プロローグ -まじかるタイム-
「……おはよう、お爺ちゃん。」
「おお、翔坊。一人で起きられたのか、偉いのお。」
「……お爺ちゃん、僕もう今日から学校だよ? 一人で起きれるよ!!」
「ほっほ、そうかそうか。」
いつも通りの朝が来た。窓から差し込む日差しに目を細めながら、翔は新しく来る日常に思いを馳せた。今日は、小学校の入学式なのだ。
「あ、お婆ちゃんもおはよう!!」
そう言って、翔は仏壇の前で写真に向かって挨拶をした。仏壇で写真立てに入ったその顔は、にこりと微笑んでいる、進と同じくらいの歳の女性だった。進と同じくらいに年老いているが、それでも気品が感じられる顔立ちだ。
「…………。」
「えへへ、今日から学校なんだよ!! ねっ、お爺ちゃん!!」
「……ああ、そうじゃな。」
笑顔の翔に応えた進の顔は、何処か陰りのあるものだったが、翔はそれに気付かない。興味は既に、部屋の机に置かれたランドセルへと移っている。翔はそれに近づくと、笑顔でそれを背負って進へと向き直る。
「ねえ、お爺ちゃん。」
「なんじゃ?」
「僕……友達出来るかな?」
そう言った翔の表情は、笑顔のままでも何処か不安気だった。進は、その表情にドキッとしてしまう。いや、分かっているのだ。翔にはもう、進が心配するような危うさはない。だから進は、直ぐに優しい表情を作って翔の頭を撫でた。
「翔坊はきっと、男女どちらからもモテるじゃろう。友達もいっぱい出来る。絶対じゃ。」
「うんっ!!」
ピンポーン
進に撫でられて嬉しそうに笑っていた翔の耳に、インターホンの音が届く。誰だろうか? 朝も早いのに進の知り合いだろうか?
「お爺ちゃん、お客さん?」
「さあのお、翔坊、出てもらえるかの?」
「う、うん。」
進に言いつけられ、翔は素直に玄関に向かった。そして、頭の高さくらいにあるドアノブをカチャリと回すと、ゆっくりとドアが開いて行き、翔は少し緊張した面持ちで外を見た。そこに居たのは……。
「初めまして!!」
「あ……うっ……初め……して。」
そこにいたのは、活発そうな子供だった。男子にも、女子にも見える中性的な顔立ちだったので、翔はどちらが正しいのか暫く迷った。
「おお、迎えが来てくれたようじゃな。良かったのお、翔坊。」
「え? む、迎え……?」
進の言葉に戸惑いながらも、翔はもう一度その子供へと視線を向けなおす。……やっぱり、どっちか分からない。
「あ、あの……。」
「僕は優だよ。君は?」
『僕』、翔もそれで分かった、この子は男の子だ。そしてどうやら、『優』と言うらしい。
「僕は……翔だよ。」
「そっか、宜しくね、翔!!」
「う、うん。」
なんだか、とても元気な子だなあと翔は思った。翔は、どちらかというとおっとりしている方だ。
「それじゃ、行こう!!」
「え? え?」
「学校、遅刻しちゃうよ?」
そこまで会話して、翔は進の言葉を思い出した。この子は、自分を迎えに来たのだ。それを理解した時には、翔の腕は優に捕まってしまっていた。振り向くと、笑顔で捕縛してくる優が居た。
「あ、えっと、なんで僕を迎えに……。」
「だって、家近いんだもん。」
「あ、うん、そうなんだ。」
なんだろう、ちょっと嬉しい。でもそれって理由になっているのだろうか、翔には分からなかった。……とにかく、遅刻はいけない。
「え、えっと、じゃあ……行ってきます。」
「うむ、行ってらっしゃい。車と魔法使いに気を付けるのじゃぞ。」
「はーい!! ほら翔、早く行こう。」
「う、うん!!」
その返事を最後に、翔と優は走って行った。翔はまだ少し緊張した面持ちだったが、それでも二人一緒に笑顔だった。
「…………。」
その二人の姿が見えなくなるまで、進は目で追い続けた。新しい日常、これがその門出になるのだと、心の中で何度も噛み締める様に繰り返す。
「これで、良かったのか……。」
「……でも、翔坊君は笑顔だったね。」
「新羅。」
突然隣から聞こえた声に、進が振り返る。全てが変わった中で、唯一変わっていない存在が、進に寄り添うように立っていた。新羅は桜のスペアとして、桜に何かあった時に直ぐに代わりが出来るよう、翔の生活から外されていた。だから翔がいる時間帯は、新羅と桜の昔の屋敷に戻っていたのだ。
「昔私達が使ってた家にね、知らない家族が住み着いてたよ。男女二人組に、娘が一人。」
「ほう、あんな場所に勝手に住み着くなんてな。」
「うん、私もびっくり。それでね、その真夕って娘が凄い人間不信なの。どうも、他人の悪意を敏感に感じ取っちゃうみたいで、あれは駄目だね。普通の人間と同じようになんて暮らせないし、愛せない。……ねえ、どう思う?」
「どうも何も……恐ろしいよ。」
「この世界が?」
「まさか、冗談だろう。」
そういって、二人は同じ方向を見た。翔と……姿を変えた優が走り去っていった方向だ。何もかもが、彼女の思い通りなのだろうか。
「……自分の遺伝子データを簡単に修正したんだそうだ。データは地下に取ってあるし、なくても、優ちゃんなら戻れるだろう。」
「……その日が、来るのかな?」
「来なければ困る。それに、優ちゃんだっていつか戻るからバックアップを取ったんだろう。」
「うん……。」
「………情けない大人だ……俺は……。」
「そんなの……私達、でしょ。」
進の言葉に、新羅はそれだけ言って寄り添った。本当に正しいことなんて分からないまま、せめて、二人の幸せくらいは祈りたかったから。
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「……ね、ねえ、優。」
例えこれが、偽りの舞台だとしても。
「あ、あのね……僕と。」
例えこれが、どれだけの犠牲を産もうとも。
「えと、僕と……友達になってくれる?」
たった一つだけ、守れればそれでいい。
「もちろん!!」
「ほ、本当にっ!!」
この笑顔だけは、私が守るのだ。絶対に、誰にも、邪魔はさせない。
そして、魔法の時間は始まった。これは一人の少女が、たった一人の少年を護る物語。