-011- 初夜! 少年の思い!
「……疲れた」
戸津甲翔兵は小奇麗にまとめられたホテルの一室。
馬鹿みたいにでかいベットの上で大の字になって、天井を見上げていた。
翔兵の住んでいるアパートの倍ほどの広さがありそうなこの部屋は、ワンフロアが吹き抜けになっており、扉というものがない。一応あるにはあるが、それは玄関の扉と、トイレ、後はバスくらいのものだ。
ベットの正面に置かれた50インチの大きなテレビ、その左手には窓から富山の夜景が広がっていて、ぽつぽつと――まるで道しるべを置いたように光る道路照明が線となってどこまでも先へと続いていた。
北陸自動車道。
福井、石川、そして富山を繋ぐ一本の道であり、中立エリアだ。
翔兵ら富山チーム一行は、富山インター近くのホテルで宿を取っていた。
憂沙戯の提案で、寝ている間にいまいる場所が禁止エリアになる可能性があること、加えてゲームの仕様上、中立エリアは三県を繋ぐ道であり、ゲーム終盤まで禁止エリアにならない算段が高いこと。この二つ理由から他の三人は同意し、この場所へと移動していた。
翔兵と目多牡薫は最上階の702号室。
その真下にある602号室には蒼井雫と月野憂沙戯がいる。
これは別に同じ階層に部屋が一つしかないわけではなく、フロアには部屋が二つある。なので翔兵も隣の部屋でいいんじゃないかなあ、と思ったのだけれど、雫の「変態がいるから」という理由で女性陣は下の階層に移ったのだった。
「ゆゆ……ちゃんと飯食ってるかなあ……」
昨日までの日常が嘘のようだった。
本来なら翔兵は今頃、妹に夕飯を作り、他愛もない会話で食卓を囲んでいるはずだった。
そんな日常から掛け離れた現実。その一日がもうすぐ終わろうとしている。
「なんや翔兵くん、もう寝るんかいな。せっかくこれから飲もう思たのに」
シャワーから上がった薫が両手にビールを持ってきて言った。
バスローブを着た中肉中背で中年の薫は、なかなかに様になっている。
「おっちゃん、俺未成年だってば。それに酒はあんまり好きじゃないかな。……苦いし」
薫は両手に持った缶ビールの一本をテーブルの上に置き、もう一本はパシュっと景気のいい音を立てて開けた。
それを喉を鳴らし飲み込み、大きく「ぶっはぁ」と息をつく。
「こんな時やからこそ飲んどかなあかん。わしはそう思うで。あ、そういえば冷蔵庫にコーラもあったな、翔兵くん飲むか?」
コーラ、という言葉に深いため息が漏れる。
ここに連れてかれる際に、コーラに薬を盛られたからだ。
結果は変わらなかったとしても迂闊だったなあ……と、思う。
「……それ、ペプシだった?」
「いや、コカやったな」
少し考えてから、
「……飲む」
「よっしゃ! 取ってきたろ、ちょっとまっててな」
ペプシしか飲まない主義とやらは、どこかへ飛んで行ってしまった。逆にもうペプシは飲まないかもしれない。
薫はステップを踏むように軽快に冷蔵庫へと向かう。
ほれ、と投げられたペットボトルを受け取り、翔兵はキャップをひねった。
「うわっ!」
ぶしゃあと、勢いよくコーラが噴き出した。
翔兵は咄嗟に身を引く。
「なっはっは、引っかかった引っかかった!」
「…………」
大笑いするおっさん。
どうやら、コーラは思いっきり振られていたらしい。
服もベットもベタベタになってしまった。
「おっちゃん……ハメやがったな……」
翔兵はジトっとした目で薫をにらむ。
「抜いたのは翔兵くんやけどな。ほら、そんな怒らんといてや。ジョークやんか」
面白い冗談ならば翔兵も歓迎するが、これはどう考えてもその類ではない。
「あーもう、どうすんだよこれ……。もうこのベット使えないじゃんか」
「こっちのベット使ったらええよ、わしはソファー使うから。とりあえず、そんなべとべとやったら気持ち悪いやろ? 翔兵くんも風呂入ってスカッとしてき。風呂は心の洗濯やで」
「いったい誰のせいだと思ってる。服の洗濯も必要になったじゃねーか!」
目多牡はとぼけるような顔で肩をすくめてみせた。
なんかもう、すごくイラっとする。
「ほらほら、上手いこと言っとらんとさっさと行った行った。ちゃんと風呂は沸かしたるからすぐに入れるで。あ、ちなみにタオルは洗面台のとこな。翔兵くんが入ってる隙にわしはペイちゃん見とくから、出来れば長湯してきてな!」
「そんな情報いらないです。っていうか、そんなこと言われたら風呂から出てきにくいじゃねーか」
「大丈夫や。わしは別に見られても気にせんで?」
「誰がそんな心配するか! 逆にこっちがトラウマになるわ!」
なんだかんだ。
言われるまま翔兵はバスへと向かった。
服を脱ぎ捨て、カゴへと投げる。
洗面台には翔兵用と思われるバスローブ、その上にはバスタオル、シャンプーに石鹸、ご丁寧に歯ブラシまで用意してあった。
多分、薫が用意したのだろう。気が利くのかそうでないのか……あのおっさんは本当によく分らない。
広々とした部屋の風呂はそれまた広かった。
大人二人がすんなり入れそうな大きなバスタブ、なみなみに張られた湯船からはもうもうと湯気が立ちこめている。
恐る恐る片足を差し込み温度を確認、適温だ。
ざぶん、と。
「うっ……ああ……」
実にオヤジ臭い声が漏れた。
「やばい、超気持ちいい……」
肩まで浸かると疲れが一気に吹っ飛びそうだった。身体の疲れというより、それは気疲れだけれど。
右も左も分からないまま違う世界に飛ばされ、よく分らないモノを与えられ、エリアを掛けて殺し合えと言われた。それにストレスを感じないはずがない。
しかし、どこかまだいまいちピンとこない。
頬をつねればちゃんとした現実に戻るんじゃないかとさえ思える。
ぎゅー。
「……痛い」
うん。駄目だな。
力いっぱいつねってみたけど痛いだけだった。
翔兵にはまだ、この世界に対して現実味を感じることはできない。視界の隅に映るゲーム画面のようなウインドウもそうだし、色彩溢れた景色も、透き通るような空気も、なにもかもが違和感でしかない。
大きなガラス窓からは富山の夜景が見えた。
同じ富山という名前ではあるけれど、それは翔兵の知っている“意味"とは大きく違う。
ふと――他のみんなはどうなんだろう? と、思う。
蒼井雫。
月野憂沙戯。
そして目多牡薫。
「……こんな状況で、よく馬鹿やってられるよなあ……あのおっさん」
能天気といえばそうなのだろうけれど。
しかし、それは薫なりに翔兵を元気づけようとしてくれているのかもしれない。思えば――自分のことばかり考えていた。周りに気を回す余裕なんてなかった。
さっきだってそうだ。
ユニットバスから漏れてくる泣き声に、翔兵は耳を塞ぎ、目を反らし、都合よく受け入れることを拒んだ。他人のマイナスの感情が自分に入り込んでくるのを避けたのだ。
でも、それでも薫は翔兵を気遣い、そんな素振りを見せることもなく、大して面白くもない迷惑なだけのジョークを投げかけてくれた。
投げつけてくれやがった、のほうが正しいかもしれないけれど。
「…………」
ぶくぶくぶく、と湯船に泡を吹かせる。
死んだ父親のことを少し、思い出す。
「……似合わねえんだよ。隠れて泣いてたくせに」
ほんと、大人には敵わないな、と思う。