも、だ。

 なにか食べ物を求め、冷蔵庫を開く。


「うわっ!」


 そこにはタッパーがぎっしりと詰まっていた。

 見るとプラスチック容器の側面にはメモが張られており、ご飯、おかず、おやつと分けられている。


「うわあ……さすがおにーちゃんだ。ゆゆのことわかってるなー。……でもこれはちょっと正直引くなー」


 どんだけマメなんだよ、と。

 しかしそこを引いてしまうと、妹のためにと健気に早起きして、これをこしらえた翔兵が可哀想だからやめてあげて欲しい。

 ゆゆはご飯とおかずのタッパーを手に取り、冷蔵庫を閉めた。

 フタには『カレー(肉無し)』と書かれていた。


「ほうほうカレーか。でもこれ、何分チンすればいいのかな……5分? 10分?」


 冷蔵庫の隣にある電子レンジに手を掛け、ご飯とカレーのタッパーを入れてからバタンと閉める。

 そこでまたメモ書きがあることに気がついた。


「むむ? えっと……『パックの中身は皿に移してからチンするように!』……もう! それくらいゆゆにだって分かるよっ!」


 再度レンジを開き、タッパーを取り出す。

 危うく、容器ごと加熱して大惨事になるところだった。


「ぎゃーこぼれたっ!」


 手についたカレーをブンブンと振り回して落とす。それも自分で掃除しなくてはいけないことは、残念ながらゆゆの頭にはない。


「っていうか、このカレーなんかグロい! これ本当にカレー? おにーちゃんなにかと間違えてないかなあ」


 出来あがったものしか見たことのないゆゆだ。

 冷えたカレーはわりかしグロい。

 汚れた手を服で脱ぐって、皿に盛ったライスにカレーを落とし、レンジに入れる――後はダイヤルを回し、スタートボタンを押せばホカホカカレーの出来上がりのはずだった。

 しかし、ゆゆはそのボタンの前に硬直。


「……ふっ」


 と、不敵な笑みを浮かべ、


「甘いな、おにーちゃん。何分チンするか書いてない……」


 どうしよう、と。

 翔兵もまさか妹がそこまでお馬鹿だとは思わなかったのだろう。戸津甲家の電子レンジは古い。温めるのボタンなどはなく、ダイヤルで分調整を行わなくてはいけないのだ。

 これはゆゆにとって死活問題といえた。


「とりあえず、10分いってみよう」


 翔兵がいたら的確な突っ込みが飛ぶことは想像するに難くない。面倒見の良い兄が、妹を存分に甘やかした結果がこれだった。10分も加熱すればズブズブになってしまう。多分、2分で事足りる

 しかし、甘えん坊な妹は思い切りがよかった。

 迷うことなくダイヤルを10に合わせる。モヤシを袋ごと鍋に入れ水も張らずに加熱する戸津甲ゆゆにとって、これくらいは朝飯前だ。いまは夕食前だけれど。

 スタートのボタンを押すとレンジが始動し、ターンテーブルに乗った皿がくるくると回りだす。

 しばらくそれを見続け、やがて飽きたか、ゆゆはテレビの前に転がった。

 天井を見上げると、円形の蛍光灯がちかちかと点滅し始めた。

 もうすぐ、切れてしまうのだろう。

 それもゆゆは自分でやらなければならない。

 そんな自覚はないし。

 現実味も感じない。


「あー……なんていうのかなあ……」


 ごろんと寝返りを打った。

 見上げる台所には、当然、誰もいない。


「……一人だと、暇だなあ……」


 また寝返りを打つ。

 何気なく、テレビに目をやる。

 そこには去年の独立記念日の式典の様子が映し出されていた。大勢の軍人が真っ白い軍服を着て行進して、それを追うように音楽隊が色々な楽器を演奏しながらついていく。道の端から強国民がそれを眺め、手に持ったバルーンを空へと放っていく。

 みんな笑顔だった。


「……楽しそうでなによりだよ」


 ゆゆにはめずらしく、皮肉っぽく言った。

 しばらくしてから。

 チン、と。

 聞きなれた音にゆゆは飛び起きる。夕食の時間だ。


「やっとだよ! ご飯だごっはん!」


 跳ねるようにレンジに向かい、扉を開ける。

 すると案の定。


「……うわあ……ズブズブだあ……」


 ゆゆの知っているカレーはおうど色とか、もう少し明るい色をしていて、少なくとも煤けたこげ茶色ではなかった。それに記憶が確かならば煙も上がってはいなかったはずだ。

 レンジの中のカレーは煤けて焦げ付いていた。


「んー、ちょっとミスった……かな? 次は5分でいってみよう。……うん、大丈夫。料理は見た目じゃない、大切なのは味と心だ!」


 レンジに入れただけなのに大した物言いである――しかしながら、たったそれだけのことでもゆゆにとっては大進歩なのだから、なんとも悲しい話ではあった。

 コップに水を用意して、テーブルに置く。

 両手を合わせ、頂く。

 パクっ。


「……んむっ、見た目はあれだけど……いけるいける!」


 そりゃあ翔兵が妹のために心を込めて作ったカレーだ。多少焦げ付いたところで不味いはずはない。もう少し見た目も良かったずなのだけれど、それは自業自得だから仕方がない。


「…………」


 もぐもぐと。


「……………………」


 黙々と咀嚼を続ける。

 ふと――手が止まった。

 テーブルにスプーンを置く。

 カチャン、と乾いた金属音が部屋に響いた。


「……なんか味気ないなあ……」


 それは押し殺したはずの思いだった。


「……やっぱり」


 嘔吐感のように溢れる感情。

 喉へと込み上げるそれを、


「……おにーちゃんいないと、寂しいなあ……」


 言葉にしてしまった。

 考えないようにしていたのに、それを言ってしまえば認めたも同然なのに。

 自ら、引き金を引いてしまった。

 眼頭に熱いものを感じた。

 両親が死んで以来、ずっと溜めこんできたものだ。

 お世辞にも要領が良いとは言えないし、家事も出来ないし、学校の成績だって中の下くらいで、あまり良くない。自分に出来ることなんて、たかが知れているとゆゆは自覚している。

 だからせめて――せめてチョロい兄に心配かけないよう、どんな辛いことがあっても絶対に笑顔でいよう――と、両親がいなくなって死ぬほど泣いた夜にゆゆはそう決心した。


「…………」


 ぐずっと。

 鼻を鳴らす。

 それは片側から一筋。

 頬を伝い――ぽたりと。テーブルを濡らした。

 その一粒を皮切りに、まるでダムが決壊したようにとめどなく、どめどなく溢れ出てきた。

 えずく。

 止まらない。

 それを止めるすべをゆゆは知らない。


「……うええ……」


 視界が滲む。

 世界に取り残された気分だった。

 抗いようのない感情が襲う。もの悲しさに重苦しい憂鬱が加わる。

 胸を締め付けるそれは強烈な孤独感だ。


「……やだよう……ゆゆを一人にしないでよう……」


 兄妹は二人暮らしだった。

 父親はいない。母親も。

 そして、兄までいなくなった。

 支えてくれる人も、助けてくれる人もいない。

 自分はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか?

 その答えも分からないまま――ゆゆは嗚咽を漏らし、ただ泣きじゃくるしかなかった。

 


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